とまと子 さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
光を想う
1期に続けて観ました。原作漫画はゆっくりながらも現在も連載中…なので”ほんとうの結末”はまだこれから、ですね。
1期のときからこのアニメを観て感じていたことがあって、それは「父親の不在」です。
川本家には父親がいませんし語られることもなくて、棋士たちついても、少なくとも「普通の幸福な家庭の父親」という姿はどこにもありません。1期の最初の方では、家族に疎んじられている父親や、離婚が決まっている父親が登場しています。
零にとっても、実の親はすでに亡くなっていますし、育ての親についても、小さなころに何気なくもらったカーディガンを大切にしているほどに父親と子としてのつながりは希薄で、「父に求めるもの」と「実際の父のあり方」の間にはとても大きなギャップがあるようです。
香子にしても、得られなかった父親像を求めるいわゆる”ファザコン型”の恋愛をしているようにも思えます。
でも(1期の感想にも書いたことですが)、登場する父親たち、あるいは男たちは、家族も含めて誰かとの繋がりのために…誰かとの繋がりがあるからこそ、闘っています。
この物語の時代設定がいつ頃なのか詳しくはないですが、うがった見方をすれば「父が金を稼ぎ、母が子を育てる」みたいな昭和的なカタチがありながら、実際にはまったくそれが機能していない状況を描いているようにも見えてきます。
父に守られなかった子どもたちは、みな残酷な状況に置かれているのです
この2期では、いじめの描写があります。
生半可な気持ちで描いてはいけないテーマだと思うのですが、羽海野チカさんはとても誠実に向き合って、考えられて描かれたのだと感じます。
一番そう感じたのは、ひなの「こんなところ、生きて卒業さえすればわたしの勝ちだ!」という叫びです。
「生きて」
そう付け加えなければならないほど、環境は残酷です。
羽海野さんは、この言葉をどうしても伝えたかったのじゃないかな…?と、これは勝手な想像ですが。。
この物語では、途中から学年主任の国分先生が登場し、まさにライオンのように闘って問題を(一応の)解決へと導いてくれます。
その国分先生が「”教育”の”育”の字がなかったら、こんなこととうに投げ出してるよ…」とつぶやきます。
現実では、投げ出された”育”の字は誰にも拾われず、今、子どもたちは、わたしたちは、まさに、命をかけて闘っています。
物語の中でですけれど、ひなはその闘いを闘い抜いて、そしてきっと今も闘っています。
引っ越してしまったちほちゃんも闘っています。
それは出口を求めて、光を求めての闘いなのかもしれません。
でもこの物語は闘うひとそのものが「光」となって、別の孤島で闘っている誰かのちからになることも描いています。
零がひなに見た、ひなから貰った「光」はとても強くて、大きくて、零は一生をかけてその”恩”を返すと誓います。
そしてその想いは、零自身が闘うエネルギーとなっていきます。
だけど実際には零はジタバタするばかりで解決なんてできなかった。
ひなの窮地にも何もしてあげられなかった…ただ見ていて、話を聴いていながら何もできなかった…と、落ち込みます。
雄ライオンは、他の雄ライオンと戦うことはできても、嵐や雷雨とは闘えません。
でも、それでいいのかも知れません。
見ていてくれていること。
聴いてくれること。
ただそれだけのことをしてくれる、ひとりででも闘い抜いて生きていけるほどの生命力を持つ存在がそばにいてくれるのなら、それ以上に誰かになにかを求めることはないのかも知れません。
もしこの物語が進んで零とひなが家庭を作るようなことがあったら、それを忘れて”理想の父親”として暴走しそうになる零に、ひなちゃんがそのことをしっかり思い出されてくれるのじゃないなか… とか、妄想したりもしていますW