nyaro さんの感想・評価
3.8
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
皮肉なことに「山田尚子の色」のせいで、作品としてぼんやりしたのかも。
2回目を見てしばらく考えていたのですが、山田尚子氏は「リズと青い鳥」でも強く感じましたが、自分の演出力に自己陶酔しているのではないかと思います。正直いえば、脚本的には本作はあまりにもフラット(作品として盛り上がりがないということもあるし、内面の変化が単純で一次関数的と言う意味)です。
いや、フラットなのはフラットにしたいからそうしているのだと思います。あえて、きみとルイについてはテンプレの悩みにして浅く見せることで、共感あるいは自己投影をさせたいんだと思います。
ただ、その見せ方が「聲の形」芸になってしまい、それこそ「山田尚子の色」を見ている観客に強要している気がします。もちろん山田尚子氏のそういう作風が好きという人もいるでしょうけど、それでは文学にはなりえません。
2回目で気が付いたのですが、楽器と長椅子が偶然落ちている。いや、ありえないだろう、という気はします。そういうご都合主義も結構感じました。まあ、そこはわざとな気がします。が、そういうところがちょっと脚本としては引っ掛かります。
一方でトツ子の使い方は非常に上手いと思います。たぶん天使なのではないかという第一印象があっているかどうかはわかりません。一応自分事としてコンプレックスを持っている雰囲気は少ーしだけあります。まあ、それは逆に余計な気はしますが。
教会とトツ子を組み合わせて、修道女の先生を置いたのはいいんですけどね。それがあるから話的には面白くなったと思います。ただ「けいおん」に見えてしまいます。
これが山田尚子氏の1作目だったら評価できたと思うし、あえて悩みを具体化せず矮小化したことが上手く機能したと言えるかもしれません。「リズと青い鳥」で感じた嫌悪感を本作に持たなかったのは、人気作に胡坐をかいていないオリジナル作品だからだと思います。
こうやってしばらく考えてしまう作品に仕上げてくるのは力はある人なんだなあと思います。批判的というよりはトツ子とはなにか?を考えさせるし、トツ子がいることできみがどう救われたかをぼんやりと考えてしまいます。
ただ「きみの色」という作品が皮肉なことに「山田尚子の色」を意識しすぎて、アーティー(芸術家ぶっているという悪い意味)な作品になってしまっています。もっと進化しないと…興行収入的に厳しいでしょうけど、次回作くらいは作れる可能性があるんでしょうか?だとしたら次で自分の色から脱出してほしいところです。それこそが本当のきみの色になるんじゃないでしょうか。
2回目を見て、ちょっと評価を下げたい気もするし、うーん、隠れた意味…というより、山田尚子氏が意識していない無意識の何かがそこはかとなく感じられるのである意味では評価を上げたい気がするし…
1回目視聴レビュー
トツ子が天使という事?文学のような文学じゃないような…
冒頭の30分くらいの第一印象ですが、ヒロインは「けいおん」の唯で「聲の形」演出で「リズと青い鳥」風味と言う感じで、山田尚子氏の手持ちの素材を全部混ぜたような感じだなあと思いました。要するに既視感があってちょっと退屈な気がしました。
それとヒロインを小太りのそばかす、天然の性格造形、名前が「トツ子」と言う部分でポリコレ意識を感じて少し作品との距離感は感じます。
ただ、その印象のまま見続けていて最後まで見ると決して視聴後感は悪くないんですよね。面白かったかと聞かれると、課金してみたからなんとか最後まで見られたのかもしれないという気がしますが、一方で3人の行く末を見たい気になったのも確かです。
文学性があるような無いような。山田尚子氏の内面…それもドロドロしたものをさらけ出した私小説感はないし、文学っぽいストーリーを頭で考えたようなあざとさは確かにあります。
色が見える、退学、テルミン、太陽系、カトリック、長崎そしてバンド。そういう設定がそれぞれのキャラ描写に活きていたかというと、1回目では読み取れませんでした。
泊まり込んで皆で話し合った雪の日の一夜を描きたいという意図なのかなとは思います。そこがストーリーの構造的には修学旅行と対になっていると思います。学校の仲間とは修学旅行に行かず、(アクシデントではありましたが)合宿には行ったということですね。
そして、ヒロインはトツ子ですが最後のシーンを見ると、ダブルヒロインの1人「作永きみ」を描きたかったのかなという気はします。まあ、だから「きみの色」なんでしょう。そして「きみ」とは視聴者でもあるのでしょう。
この子が退学する理由がドラマになっていないのが、一番のポイントと言えばポイントなのかもしれません。祖母と対比すると何かに言われなき反発をしたのかもしれませんが、そこを描かないことで作品として成立している気がします。つまり、見ている個々人がその裏に何を見るかで意味が変わるような、自分のIFを重ねるような…わかりませんけど。だから「きみ」の色ということです。
名前を考えると「日暮トツ子」の日暮は日々の暮らしを淡々と生きているような、無垢性を感じます。トツというのはトツトツという言葉にすると「上手くしゃべれない事」ですから、言葉が苦手だというのが特徴なのでしょうか。
本質を色で見れるところ、自然に祈ってしまうところ、踊るところ、言葉を持たないことこなどはそれを表しているのでしょう。それが、すなわち聖性であって要するにカトリックと合わせて巫女であり天使なんだと思います。愛のキューピットととると考えすぎかな。だから、修道女先生の日吉子が日暮トツ子を気に掛けるのも、そういう意味なのかもしれません。もちろん日吉子は昔の自分とトツ子を重ねている気もしますが。聖性があって無垢だからトツ子は奥行きというか内面が見えない天然キャラなんだと思います。
あとは太陽系の中心は日だからなあ…というのもちょっと意味があるのかもしれません。
(追記 いまボーっと音楽のシーンを見ていたら、舞台を正面から見たカットで、トツ子のバックが天使なんですよね。やっぱりトツ子=天使でいいんじゃないかと思います。あ、あと「フォレストガンプ」の主人公とか、「漁港の肉子ちゃん」の肉子とちょっと類似性があるなあと思ったりもしました)
影平ルイのテルミンは、本質は個性があるけど親のレールから離れられないということを象徴しているのかなあ?
音楽のシーンをかなり長くとっています。映像からはあまりそこに意味が込められているとは思えません。音響がセリフと音楽のバランスが悪くて歌詞が聞き取りづらく確認していないのです。3人が作った作品をわざわざ尺をとって見せているので、歌詞が聞き取りづらいのは非常にもったいないです。がんばって聞いたところ、何か曖昧な青春の感情みたいな歌詞な気もしました「水金地火木土天アーメン」は非常に耳に残ります。
映画としてはエンタメ性が不足しているという事もできますが、じゃあ、他の見せ方があるかというと、難しいですね。アニメ映画として不満足かというと、わかりません。正直、やっているパーツパーツはありきたりですが、トータルで見た場合、感情…いや、むしろ意味性を探して思考が動くかなあ…うーん、よくわかりませんが、この作品は人気はでないだろうなあというのはわかります。
アマプラで見たのである程度、いきつ戻りつ考察はしましたけど、映画館でみたらどういう印象になるんでしょう?
作画は素晴らしいです。音楽はそれほどでもないけど悪くはないという感じです。ストーリー、キャラは…うーん、うーん…本当は評価できずで3と言いたいところですが、まあ、一応3.5点かなあ。オール3.5で作画を5にするとちょうどいいかも。