hiroshi5 さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
「上を向いて歩こう」から吟味する「コクリコ坂から」
このサイトのレビューを見てる感じ、賛否両論って言ったところだろうか。あえて名前を挙げさせて頂くが、「けみかけ」さんと「大和撫子」さんのレビューがこの作品の良い点と悪い点を全て見事に説明していると思う。
その両論を考慮した上で、私はこの作品は素晴らしいの一言に限ると断言したいところだ。
この作品はキャラクターの詳細な心境なるものを描いていない。それを悪い点だと考えるのもありだと思うが、多分それは間違っている。
心境や、分岐点は今作品上では重要要素ではないと断言しておくべきだろう。
つまり、それを求める視聴者には今作品は不満足かもしれないし、見るべきではないかもしれない。
端的に説明しよう。この作品は1960年当時の時代背景と「上を向いて歩こう」という曲を知っているか否かで全てが決まる。
ところで、皆さんは坂本九が歌った「上を向いて歩こう」のことをどれだけ知っているだろうか?
まず、坂本九さんがこの曲を歌うところを必ず見て貰いたい。
歌詞は悲しくて寂しい内容なのに、メロディーは懐かしさを帯びていて、坂本九さんはこの曲を満面の笑みで歌う。
このギャップはちゃんとした理由がある。
この曲を作詞した永六輔は1950年代後半、安保反対闘争に積極的に参加していた。彼はインタビューの中で、安保反対闘争は私の人生の使命だとも発言していた。しかし、皆さんご存知の通り、安保反対闘争のおけるデモ隊と機動隊の衝突の中で女子大学生が命を落とした。また、さらに10月、六輔が慕っていた政治家がTVやラジオの生中継が入った演説会の壇上で、右翼少年に公衆の面前で刺殺されるという衝撃も起こる。
人気番組の構成台本の仕事を何の迷いもなく降板してまで、この運動と行進に参加することを自らの使命と感じていた六輔にとって、それは大きな挫折感以外の何ものでもなかった。
世の中は夢や理想から、現実の利益追求へと転向を余儀なくさせる。
六輔は自らの「胸の内」を託すかのように、翌年の春に「上を向いて歩こう」の詞作に取りかかる。
その歌詞に作曲を手掛けたのが中村八大だ。彼は1958年に行った初リサイタルの失敗や莫大な借金、作曲家としてのスランプ状態といった負の現実から逃げるように、当時、薬物中毒に陥っていた。
ある日、録音スタジオがあるビルの窓際で自殺さえ考えたと上述している。
しかし、
「私には音楽がある。幼い時からの夢がある。人生は楽しいはずだ。その素晴らしい人生にもう一度戻るために、もう一度苦労すべきだ」
と、考えた彼は永六輔の歌詞を見て、独特な歌い方から興味を持っていた坂本九という人物が歌い手になることを想定とした「上を向いて歩こう」のメロディー作りに取り掛かった。
そして、坂本九と言えば、その当時アイドルとしての過密スケジュールのせいもあり、『第3回中村八大リサイタル』当日になって初めて、「上を向いて歩こう」の楽譜をマネジャーの曲直瀬信子から渡される。
「あの曲を貰った時はどうしようかって思った。だってメロディに対して恐ろしく歌詞が少ない。最初間違いかと思ったくらい……で、いろいろ考えてああいう歌い方をしたんです。八大さんは僕ならプレスリーみたいに歌うだろうと思っていたらしいから」
ロックンロールを聴き育った最初の世代で、人の心の痛みが分かる優しい性格の持ち主でもあった九には、八大の求めているものがその身についた感性ですぐに見抜けた。
だからこそあの独特の歌い方で、一人の作曲家の決意と、一人の作詞家の挫折が結実した「上を向いて歩こう」を、大舞台で満面の笑みで歌うことを決めた。
それは悲しみの先に現れた、「希望」という未来への祈りにもつながった。
「もう『上を向いて歩こう』は僕だけの歌じゃない。世界中の人の歌なんだ。生意気なこと言うみたいだけど、『上を向いて歩こう』って世界中の人への素晴らしいメッセージだと思いませんか?僕はそのメッセンジャーボーイになれただけでも光栄です」
これを機に、「上を向いて歩こう」はスキヤキとなって日本の曲で始めて米国の音楽ランキングNo.1を取る快挙を成し遂げた。
それは外国人に日本の音楽センスの高さを揺ぎ無いものにし、アメリカで強制収容を体験した日系人を奮い立たせるものだった。
坂本九はその後アメリカに招待され、日本人が持つアメリカ人に対する嫌悪感を軽減する役割にもなった。それは東京オリンピックを前にしてとてつもない効果を発揮し、日本という国の位置づけを世界に知らしめるトリガーになったと言っても良い。
「上を向いて歩こう」無しにして現代の日本はない、なんて大それたことは言えない。でも、日本とアメリカと世界の境界線を限りなく薄くする役割を果たしたことは確かだ。
そんな戦後の苦しみと悲しみ(学生運動も勿論含む)を歌詞にぶつけ、その曲を満面の笑みで希望と共に歌う。
これが全てだ。これが「上を向いて歩こう」という曲であり、「コクリコ坂から」という作品だ。
苦しみも、悲しみも、憎悪も希望に変えていける。今、こんな言葉を発せれば頭のおかしい奴か?と思われるかもしれない。しかし、1960年にその奇跡は実際に起こり、「コクリコ坂から」はその奇跡をもう一度引き起こそうというメッセージそのものに違いないのではないだろうか。
それを、1960年当時の風景と、悲しみから希望へと変化する物語を通して伝えたかったのではないだろうか?