「ふれる。(アニメ映画)」

総合得点
計測不能
感想・評価
9
棚に入れた
35
ランキング
7878
★★★★☆ 3.8 (9)
物語
3.7
作画
4.3
声優
3.4
音楽
3.9
キャラ
3.7

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ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

ふれて、抉って、突き進む。

先日、TV番組で、長井監督のインタビューを観ていて、繰り返し「ふれるは、かわいい。」とお話しされていました。
「うーん、そうかもだけど、これは表向きのサービストークで、きっとちゃんとしたテーマがあって、抉るようなメッセージが組み込まれているんだろうな。」って思いました。
というわけで、さっそく劇場に足を運んでみました。



{netabare}初見としては、ちょっと受け止めが難しい印象でした。
キャラデザ、かな? 声優さん? それともシナリオ? なんだろう・・・。
いろんな解釈や評価が生まれそうな作品と言っておきますね。

最初は、岡田磨里さんの強みでもある、狭い世界の人間関係の設定がベースにあって、青少年期のコミュニケーションにつまづく擬(もどかし)さだったり、衝突だったりが描かれていると感じました。
そんな思春期特有の縮図を抉り出し、やがて深い情動へと昇華させるスタイルとパターンが踏襲されていたかなと思います。

次いで、SNSに依存する風潮とそのリスクが、教訓的指南として暗喩されていたように感じました。
主人公の、秋くん、諒くん、優太くんは、小学生時代から "ふれる" に馴染むあまり、おそらくは10年近く、文字も言葉も端折ってしまう "いびつな関係”に安住しています。

でも、彼らはそれを異常とは思わず、むしろ "ふれる" のおかげで相互の信頼が出来上がっていると信じ込んでいます。
それは、本当はいびつなコミュニケーションなんですが、そう凝り固まってしまったのも "ふれる" に長く依存してきたからでしょう。
その結果、社会のリアルへのアジャストに少しずつズレが生じ、ついには3人で積み上げた関係性も足元から崩れてしまうに至るのです。

今、子どもたちは生まれながらにして、SNSとは切っても切れない線でつながっています。
ですから、3人が糸でつながったシーンは十分に納得できます。
彼らの主体性は、成人になっても、"ふれる" を便利に使う内向きなスタンスのままなため、会社や学校という外側に対しては、うまく対応できないことで頭打ちになっています。

それでも諒くんは上司に揉まれ、優太くんは同級生に囲まれているので、どうにか救われる気配を感じますが、秋くんは誰とも没交渉気味なので、内からも外からも気づきが得られず、なかなか自救力が芽吹きません。
そんななか、2人の女性(樹里と奈南)と暮らしをシェアすることで "ふれる" のほうの表情や振る舞いに変化が生じます。

思うに、カミサマにも自己承認欲求があって然るべきですから、人間には崇敬されたいし、愛されたい想いを期待しているわけです。
でも彼らの関心が女性に移ったことで、 "ゆれる" のそんな想いが損なわれ、傷ついてしまったと解釈できそうです。

いかにも素朴で土着、世間に疎そうな "ふれる" が、頬をほんのりと染めて揺らぐシーンは観ていて微笑ましかったですが、その実、本心の部分では、ちょっと怖いくらいの演出で描かれたのも、私は深く頷けました。



"ふれる" は、元々は、島の端にある祠に幽閉されていました。
いにしえの言い伝えは、絵本に描き起こされ、子どもたちにも認知されているようですが、なぜ幽閉されたかまでは綴られなかったようです。
一般的に、カミサマの謂れは、人間のときどきの都合で、善きことは伝承されても、悪しきことは書き換えられ、埋没させられてしまうことがままあります。

現代でもそれは同じで、不都合な真実はまともには表には出てきませんし、都市伝説などと面白おかしく脚色されて扱われる傾向があります。
SNSと言えば、それこそ噂の宝庫で、玉石混交のごった煮です。
そんなパンドラの箱を提供する企業側の無作為と、人権擁護の情報開示請求とのせめぎあいが、現時点での到達です。

表現の自由に対する権利の保護の課題は喫緊のものであり、大人は百花繚乱に指摘しあっています。
でも、そんな環境は、子どもにしてみると、善悪のバランス感覚も取れず、十分な知識を獲得する機会とはなっていません。

保護者でもうまく説明できないものを、どうして子どもが腹に落とし込めるでしょう。
むしろ安直に面白おかしいのが良く、無批判のまま捉え、今どきの流行りとして、それが僕らのカルチャーと受け止める傾向のほうが強いでしょう。

SNSは、世界の国境も、文化の垣根も、意識の壁も、たやすく乗り越えるという強みを持っています。
それは、時に寝た子を起こすことになります。
知的好奇心を高めたり、融和を進めたりもありますが、反面、さまざまな立場や主張から、軋轢を引き起こしたり、罵詈雑言をぶつけあったりもします。



フェイクニュースやカウント稼ぎ目的の独善というマイナスの側面に対しては、ファクトチェックやアカウントの停止、プラットフォームの設計変更にも及ぼうとする昨今。

"ふれる" は、そういった人間文化のうらおもてや、人格形成の難しさに触れようとする、けっこうデリケートな作品なんですね。
SNSに蔓延る正常性バイアスのリスクを示しながら、過度に頼らず、経験を積み、知見を高め、自分の頭脳で未来を切り拓いて行くんだよというメッセンジャーという役割。

その意味では、"ふれる" は、深い自己覚知へのアプローチを促し、社会と関わる力を育むという、かなり特殊で、ありがたいご利益を授けてくださるカミサマだったのかもしれません。



長井さんが何度も口にした「"ふれる" は、かわいい。」
それは見ため優先に、軽く済ませるだけではなく、しっかりと距離を詰めるところから始めるという意味もあるでしょう。

これを反語的に捉えれば、人や社会のウワベに触れるだけでは、評価を誤る場合があるから、探求を弛まず、実践で検証し、自分のブランド力を高めるのが、かわいくてかっこいいという意味も含まれているのかも知れません。

秋くん、諒くん、優太くんは、"ふれる" を通じて得た多くの体験を糧にして、それぞれに似合う道を切り拓こうと物語を締めくくりました。

本作は、そんな若者たちの日常に見え隠れする課題を、ほどよく効かせたひねりと風刺で匂わせながら、その心の再生に柔らかに寄り添ったエールを送ってくれています。



まとめとして、私は本作に、以前の作品群とは明らかに違う視点と切り取り方を感じました。

一つには、心が抉られるようなしこりは残らず、ふわっと背中を押してくれるような爽やかな残り香を感じたこと。
二つめは、人の自己覚知と自我形成には、目の前の社会的課題を無視できなくなってきているというプロデュースのスタンスの変化です。

面白かったかと言われれば、答えに窮するところがあります。
でも、秩父から、新しい風が吹き始めているのかも知れない・・と感じるところはありました。
そんな想いを胸にしまいつつ、劇場の出口から見上げた空は、すっかり秋の表情に変わっていました。
{/netabare}

投稿 : 2024/10/13
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サンキュー:

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