「天空の城ラピュタ(アニメ映画)」

総合得点
90.7
感想・評価
2362
棚に入れた
14227
ランキング
49
★★★★★ 4.2 (2362)
物語
4.4
作画
4.2
声優
4.0
音楽
4.3
キャラ
4.2

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ネタバレ

青龍 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

なぜシータの先祖は「ラピュタ」を壊さずに残したのか?

先日、地上波で19回目の再放送があって、某レビュアーさんに触発されたこともあり、今さら紹介も不要でしょうから、感想(考察?)のみ書こうと思います。

【「シータ」と「ムスカ」】
{netabare}本作のヒロイン・シータの本名は、「リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ」。「トエル」は、ラピュタ語で「真の」、「ウル」は「王」を意味するらしいので、シータの本名は「真のラピュタ王」(リュシータ王女)であることを意味します。

対して、「見ろ、人がゴミのようだ!」などの台詞でお馴染みのムスカ大佐の本名は、「ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ」。「パロ」はギリシャ語で「従属」を意味するらしいので(※パロディのパロ)、これは、彼が王家に連なりながら、宗家が存在する限り、決して王になることはできない分家であることを意味します。


かつて「天空の城ラピュタ」が有する圧倒的な軍事力によって、世界のありとあらゆる富と絶大な権力を手中にしたラピュタ帝国。

その宗家の子孫であるシータは、今やその栄華は見る影もなく、寂れた寒村で両親や祖母が残した、わずかばかりの畑を耕しヤクを飼うという慎ましい生活をしていました。

これとは対照的に、分家のムスカは、軍で28歳(※あの見た目で!(笑))にして大佐という地位にまで上り詰め、その地位を利用して、ゆくゆくはラピュタの力を手に入れ、新たなラピュタ王として全世界に君臨するという大望を抱いています。


分家のムスカにしてみれば、ラピュタを復活させる鍵である「飛行石」を有していながら、こんな貧相な生活を送っている宗家が何とみすぼらしいことか!と思っていたに違いありません。

では、なぜ宗家は、栄華を極めた天空の城を捨て、慎ましい暮らしを送るという選択をしたのでしょうか。


【あらゆるものを手に入れてしまった者であるが故の虚無感?】
もちろんこれから書くことは私の想像ですが、個人的には、誰もが憧れる世界中の富と、誰をも従わせることができる権力を手に入れてしまった者であるが故の虚無感からだと思っています。

確かに、一度は誰しもがそんな富と権力を手に入れたいと思うことでしょう。しかし、実際にそれらを手に入れた者が、じゃあ「世界で一番幸せなの?」と問われればあやしいところです。

なぜって、そんな自分の地位を羨み、その座を奪おうと、毒殺、暗殺などの危険が常につきまとい、身内も信用できず、プライベートの空間ですら気の休まるところはないでしょう。

また、そもそも人間の欲望は無限ですから、何か目的を達成しても、その瞬間から次の目的を達成しなければ満足しません。人生は、これを永遠と死ぬまで繰り返すだけで決して満足することはない。

正にアルベール・カミュの『シーシュポスの神話』における、神々の言い付けを守って山頂に岩を運ぶシーシュポスが、運び終えた瞬間に岩が転がり落ちて元の場所に戻ってしまうという「不条理」と同じです。


いうなら、富と権力って皆欲しがるけどさあ、実際に手に入れてみてわかったんだけど、そんなものに意味なんてなかったよ(そんなセリフ言ってみたい(笑))、という虚無感というか、無常観なんだろうなあと。


もっとも、仮にそうだとすると、なんで宗家の人たちは、「ラピュタ」をぶっ壊さなかったのかと疑問に思うわけです。しかも、簡単な滅びの言葉さえ唱えれば済む話なのですから。


【なぜシータの先祖は「ラピュタ」を壊さずに残したのか?】
さて、もちろん物語の必要からラピュタを残したという理由はあると思います(笑)。また、ラピュタの形からして旧約聖書の「バベルの塔」(ブリューゲルの絵画)のお話も関係あるとは思います。
もっとも、こっからは、もう少し妄想に妄想を重ねるお話をしたいと思います。

王家の人たちは、基本的に権力争いなどラピュタ帝国に嫌気がさしていたので、とりあえず今の生活はやめて、ちょっと地上に降りて普通の生活をしてみようやという話になった。
でも、普通の生活もしてみて、やっぱり前の生活の方が良かったとなったらどうするの?という人たちがいて、その人たちを納得させるためにラピュタを残したんじゃないかと思うわけです(そういうことで揉めることも嫌なくらいだったのかもしれません。)。

ラピュタを捨てて地上に降りた王家は、その際に「トエル」宗家と「パロ」分家に分かれた。
そして、その宗家の人たちというのは、ラピュタ帝国の中でも栄華を極めまくって、その生活にすっかり疲れきってしまった主流派の人たちで、ラピュタに未練はなかった。これに対して、分家の人たちは、王家の中でも栄華を完全に享受できなかった人たちで、かつての栄華にまだ未練があった反主流派の人たちだったんじゃないかと。
(※大勢として、ラピュタは不要なので宗家がラピュタ復活のキーとなる「飛行石」を保有して、その使い方の知識は分家が保有して、双方の合意がないと復活できないようにしたとか…)

それで、宗家の人たちは、かつての栄華の失敗を伝承として残しつつ、結論として普通の生活の方がいいやってことになったんだろうなどと愚考する次第であります(笑)

ちなみに、宮崎駿監督の経歴などを見る限りですが、そういう発想が根底にあっても不思議ではないかなと思っています。{/netabare}

投稿 : 2024/09/11
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