Rera さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:今観てる
途中からだが感想を書きたい
(第15話感想)
ヨレンタを助けたシモンは、結局彼女の身代わりとして処刑されてしまう。
しかしそうなることは彼もわかっていたはずで、それよりも自身の正しいと思った道を進もうと決心したのだろうか。
彼の死によりヨレンタが捕らえられることはなくなった。
それから、この時代の死生観というか、キリスト教の思想というのか、信仰に身を捧げるというのか、やはり天国に召されるという考えがあるからこそ、そのような行動をとれるというようにも思える。
現代より死が身近な時代だったからこそなのだろうか。
そして「地動説」に対する信仰は執念とも呼べる方法により、次へとバトンが受け継がれる。托した相手が彼らを告発したと思われるクラボフスキだったとは。
バデーニは託すべき相手として、はじめから計画していたということか。見えない糸を手繰り寄せるように運命が次へと引き継がれる。
(第16話感想)
いきなり25年後。異端解放戦線によってオグジーの書いた日記が発見される。
異端解放戦線はこの日記の存在を知り探し求めていたようだ。
バデーニの名も出てきたということは、異端解放戦線には2人の名を知っているものがいるということになる。
おそらく異端解放戦線を指揮しているのはヨレンタではないか。
アントニが司教になって登場したが、これは明らかにヨレンタを捕らえようとしている。
神を否定するシュミットの思想はちょっとやばいが、教会の権威は徐々に失墜し、宗教改革前夜というような状況だということなのだろう。
(第17話感想)
16話と17話は同時進行。16話でなく17話で第三章が正式に開幕。
主人公ドゥラカ登場。
資本主義の芽生え。共産主義的思想との対立がすでに15世紀からあったという設定は興味深い。
ドゥラカの叔父は良き大人かと思いきやまさかのクズ男だった。
生きるためには手段は選ばない。売られたドゥラカもそんなに驚かなかったような表情から見ると叔父のことをあまり信用していなかったのか、あるいはこの時代の世の常なのか。
そしてドゥラカを買ったアントニも何かを探しているようだったが、酒を探していたわけでもないような気が。やはり異端解放戦線を追っているのか。オグジーの日記の行方はいかに。
(第18話感想)
ドゥラカとシュミットの禅問答。
ドゥラカの功利主義とシュミットの自然主義、大きく異なっているようで、案外近い考え方のようで。ソクラテスとプラトンの対話を見ているようだ。
その前のアントニとドゥラカのやり取りも興味深い。
アントニも教会の権威が失墜しつつあることを憂いているようである。
だからドゥラカを連れて行こうとしたのではないだろうか。
この3者の思想はこの後に続く宗教改革の萌芽になっている。
この作品はリテラシーが試される。もう生半可な知識では語ることができない。
異端解放戦線の組織長はやはりヨレンタだった。
25年経って40歳近い年齢のはずだがとても凛々しく目に映った。
(第19話感想)
ドゥラカとヨレンタの会話。ただ二人が話しているだけなのに、なんというか、痺れるような緊張感が漂う。
二人の話す言葉の一つひとつがこの先訪れるであろう新たな世界を予言しているようだ。ヨレンタはこの25年、何を思い、何を考えて生きてきたのだろうか。
そしてそれはノヴァクも同じ。25年ぶりに聞いた地動説。人生を狂わせた忌むべき存在。すべてを奪い去った地動説に再び立ち向かう。
果たしてヨレンタとノヴァクの邂逅はあるのだろうか。あったとしてこの二人はどう対峙するのだろうか。
エンディング「へび」が何故かいつも以上に心に響いた。
(第20話感想)
ヨレンタの自爆には正直驚いた。それも「最新技術」の「火薬」を使って。大音響は心臓をえぐるのに十分だった。
話の成り行きからヨレンタが死を覚悟していることはわかっていたが、自爆は想像しなかった。
ヨレンタとノヴァクの邂逅はあると思っていたが、それは誰もが予想できる筋書きに過ぎなかった。
かくして異端解放戦線組織長の死によりノヴァクの思いは皮肉にも達成された。
そして継承者がまた一人達成感とともに美しく消え去り、地動説のバトンは次へとつながった。
ヨレンタはシュミットらに活字を託したが、もう一つ保険をかけた。ドゥラカに渡したあの小瓶。
ヨレンタはポトツキへの利益分配の話をしたが、その意味をドゥラカもいずれ知ることになるのだろう。
火薬について。火薬は中国の唐の時代に発明されたとされる。
ヨーロッパへはモンゴル帝国による支配によってもたらされる。
日本へも同様に蒙古襲来時に火薬の使用の記録がある。
また「火薬」が登場するアニメとして「もののけ姫」がある。作中では大砲の原型である「石火矢」が登場する。
「もののけ姫」の時代設定は鉄砲伝来以前、応仁の乱の頃であり、つまり本作と同じ時代である。
(第21話感想)
今回は多くの伏線が回収され、そのすべてが地動説の継承という一点に収斂していった。
ヨレンタからもらったフード。ドゥラカは身に着けていた緑のスカーフを捨て去り、その想いを託されたかのようにヨレンタのフードを身に着けた。
鉛銭はやはり重要なアイテムだった。ドゥラカは肌身離さず持っていた鉛銭を活字の修復のためにここで差し出した。
スカーフも鉛銭も父親の形見。父親との過去を振り切りドゥラカは思いも新たに前を向く。
