入杵(イリキ) さんの感想・評価
3.5
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
過去に囚われたモラトリアムの人々
本作はアニプレックス、フジテレビ、A-1 Picturesが手がける完全オリジナルアニメーション企画「ANOHANA PROJECT」として2010年12月に始動した。監督は長井龍雪、脚本を岡田麿里、キャラクターデザインを田中将賀が務めた。
過去を抱えた若者たちの淡い恋や罪の意識、絆や成長といった内容を扱う、ドラマ性を重視した内容が志向されており、物語の展開に従って複雑化していく人間関係なども描かれている。舞台となった秩父は本作の聖地となった。
平成23年度(第15回)文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品アニメーション部門/長編(劇場公開・テレビアニメ・OVA)に選出された。2012年、この作品の功績により、長井監督が芸術選奨新人賞メディア芸術部門を受賞した。
あらすじ
{netabare}
幼い頃は仲が良かった宿海仁太、本間芽衣子、安城鳴子、松雪集、鶴見知利子、久川鉄道ら6人の幼馴染たちは、かつては互いをあだ名で呼び合い、「超平和バスターズ」という名のグループを結成し、秘密基地に集まって遊ぶ間柄だった。しかし突然の芽衣子の死をきっかけに、彼らの間には距離が生まれてしまい、それぞれ芽衣子に対する後悔や未練や負い目を抱えつつも、高校進学後の現在では疎遠な関係となっていた。
高校受験に失敗し、引きこもり気味の生活を送っていた仁太。そんな彼の元にある日、死んだはずの芽衣子が現れ、彼女から「お願いを叶えて欲しい」と頼まれる。芽衣子の姿は仁太以外の人間には見えず、当初はこれを幻覚であると思おうとする仁太であったが、その存在を無視することはできず、困惑しつつも芽衣子の願いを探っていくことになる。それをきっかけに、それぞれ別の生活を送っていた6人は再び集まり始める。
{/netabare}
感想
非常にドラマ性のある作品で、あまりアニメには見られない展開の仕方が印象的だった。
{netabare}
辛い過去を抱え自己を偽る登場人物達、過去の淡い恋心や罪悪感を引きずり、青春時代を満足に過ごせずに居る彼らの物語は、未来を神聖視する現在の風潮とは異なる過去を神聖視する作品だった。よって過去の後悔、因縁を青春というフォーマットで展開するというスタンスを踏んでいる。本作における「思春期の苦悩」とは、未来への不安や、アイデンティティ形成中の障害ではなく、「過去との決別」、「死者へのけじめ」であると思う。
葬式は死者を弔い、偲ぶ意味があるが、一番の目的は現在生きているものが故人を死者と認知し、過去を整理しこれからも生きていくことである。
しかし、彼らは過去においてこの決別が出来ずに現在まで引きづり続けてしまった。
よって本作における、宿海仁太から始まった彼らの一連の苦悩、過去との向き合いは、親友の喪失を「事実」として受け入れ、「罪悪感」を克服し、これからを生きていく糧にするという非常に重要なプロセスだったのである。めんまが成仏出来たのも、彼らが過去と真剣に向き合って、かつての友人との和解に成功したからに他ならない。
本作は伏線があからさま過ぎるし、表面的な「めんま」の成仏という観点で感動してしまうという、作品を理解しないで感動出来てしまう作品である。めんまが仁太の母の言葉を、死して尚、守り続けている態度や、仁太の、かつての友人との関係やめんまに対する想いによる苦悩、ゆきあつの遣る瀬無い想い、あなるの淡い恋心と罪悪感など、感情移入出来る点が沢山ある点、現在の、慣習としての神道と葬式仏教という宗教観の薄い環境下にある日本人に、死後観を考えさせる作品だった点などが、本作が幅広く支持される要因の一部だろう。
本作の矛盾点として、めんまの目的が、めんまの死を誰よりも引きずっている「じんたんを泣かせる事」であり、他のメンバーの介入が許されず、五人揃って因縁を克服するという趣旨に反してしまう。最期に家でめんまの目的が達成された事を仁太が知った時点でめんまは成仏しなければならず、仁太がめんまを皆に逢わせに言った事が完全なエゴになってしまう。
私見としては、「皆で花火を打ち上げてめんまが成仏、感動の展開とともに終了」のほうが綺麗に纏まって見える。
終盤のあからさまなお涙頂戴演出は酷く、声優の技量で何とか体裁が保たれた格好だ。兎に角最終話は頂けない。
しかし、一概にお涙頂戴展開は否定出来ないという見方もある。実は本作はノイタミナ制作ということもあり、女性向け作品だったのではないかという見方も出来る。そうなると、お涙頂戴展開やEDとのコラボレーションも頷けるのではないか。
因みに私は本作を視聴しても全く泣けなかった(まあアニメ観て泣いた作品は片手で足りる程だが)。
最期に本作の趣旨に全く関係ない私の呟きだか、
「成仏」と「輪廻転生」は「""対義語""」である。("は強調なので特に意味は無い)
成仏したら輪廻の輪から外れるので輪廻転生することは無い。
(極楽浄土は阿弥陀如来が、末法にあって現世では成仏出来ない衆生を救済する為に用意した世界で、浄土宗や時宗、日蓮宗などの末法思想容認の念仏宗では、この浄土に往生し、浄土で修行してから成仏する。浄土真宗は、現世での称名念仏で既に仏となることが確定しているので、浄土に往生したら即成仏する。臨済・曹洞・黄檗などの禅宗は現世で悟りを開いて成仏するし(曹洞宗は座禅をすることが悟りと同一(只管打座・修証一等))、天台・真言や南都六宗では自分で苦行を積まねば涅槃寂静は不可能)
そもそも仏教の目的が五蘊常苦のこの世から如何に離別するかという趣旨であり、「輪廻転生"しない"事」が目的である。
その辺を履き違えて貰っては困る。
日本では死んだら誰でも仏になれるという考えが一人歩きし、
「後ろ髪を引かれたり、未練があったりしないで死ぬ」→「仏に成る」→「成仏する」という考えが定着した。
これは日本に土着の「死後の世界」観や先祖崇拝などのアミニズムと仏教が混ざった考えで、位牌に手を合わせることも然りである(従って仏教には幽霊という概念は本当は無い)。
実際にはお寺に通ってある程度勉強し、日々の生活を有る程度慎まなければ、そう簡単には成仏出来ず、自分の家が何処の宗派かすら分からない凡人は葬式で経を読んでもらったくらいでは成仏出来ない。
この点が作品とは"全く"関係ないのだけれど、個人的に妙に鼻に付いた。{/netabare}
総評
本作を薄い作品として見るか、メッセージが込められた作品として見るかは人それぞれだろう。しかし、これほどの知名度を誇る作品は、話のネタ程度でも構わないので、是非一度視聴して欲しい。私のような考察好きとしては、本作の設定について議論したりして欲しいところである。只のキャラ萌え泣き作品と認識されないことを祈る。