蒼い✨️ さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
2024年の今につながる最終楽章。
【概要】
アニメーション制作:京都アニメーション
2024年4月7日 - 6月30日に放映された、全13話のTVアニメ。
原作は、宝島社文庫から刊行されている武田綾乃による小説。
監督は、石原立也。副監督は、小川太一。
【あらすじ】
2017年の春。北宇治高校吹奏楽部は、滝昇が顧問に就任したことで強豪校に生まれ変わって、
3年目になり、たくさんの新入生の入部で部員が90名を超えた。
主人公の黄前久美子は先輩たちの想いとともに部長を引き継ぎ、部をまとめ上げて、
悲願の全国大会金賞を目指すにあたり、これまでのやり方では手が届かないと、
副部長との塚本秀一とドラムメジャーの高坂麗奈との3人で話し合い、
部の方針に新しいことを付け加えていく。
部の方針として生徒の自主性を尊重するというのがあり、
部員全員の挙手によって、今年も「全国大会金賞」を目指すことになった。
現在は低音パートのユーフォニアム奏者が久美子と奏のみで、もうひとりの新入生は初心者。
心許ないと麗奈が話していたところにユーフォニアムの音色が聴こえてくる。
ひとりで音のする方に久美子が向かうと、紺色のオーソドックスなセーラー服で、
銀色のユーフォニアムを演奏している少女がいた。彼女の名前は黒江真由。
全国大会常連の福岡の超強豪校・清良女子高校で正メンバーの実力者である彼女が、
3年生になって親の仕事の都合で転校してきて、吹奏楽部に入部するのだが、
実力者かつ、北宇治の空気と考え方が違う彼女の存在によって、
久美子は今まで自分が信じて突き進んできた部活動に一石を投じられてしまうのだった。
【感想】
京都アニメーションが完全新作アニメ制作のステップに移行する前提として、
やる予定だった仲間が残した仕事を今いるスタッフが引き継いで京アニの総力でやりとげる。
弔いの意味もあるそれをなくして次に進めないというのがあると思われるのですが、
ここ5年間は若い人材を育成しつつ既存のコンテンツの続編を手掛けて、
本作品の完結を以て予定されてた企画が片付いて一応の節目を迎えるわけですね。
2019年に制作発表されていた「響け!ユーフォニアム」の久美子の最終楽章のアニメ化にあたり、
当初の構想はどうなってたかは不明ですが、止まっていた企画が再始動しての、
現行のNHK教育テレビジョンの放送枠では、
1クール全13話の限られた時間ではテーマを絞って描く必要があり、
徹頭徹尾、主人公・黄前久美子の高校3年間の総決算のストーリーとなっていますね。
京都アニメーションの強みは技術に裏打ちされた感情表現と日常芝居。
これは他の会社のレベルがいくら上がろうとも、得意分野に限っては京アニに一日の長があり、
登場人物が何を考えているのか?直接的な表現もあれば、
表向きの態度に隠された真意のニュアンスであるなど、かなりやってることが細かいです。
特に黒沢ともよさんが演じている、主人公の久美子への心理や麗奈や真由などとの関係の分析が、
非常に鋭くて、様々な久美子の精神状態を反映した心の解像度が高い演じ分けの芝居が素晴らしく、
私が京都アニメーションの作品評で度々用いている表現ですが、
他の大多数のアニメとは文字通りの意味で「役者が違う」
声優×京アニの本気の相乗効果によるドラマ的な盛り上がりが本当に素晴らしいものでありましたね。
今回の話を大雑把に説明すると、
これまでは部員にクビを突っ込んできては言いたい放題言ってきて解決に導いてきた久美子が、
彼女の世代の高校最後のコンクールで全国大会金賞を目指して、
部長として全学年で総勢91名の生徒の集団をマネージメントする立場になり、
部長としての心労・苦労を交えつつ、「立場が人を作る」みたいな話になっていたり、
そして、久美子自身が転校生の黒江真由の存在によって、
久美子が今まで部で築き上げた価値観が彼女自身に跳ね返って、
それでも言葉を意思を曲げずに貫き通せるのか?ジレンマに苦しめられるのですが、
その体験を経て、自分が何者であるのか?を再定義して人生設計をしていくような。
中学最後のコンクールでの高坂麗奈の悔し涙から始まったこの物語は、
麗奈の音楽熱が元々は熱血してなかった久美子に感染して、全国の舞台で、
自分もユーフォで麗奈のトランペットの隣に並べ立てるようになりたいと浮かされたのですが、
高校3年間という短い期間をひたすら吹奏楽部に費やす久美子が主人公ですが、
今は手が届かなくても、ひたすら頑張れば自分は高く飛べるかもしれないという思い、
若さゆえの全能感と言わないまでも天井をぶち破りたい情動の世界は青春の醍醐味ではあるのですが、
大人になるということは、自分を知るということでもありますね。元々に聡い部分がある久美子も、
上手くても演奏者としては高校の部活動止まりの自分の身の程、高坂麗奈や鎧塚みぞれ等の、
才能ある人間との決定的な違いに見て見ぬふりが出来なくなってしまうわけですが、
そこからの久美子の思考の流れは、貴重な青春をドブに捨てること無く、
きちんと手順を踏んで年齢を重ねてきた大人であるならば、
頑張ってきた人間の前向きな判断として十分に理解が可能なものではあると思います。
