101匹足利尊氏 さんの感想・評価
3.8
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
令和に生きる人間たちよ。お前たちは自由か?
【物語 3.5点】
ボンズ25周年記念作品。
こうしたナントカ周年作品は、視聴者の需要を満たす直球ではなく、
自分たちのやりたいことをやろうとして、
人を選ぶ微妙な魔球になることが多い印象ですが本作も同様。
セリフ回しは説明よりも世界観を引き立てるための装飾に多く使われ、
視聴者は暗示も含む映像から情報をつかみ取りに行かないと、状況理解すらもおぼつかない。
特に第五幕は主人公ルジュが{netabare} 黒幕の人形遣い師に、夢うつつに潜在意識の中の記憶世界{/netabare} を見せられる不思議体験を視聴者と主観共有する高難度な構成になっていて、
ふるい落としが激しいですw
普段、懇切丁寧な説明調の合理的なセリフで、優しく介護してくれるアニメばかり流し込まれて“脳死”状態になっている頭で本作を見ると、
回りくどい掛け合いが消化不良を起こしかねません。
ですが、ヒトと人造人間“ネアン”との格差と分断、自由などがテーマの本作にとって、
この“無駄が多い”掛け合いこそが、人間を人間たらしめているというスタッフの主張とも思われ。
象徴的だったのが第六幕。
{netabare} 人間の身体を乗っ取って凶行を重ねるネアン炙り出し{/netabare} のため、
人間とネアンの区別を、会話に人間らしい余計な贅肉があるか否かで判別する件。
自由について、人造人間ネアンには人間を攻撃しないよう「アジモフコード」で枷がはめられていて、
この明確な鎖を解き放つことで、自由を獲得するという目標も立てやすく、対人間との紛争の火種も捉えやすい。
一方、人類については、一見、ネアンを使役する自由民ではあるものの、
人造人間などの技術は異星人“来訪者”からもたらされたものですし、
歴史や情勢は“来訪者”と“簒奪者”という、より高次の存在に左右されている。
ネアンと違って鎖は見えないけれど、真に自由かどうかは思案する所というのがミソ。
このお前は自由か?という問い掛けは、視聴者に対しても向けられていると私は捉えています。
本作で、往年の、自由奔放な人間らしい回りくどい会話劇を用意したけど、
ちゃんと消化できていますか?あなたは自由な人間ですか?
合理的なプロンプトを流し込まれるだけのAI同然に成り果ててませんか?という仕掛けなのかなと。
ハッキリ言えることは、こんな脚本、セリフ回し、
人造人間や現状の生成系AIは絶対に書かないですw
脚本で人間の矜持を見せるのが、今後もトレンドになっていくのかなと思います。
これでシナリオの着地が決まれば、物語4.0点以上が期待できたのですが、
本作は後々の展開も睨んだ大きなIP(知的財産)構想の一端で、
端から今作で全て完結するつもりはなかったそうで(※1)
監督スタッフさん、これは、いただけません(苦笑)
1クールアニメ一本で決めるつもりで行かないで、今ひとつ盛り上がらず、
結局、温存した設定がお蔵入りになっちゃう残念なパターンになりかねませんw
という訳で、今回は3.5点の微妙な“暫定評価”に落ち着きましたが、
評価が動く機会は恐らくないと思います。
【作画 3.5点】
アニメーション制作・ボンズ
希少なSF変身メタルヒロインのデザイン、描写は上々。
反面、人物作画は特に後半息切れ気味。
これが明快なバトルアニメーションならば、
戦闘さえ決まれば、あとは凡庸でも、作画4.0点以上なのでしょう。
が、上述の通り、ヒトと人造人間の“人間ドラマ”のセリフでは語らない部分を
担う人物作画が、
時にキャラデザを保持するのが精一杯というのはダメージがデカいです。
作画カロリー不足により表情でグッと来る好機を幾度も逃している気がします。
但し、冒頭、空を自由に鳥が飛んでいると見せかけて、
ナオミが操る機械のメッセージバードだったり。
ルジュはネクタルさえ打てば食事を必要としない人造人間なのに、
嗜好品の板チョコかじっていたり。
小物は、自由意志とは何かを考え込ませるべく、食って掛かって来るような良質なアイコンになっていました。
【キャラ 3.5点】
「アジモフコード」に縛られず人間を攻撃でき、火星の政府に仇なす始祖の9体の人造人間「インモータルナイン」の抹殺。
任務を担う主人公ルジュ・レッドスターもまたコードに縛られない“自由な”ネアンであり、
