jodream さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
『CLANNAD AFTER STORY』の魅力と『CLANNAD』の意味
・『CLANNAD AFTER STORY』の魅力
CLANNADの見所は、ズバリこのアフタストーリーと言っても過言ではないでしょう。
美少女ゲーム原作のアニメの多くは、主人公とヒロインがめでたく結ばれ終了します(モノによっては、多少の後日談があります)。しかし、この作品は主人公とヒロインがめでたく結ばれるまでが単なるプロローグに過ぎず、その後の描写が極めて詳細になされています。
学園での経験を通して前作の最終回で結ばれた二人は、今作ではさらなる経験を積みます。特に、主人公である岡崎智也に迫る困難とその克服の日々は、まさにヒューマンドラマというにふさわしい展開を見せます。たとえば、一人暮らし、就職、渚との同棲、父の逮捕、結婚、出産、渚との死別、父との和解、汐との日々。そして、朋也はこれらの経験を通じて、時には挫折しますが、のちにそれを克服することによって人間的に成長していきます。
・『CLANNAD』の意味
CLANNADの意味を説明するためには、最終回の話を紹介する必要があります。なぜなら、最終回の話で述べられる台詞がその解明に極めて重要な意味を持つからです。そこで、まずはじめに、最終回の話を紹介し、そこで述べられている重要なセリフを引用した後に、『CLANNAD』の意味について説明しようと思います。
朋也は、先ほど紹介した出来事を通じて何度も何度も挫けそうになります。多くの出来事は、時には周囲の助けを借りてなんとか克服しますが、最後には最愛の娘すら失ってしまいそうな状態になり、いよいよ絶望します。そして、その絶望の瞬間、朋也は幻想世界へ飛び、さらには幻想世界を経由して過去へと戻ります。
ここで、前作第一話の冒頭で述べたセリフにつながります。
「この街は嫌いだ 忘れたい思い出が染み付いた場所だから」
そして、長い坂道を登り、校門前で渚を見かけます。
ここで、朋也はふと思います。ここで渚に話しかけなければ、出会わなければ、渚は死なずに済んだのではないだろうか、と。
しかし、やはり渚と出会わない世界は考えられず、朋也は渚と出会う道を選びます。
そして、時間は一気に渚の出産の時間へと再び飛びます。
普通ならば、渚は出産とともに死にます。ですが、朋也は今まで様々なパラレルワールドで街の人々(主にヒロイン)を救ってきました。街の人々の幸せは「光の玉」として具現化し、奇跡を起こして渚を助けます。
無事、出産を終えた渚が外を見ると、街が光の玉で満ちていました。渚と朋也は二人で『だんご大家族』を歌いはじめます。ここで、二人の会話を通じて、だんご大家族の意味が明かされます。
「もし、街というものに人と同じような、意思や心があるとして。そして、そこに住む人たちを幸せにしようって、そういう思いでいるとしたら……こんな奇跡も街の仕業かもしれないです。
でも、それは奇跡じゃないですよね。街を大好きな人が街に住み、人を好きな街が人を愛する。それは、どこにでもあるあたりまえのことのはずです、私たちは街を愛して、街に育まれてるんです」
「街は大きな家族か」
「はい、だんご大家族です」
つまり、街全体を指したもの、それがだんご大家族です。そして、ここで『CLANNAD』の意味をひもとくことができます。
CLANNAD は、CLANN As Dango、CLANNは家族という意味なので、これを訳すと「だんご大家族」という意味になります。さらに、Dの部分をDohbar(街)として、CLANN As Dohbar、「街=家族」という意味もあります。
すなわち、『CLANNAD』とは、「街=家族=だんご大家族」という意味だったのです。
なお、この解釈は、各種サイトで述べられているので、興味があれば調べてみてください。