血小板 さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
転生の模範解答
無職な前世、転生後の充実な人生、異世界という独自性を筆頭に、転生ものを創作するにあたって生じる重要な事情を完璧に掬い取って、ひとつの大皿に綺麗に表現してみせた。まさしく、転生ものの模範解答のような作品である。
「転生」は力量によって、どこまでも深く主人公の人生を彫刻することができると、示した。この作品は一つの終着点であり、高いランドマークでもある。無職転生後に登場した転生ものの作品は、等しくこの目印を見上げていることだろう。
以下、簡単な感想を書く。
終盤、主人公であるルディは親という概念と今まで以上に真剣に対話することになる。ここで転生という重要な要素を回収する。それが本当に見事である。
親であるパウロやゼニスは、ルディを別世界から転生してきた年齢的に成熟した大人などと、疑うことはなかった(到底そう考えるのは不可能である)。
ルディは物覚えがよく、理性的で、変態で、まるで子供らしくない。それでも、父であるパウロに似て異性に積極的であり、母であるゼニスに似て優しい心を持った、彼らにとって正真正銘の息子であった。愛情を注ぎ、成長を見守り、幸せを願い、愛するルディという息子だった。
しかし、ルディには転生の名をもった、自分にしか認識できない隔たりがあった。
年齢的に成熟し、腐りかけた心をもって転生したルディには、彼らを親とみなすことができなかった。
ルディは彼らよりも年長者だし、彼らはやはり親としてまだまだ発展途上の段階にいて、未熟であり、危うさがある。前世と違った才能と知識に恵まれ、異世界の新鮮な空気を吸い込んだルディには、もはや新しい親など、関心の的になかったのだ。
なによりルディは自分を大人だと思っていた。パウロやゼニスの息子ではなく、ひとりでに転生してきた、本質的に成長のない、一人の大人でありたかったのだ。
この気持ちはパウロが死んだ後でも変わることはなった。「俺は子供じゃないのに、パウロは父親だった」と、この時の心境を吐露までしている。
しかし、これは誤りであるとルディは気づくことになる。
迷宮から帰還したルディは修羅場を乗り越え、シルフィとの初めての子を抱いたとき、自覚した。
体温の温もりに包まれ、ひたむきに呼吸をする新鮮な命を感じたとき、未経験の親という感情が芽生え、経験したはずの子という感情がルディの中で復活した。そして、涙が止まらなくなったのだ。新たな命の誕生と、後悔とで。
皮肉にもルディは自分の子を抱くことで、パウロやゼニスの子供であることを気づかされた。パウロに叱られた時も、喧嘩した時も、ゼニスとパウロの関係がこじれそうになったときも、ルディは、遠い目で彼らを観ていた。 自分は前世で大人だったから。彼らよりも年長者だから。無職だった、けれど、彼らの子供になるのは、前世のプライドと記憶がどうしても許さなかった。
だからルディは子供を演じていた。
パウロやゼニスはルディに純粋な愛情を注いでいた。しかし、それは華麗にかわされていた。ルディが意図的にその愛情から逃げていた。
ルディは大人だから、愛情を受ける資格はなかった。愛情は転生という壁に吸収されて、ルディにとって、すごく偽物まがいなものに見えた。それなのに、その愛情に甘えていた。
そんな曖昧な立場に意図的に立っていた自分を、親という感情の芽生えとともに見つめなおした。
ルディはパウロやゼニスの子供でなければならなかった。愛情を親身に受け止めなくてはならなかった。それが息子としての責務のはずだった。転生したとか、どうでもよかった。子供であることを全うしなくてはならなかった。それは彼らに対するルディの愛情になるはずだった。
ルディは、彼らに息子として何もしてやれなかったことに気づいた。
精一杯心臓を動かす初の我が子を抱いてルディは後悔した。しかし、パウロの心臓は動いていなかった。
ルディは、パウロの墓に立ち、彼らの息子として、今後愛情を受けることはないのだと悟った。
しかし、それでも、自分が今後必死に生きて、幸せになることができれば、それは息子として彼らに届けることができる、せめてもの愛情だと思った。
息子として愛情を享受することは、もう、できないけど、届けようと、思った。
こうしてルディは、パウロとゼニスのためにも幸せになることを決意した。
転生により複雑化した親子関係を明快に描いたこの終盤は、まさしく最高である。