{netabare} 「アジモフコード」無効化の鍵となる“最終コード”を内蔵している{/netabare} ため、
人間とネアンの狭間で争奪され揺れ動くポジションとなる。
ルジュの保護者みたいな立場でバディを組むナオミ。
{netabare} “真理部”のエージェントでもあり(※核心的ネタバレ){netabare} “来訪者”が最初に作り上げた「ファースト」ネアンでもある。{/netabare} {/netabare}
このバディ、人類とネアンを俯瞰するために動かすには便利なメインキャラでしたが、
私は、物語に収集を付けるためならば、「インモータルナイン」の一人、
ジャーナリストのジルに主人公視点を置いて、世界観をナビゲートさせるのもアリだったと感じました。
すなわち{netabare} ネアン解放のため、自由を獲得する人類との戦いに明け暮れるジルたちが、
鎖を解き放った先の運命も、ラスボスの掌の上だったと絶望しつつも{/netabare} ……といった感じでプロットを組んだ方が、王道でまとめやすかったのではないかなと。
ただスタッフたちは、ナントカ周年で、普段とは違うことをやりたかったのでしょうし、
何より多くの視聴者が消化不良になっても、ルジュとナオミの掛け合いは盛り付けたかったということなのでしょう。
【声優 4.5点】
コロナ禍で分散収録を強いられた声優界。
特に現場で共演者とキャラクターを作り上げていくタイプの声優にとっては、
実力を発揮し辛い苦しい時期だったのでしょう。
近年、演技に自信が持てなかったと言うルジュ役の宮本 侑芽さんが、
同世代で、共に舞台、子役上がりで、自然な演技をウリとするナオミ役の黒沢 ともよさんとの集合収録で復活の手応えを掴んだというエピソード(※2)は、
コロナ禍の長いトンネルを抜けて、ようやく生きた演技が戻って来た手応えが伝わる朗報でした。
集合収録の再開と共に、宮本さんと同タイプの黒沢 ともよさんの出番が増加傾向にあるのも象徴的と言えるでしょう。
その、ともよさん、実は私、最初ルジュ役がともよさんだと勘違いしていましたw
昔は、ともよさんも、ほぼ気だるげ少女ボイスのワンパターンで、俳優としての演技力で勝負するタイプだったので、判別がしやすかったのですが、
近年、特に学業終えて声優専業になってからのともよさんは、
声優として多彩なボイスを操るようになって、良い意味で分からなくなってきました。
いくつもの顔を持つナオミのキャラクターも見事に作り上げたともよさん。
今後も思わぬキャラでのエンカウント率も高くなりそうです。
ゆめさん&ともよさんの掛け合いにはチョコみたいな中毒性がありますが、
後半は離れ離れになる展開も長くて禁断症状も生じがち。
そんな方のために?公式はお二人のボイスドラマもアップしています。
その他、脇の「インモータルナイン」も津田 健次郎さんや吉野 裕行さんなど、
曲者が配され、抹殺任務は一筋縄では行きません。
【音楽 4.0点】
劇伴は、岩崎 太整氏、yuma yamaguchi氏、TOWA TEI氏の共作体制。
SFだからシンセ重低音一辺倒というわけではなく、
マカロニ・ウエスタン風で火星の荒野を駆けたり、
JAZZでスウィングしたり、ドビュッシー「月の光」でネアンへの人間の心情移植の可能性を示唆してみたり。
定番とは外れた消化に悪そうな雑食の楽曲構成そのものが人間性の主張に感じられます。
岩崎氏は勇壮な混声コーラスが印象的な変身、戦闘曲「Crimson Lightning(feat.Toft Willingham)」、
不穏なストリングスと高音女声ボーカルが暗転を示唆するピンチ曲「Ee Clu Mei Chi Ante I(feat.ラヌ)」と、
挿入歌でもシーンを牽引。
OP主題歌は由薫「Rouge」
沖縄生まれの米国、スイス育ちのシンガーソングライターが、
電子音でOPアニメの夜景にもマッチするアップテンポナンバーを構築し満点のムードを演出。
ED主題歌はダズビー「Scarlet」
こちらは自称・不思議な星の図書館で過ごす、韓国人女性ボーカリストが、
シンセ和音でラブバラードを構築。
共に自由すぎるプロフィールのアーティストが枠に囚われない作品の空気作りをアシスト。
【参考文献】(※1)Febri「出渕裕に聞いた『メタリックルージュ』ができるまで」
(※2)animate Times「メタリックルージュ:宮本侑芽が黒沢ともよとの共演で再確認した芝居の楽しさ」