フライの裏切りは予想通りだったが、彼は25年前の「あの時」の少年だった。異端思想を持った叔父に家族を殺され、その時復讐を誓っていたのだった。そして25年の時を経てそれを果たそうとした。そう彼もヨレンタと同じなのだ。ヨレンタもまた25年を掛けてオグジーの日記を探し出し地動説を次代へと託した。四半世紀という時を経てもなお人の執念は生き続ける。
ドゥラカはシュミットたちがヨレンタの目的を達成するために行動するなら、私は彼女の「想い」を繋ぐと言った。
これはそれまでのドゥラカの合理的な考え方ではない。「想い」という曖昧で感情的なものには彼女は興味はないはずだ。しかし彼女はヨレンタから手紙とともに「想い」を託された。だから私が逃げることができれば「想い」は繋がると。
思想からすればコイントスは神に選択を委ねることであり、シュミットの役割であるはずだ。それを神を信じないドゥラカが行おうと言う。
シュミットは神を信じているにもかかわらず、自らの手によってコイントス(神の選択)の結果を覆した。
ドゥラカとシュミットの思想は交わり、コインのように表裏が入れ替わった。シュミットにとってはドゥラカの「想い」に応えることは、その可能性を信じた極めて合理的な選択だったのだろう。
活版印刷により教会による知識の独占は崩れていく。我々もまたメディアによる情報の独占が完全に崩れ去るのを今まさに目撃している。こうしたところにも、この作品の凄さの一端が垣間見える。
(第22話感想)
衝撃の回である。これまでのストーリーの根本を覆す衝撃的な会話。
アントニの口から放たれる容赦のない言葉の数々。
激しく動揺するノヴァク。
アントニの言葉はそのまま我々読者に向けられている。
だがこれは考えてみればすべて「虚構」である。
私も作中世界では地動説は異端であると信じ込まされてしまっていた。
地動説で異端とされた人はすべて非公開処刑。
だから処刑された人の記録はない。
ノヴァクに関する記録もすべて廃棄され、すべてはなかったことになる。
すべては歴史の登場人物ではない人たちの話としての創作だった。
すべては「仕事」。登場人物たちは読者に地動説迫害を信じ込ませるために役割を演じていたのだ。
最後に大どんでん返し。
史実と虚構が入れ替わる、これこそコペルニクス的展開。
(第23話感想)
前回に続く衝撃。アントニもノヴァクもドゥラカも死んだ。
生き残ったのは、鳩と一通の手紙だけだった。
アントニの死は自業自得として片付けられなくもない。打算的で合理的な考えによってノヴァクに殺されたのだ。
皮肉なことに最後まで神の教えに忠実だったのはノヴァクだけであった。
ノヴァクも死を覚悟していたのか。酒は放火するために用意したものだった。そして松明を掲げての侵入である。
しかし老いは隠せなかった。ドゥラカを刺したが返す刀で刺し返された。ドゥラカの機敏に動きについていけなかった。
ノヴァクは、異端解放戦線の組織長がヨレンタであることは薄々気づいていたのかもしれない。でもそれを知ることが怖かったのではないだろうか。あの腕に手袋をはめることなどいつでもできたことだ。
それでも最後にヨレンタが天国に召されることを神に祈ることができた。それが彼の唯一の救いとなった。
ドゥラカも死を覚悟しての行動だったと思うが、その運命はアントニの協力を得るというところまでだった。彼女はヨレンタの思いを受け継ぎ、嫌いだと言っていた朝日のもとで死んでいった。辛うじて信念を曲げなかったが、彼女もまた地動説に翻弄された一人であった。
こうしてまた地動説継承の物語は一縷の望みを託して終わった。
おそらくあの鳩はアントニから渡されたものなのでどこかの教会へと辿り着くのだろう。
そして手紙は誰かによって読まれたのだろう。
ここで第三章終了。
1468年、ポーランド。いきなり具体的な時代と場所が明示される。
果たしてあの鳩はこの地に降り立ったのか。
あと残すは2話。あの手紙と地動説が迫害を受けていない世界線とつながりは、どのように回収されていくのだろう。
ここまで書いてふと思い出した。バデーニに地動説を託されたクラボフスキはどうなったのだろう。
バデーニが名も知れぬ貧民の頭に書き残した地動説を読んだのはクラボフスキだけだ。
彼の行方とその後は形を変えて描かれるのだろうか。興味は尽きない。
(第24話感想)
学問とは何か。根源的な探求にアルベルトは感動を覚える。家庭教師はラファウ。時を超えて現れた伝道者。
彼の放つ言葉は知的探究心を刺激してやまない。父親はあくなき探求心は疑えと言った。しかしラファウは素直に従え、信じろと。
疑うことも信じることも真理の探求には必要なことだ。司祭との告解の中で少年時代を回想したアルベルトは、戸惑いと驚きを込めてラファウとの想い出を語っているようだった。そこで何があったのか。
そして最終話で何が語られるのか。それが、「チ。」という物語の終着点となるか。
ラファウは言うまでもなく第1章の主人公である。地動説を愛していると言って自害した少年が、現実世界で何を語るのか。
アルベルトは現実世界でもコペルニクスの師匠となった人物である。ラファウから見ればコペルニクスは孫弟子ということになる。
「チ。」は現実世界でも語り継がれる。歴史の大きな転換点に立つアルベルトの口から何が語られるのだろう。
いよいよ来週は最終話。長かった物語の終着点。刮目して見よ、である。