ひろたん さんの感想・評価
4.0
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
人間は考える葦である
この物語は、機械生命体とアンドロイドとの戦いです。
機械生命体は、本来、感情を持ちません。
しかし、長い年月の進化の過程で感情をもち始めます。
そして、その感情があつまり、やがて文明へと発展していきます。
一方、主人公のアンドロイドたちは、機械兵器です。
それゆえに感情を持つことはなく、人間の命令に盲目的に従っています。
主人公たちの目隠し風のゴーグルはそれを象徴しているのでしょう。
しかし、この物語を通じて徐々に感情を持ち始めます。
そんな人間ではない機械たちが自我に目覚めていくお話です。
■人間は考える葦である
{netabare}
自我に目覚めるとはどういうことでしょうか?
そこでヒントになるのが機械生命体の「パスカル」の存在です。
パスカルと言えば哲学者です。
「人間は考える葦である」と語ったことで有名な人です。
そうです、自我が目覚めるとは、自分で考えることです。
今まで感情がなかった機械生命体も命令に従うだけのアンドロイドも、
自分でどうしたいか考えるようになっていきます。
それは、自分は、どうなりたいかということです。
英語で言えば、「to be」。
だから主人公の名前は 、「2B」なのです。
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■アダムとイブ
{netabare}
機械生命体たちは、人類の知識を身に着け進化してきました。
そのなかで、家族や兄弟をもちたい、愛したいと言う感情が芽生えてきます。
しかし、所詮、機械です。
人間の真似事をして、子供を作ろうとしても上手くいきませんでした。
そして、機械生命体達は、「このままじゃだめだ」と気づきます。
その集合概念が、「アダム」と「イブ」と言う特殊個体を生み出しました。
アダムとイブと言えば、知恵の木の実を食べた人間の始まりと言われています。
アダムとは、ヘブライ語で「人間」を示します。
機械生命体達の集合概念が、なりたいと望んだ人間のような個体を生み出したのです。
また、イブは、アダムから生み出される存在ですが、その意味は、「生きる者」です。
つまり、機械生命体達は、「人間」のように「生きる存在」になりたかったのです。
ただのロボットにしか見えない機械生命体と人間にしか見えないアダムとイブ。
この作品においては、一見、その関係が分かりにくいように思えます。
しかし、感情を持った機械生命体達の想いの結晶と言う単純なものだったのです。
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■まとめ
物語の構図としてはとても面白いと思います。
機械生命体を使って、人類文明が誕生する様、起源を描いたこと。
命令に従うだけのアンドロイドが最後は感情を表に出すところを描いたこと。
そこから、そもそも「人間とはなにか?」を描いてみせたこと。
機械生命体とアンドロイドは、どちらも人間ではありません。
この物語では、「人間」は、一切登場しません。
それにもかかわらず「人間」と言う概念を語ろうとしたことです。
機械だけを使い、人間抜きで「人間」とは何かを語らせるなんてとても斬新です。
なぜなら、そのためには「人間」の本質を追求する必要があるからです。
そこで、パスカルの「人間は考える葦である」の登場です。
機械生命体は、人間の真似事から始めて、いろいろ考えるようになりました。
そして、最初はただの真似事だったことが、次第に感情へと変わってきました。
一方、アンドロイドは、形こそ人間を模していますが、感情を持てません。
しかし、この戦いを通じて、自分は、どうなりたいかを考えるようになりました。
それは、まぎれもなく感情です。
この作品は、機械生命体とアンドロイドの両面から「人間」とは何かを描きます。
そして、その両者の橋渡し役として登場するのが機械生命体「パスカル」でした。
全部が上手くつながっている物語だなと感心してしまいます。
エンディングテーマの歌い始めは、この物語を象徴していました。
『感情は持たないでください、それがあってはこの先きっと辛すぎる・・・』
それでも、この物語では、「感情」を持つことは、とても尊いことだと語ります。
そして、機械たちは、そんな感情を持つことを望みました。
なぜなら、たとえ辛くても、「感情」があるからこそ「人間」と言えるからです。
最後に、石川由依さんの声、とてもしっくりきていましたね。
本作の「2B」、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの「自動手記人形」。
感情を持たない機械人形を演じさせたら石川由依さんの右に出る者はいないですね。