蒼い✨️ さんの感想・評価
3.6
物語 : 3.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
やりたい放題。
公開前のふたつのPVを拝見しても特に惹かれなかったのですが、
観ないとしこりのように心の片隅に残り続けているので観に行きました。
自分が足を運んだ上映館では、7月12日公開の「キングダム 大将軍の帰還」は盛況でしたが、
8月30日公開の「きみの色」は車椅子席含む全118席のスクリーンで観客は自分を含めて4人でした。
ちな、周りの3人はおじさんおばさんで青春ど真ん中世代の若い人は1人もいなかったです。
50代と思しき女性客が目に入る座席位置にいたのですが、退屈だったのか途中で寝ていたり、
起きているときは眠気に耐えるためなのか首を回すなどの運動をしていました。
かく言う私がこのアニメ映画が退屈で仕方なかったので。
勝手に代弁したつもりになっているのかもしれませんけどね。
これはガールズバンドアニメではなくて、高校生の年齢の女2男1の若い3人が、
しろねこ堂という書店で出会って、ほとんどでまかせに等しい会話の流れでバンドを組んで、
女子校の学園祭でオリジナル曲を披露する。ただそれだけの話。
長崎の全寮制のミッションスクールの寮生である、幼少の時分よりぽっちゃりな主人公が日暮凸子。
メンタルの問題で女子校を退学してるのに保護者である祖母には隠していて、
制服を着て通学しているふりをして日中は古書店で店番のアルバイトをしている美少女の作永きみ。
五島列島の離島の女医の息子で家の仕事を継ぐのに医学部を目指して受験勉強をしているが、
本当は楽器演奏に興味あって自分に期待している母親に隠れていろいろやっている影平ルイ。
この3人でバンドを組んでの日常話で、家族への隠し事で後ろめたさがあるのが、きみとルイ。
それを朗らかでのんびりした凸子が人の心を色で認識できる特殊能力で見たままに、
心がきれいだと凸子が讃えることでふたりが励まされていって、
それで別に積極的に状況を変えようとするのでもないですが、
意地が悪かったり抑圧的であったりする人間が誰一人もいない優しい世界で、
ケ・セラ・セラ(なるようになるさ。)的に話が進んでいき、
きみとルイの問題も、漸く打ち明ける決心がついて保護者に告白して解決していく。
本当に単調な話なのですが、それはアメリカの神学者ラインホルド・ニーバーによる、
ニーバーの祈りの文節を元ネタに作られた物語らしいです。
「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。
これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。
あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、
天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。
アーメン」
要はこの監督さんが様々な作品で祈りとか懺悔をテーマにしたくなったかのような精神状態の一環で、
いい子が嘘をついたり隠し事をしているのに罪の意識を感じて、
告解(この場合は罪を保護者に告白して許しを受けること)をする。
人間は間違っても良いんだ!無理しなくていいから頑張れ!頑張れ!という話を淡々と描いています。
物語としては山場のない日常の積み重ねであり、その朗らかさに楽しさを感じる方々もいれば、
真っ暗な劇場でそれがライブシーンが始まるまでの80分間ずっと続くのは、
私には睡眠導入剤代わりにちょうど良かったです。
そこから、バンド名しろねこ堂のオリジナルソング3曲が学園祭の舞台上で披露されるのですが、
けいおん!のライブシーンの盛り上がりの再来を狙ったところでしょうか?
けいおん!やたまこなどの過去作品を彷彿させる愛嬌のある表情の作画はきれいですが、
頭が小さく眉毛が細かいなどクセが強いキャラデザは好みではないですし、
凸子の心が色で見える設定も抽象的な演出の理由付けにとどまり、
ストーリーに深く絡まることもなく、はっきり言いますと無くとも話が成立します。
きみと祖母の問題、ルイくんと母親の問題なんか、引っ張ったくせに数秒であっさり流されて、
葛藤が描かれることもない保護者の方々も、子供たちを許すだけの存在でありますし、
そこは子供たちを信頼して見守っているから、衝突なんて起こりようがないということですか。
あえてドラマ的な起承転結を崩すことによって疎かにされてる部分が多いですね。
地味な話ですが、かといって丁寧にシナリオが作られているというわけでもなくて、
他の方も書いていることですが、きみの退学には同居している祖母の許可は要らないのか?
祖母が知らずに隠し通せているのがおかしいというのももっともで、娘の世話を老母に丸投げして、
普段は家にいない自由人気取りの母親が賛同して判を押した話が小説版?であると聞きますが、
きみの母親は映画では存在すら触れられていなく、家庭の事情を映画で省いているのは、
入場料を払って観に来ている客に不誠実ではないのか?
徹底的に削ぎ落として観客に行間を読ませる脚本も省略の度が過ぎていますね。
ストーリーの都合で精神的に去勢されているキャラクターの面々に、
クリエイターの脳内で作られた世界の人畜無害さに一種の不気味さを感じるのはおかしいでしょうか。
そもそもバンドのメンバーで唯一の男子の影平ルイくんが女子ふたりに抱きついたりで、
距離感が同性に対するものでおかしいです。
いかにも年頃の男性との会話が無さそうな箱入り娘が妄想で創ったような、
ふわふわしていて無味無臭のメガネの王子様で、仕草や声にも男性味がないですね。
監督が男性の心理とキャラ付けについてはおざなりでモヤシキャラになりがちな、
京都アニメーション在籍時から続く欠点を直そうとしないならば、
そもそもバンドメンバーの1人を男性キャラにしないほうがマシだと思いますね。
だってな、これ設定上は男なだけで中身が女子キャラよりもか細い女の子じゃない?
きみがルイへの恋心があるのが匂わせ程度に描写があるのですが、気付かない人は気付かないですよ。
今の環境で監督がやりたいことだけをやる、それは商業的成功と相反するものであり、
新海誠監督でも売れるためにある程度の妥協を加えてヒットメーカーになったのとは逆に、
この人は京アニの頃に出来てたことをやらずに、「ひと山当てたい」と習字を披露したのに、
自分は作品づくりに集中してる、プロデュースや商業的な部分はお任せしています。
と別の場所では言ってみたりで、どっちなんだよ?と思ってみたりですね。
監督本人が公言していることとは別に、
プロデュースする側が作品以上に監督の宣伝に勤しんだりしているのですが、
結論ありきで監督がやりたいことだけをやった展開の寄せ集めと演出技術集では大ヒットとはいかず、
伝わる人にだけ伝われば良いとあきらかに観客をふるいにかけている作品づくりと、
大勢の人に観てもらって売りたいプロデュース側との意思統一ができてない、
このちぐはぐさに、今の環境と作品の路線を続けるのなら、
『世界が注目する』などの巨匠っぽく見せかけようとする売り方は無理があり過ぎますし、
公開規模を冷徹に算出しないと興行としては危ういなと思いました。
天才と言われた人の現実がこれですね。
何度も観れば新しい発見や別の見方があるかもですが、早々と終了する館が散見しているのと、
また劇場で最初から観るのは厳しいですので、動画配信サービスを待とうと思いました。
おしまい。