夢を追いかけ部活動に全力の高校3年間はどんな結果であれ、
久美子の一生に多大な影響を与えた濃密なものであったと言えますし、
リアルに青春を謳歌してきた人間ならば、喜びも青春の古傷も含めて価値観を共有可能であるかと。
これまでのシリーズで絶賛を受けていた集団での演奏シーンが少ないと今回は言われていますが、
それでも総合的には2024年でもトップに近いレベルのTVアニメであると言えます。
特に、黒江真由という新参者の真意を意図的に隠しながら話を引っ張っていき、
北宇治の吹奏楽部部員の、特に久石奏等の久美子部長に好意的な部員たちの気持ちに、
視聴者の感情をシンクロさせていくシナリオの握力はかなり強いものであります。
黒江真由に対する感情は、理解しようとする者も悪く言う者も、
まさしく視聴者ひとりひとりの心の鏡であり、作品世界に引き込まれてしまっています。
原作からの改変へのネットでの一部の批判の声も、
久美子への気持ちが強く刺激された影響があるのでしょう。
個人的にはこの改変はありですね。1期での大吉山のシーンはアニオリであり、
最後のオーディションでも久美子と麗奈は2年前の大吉山の誓いを守り信念を曲げなかった。
久美子と麗奈はお互いに特別であり、馴れ合いや妥協で濁すことができない神聖な関係は、
ふたりだけの大吉山のあの夜で、納得するしか無い同じ悔しさを涙で発散することで、
お互いの進路で会うことが少なくなっても決して消えることがない刻印として完成した。
そこに美しさがあります。当初は慣れずに先輩の真似であった久美子部長が、
オーディションの結果はどうであれ、真由という異物を理解して受け入れて、
自分を例外にすること無く北宇治の実力主義を貫く姿を部員全員に見せることで、
演奏者として望むものの代わりに、歴代最高の部長として部員から認知された。
人徳とともに全国金賞を手に入れるためのラストピースを埋めることが出来たことは、
久美子の部長としての本当の意味での勝利だと言えるでしょう。
久美子は音楽を通して人とつながっていくのが好きで、一緒に頑張れるのが幸せであって、
その理想的な環境が久美子が愛した北宇治で、久美子は最高の仲間と一緒に目指している、
全国金賞がゴールで個人での音楽家としての栄達を目的としていない。
麗奈と目指してともに涙を流した久美子の個人的な願望は、そこが久美子の青春の最終地点です。
音楽と一生つきあっていく覚悟があるストイックな麗奈は久美子との関係が本物であったうえで、
彼女はもっと貪欲で高校の吹奏楽部での活動は通過点であって、才能も目指す世界も違うのです。
北宇治での3年間を振り返ってみて久美子が彼女自身の正直な気持ちなど様々なことを理解して、
久美子が高校の部活動から白紙の将来に進むために考えた末に、ひとつの決断をしましたね。
人生の全てが思い通りにいくわけではない。久美子が流した汗も涙も真由との関係で得たものも、
何一つ無駄なことはなく、久美子が素敵な大人になるための血肉となったと思います。
久美子が自分で選んだ将来であるラストシーンを見れば、それがわかりますよね?
ただ視聴者が望む理想の展開だけをお出しすれば、無難に軟着陸して評価を得られたところを、
批判覚悟で阿ることなく脚本家の花田十輝氏が力のある物語を出してきた。
それこそが作品性であり、私が称賛する理由です。
演奏シーンをもっと見たかったのは私もそうですが、今シリーズの話の説得力を持たせるために、
尺をやりくりして久美子にリソースを割いて久美子の物語をアニメで描ききったのは、
プロットとしてはある意味正しいですし、最終回まで見終えた視聴者の多くからは、
十分に好意的な反響を得られていますね。また、時間的に厳しい中で、
2年生のトランペットの小日向夢や1年生のホルンの武川ゆきにもストーリーがあったのを、
少ない台詞で表現していて、アニメの都合で出番を多くは与えられなかったものの、
メインキャストではないその他大勢の部員も決して背景モブでは無い!
それぞれがきちんと人として扱われているところに、京アニのこだわりと美学が感じられます。
石原監督がやりたかったことは、今いる人いない人全員で作ったのがアニメのユーフォであり、
小川副監督の考えもあるのでしょうが、それら全てを取り零しをすることなく物語を終わらせる。
そのための、リズと青い鳥を含めた過去シリーズのオマージュを用いての演出や人物描写であり、
例えば先輩から指導を受けた後輩が進級してそのまた後輩に同じことを指導していくなど、
月日が流れて人が入れ替わっても代々同じことを繰り返しつつ、
現状に甘んじずに変えるべきところは変えていく吹奏楽部の姿が、
まるで京アニと同じであるかのように想像ができたりなど、
生きるということは人と人がつながることであり変化を交えながら日々を繰り返すことでもある、
出会いや別れなどいろいろなことがあるけれど、いなくなった人も今そこにいなくても、
存在していた痕跡が何らかの形で人から人へ伝わって残っていく。そうやって世界は出来ているから、
日常の一つ一つの出来事を大事にして頑張って生きようという地に足がついたメッセージだと思われ、
そこに石原監督のインタビューからも汲み取れる実感がこもった力強さを感じました。
最終回の回想シーンも好意的に解釈すれば、いなくなった人たちを忘れること無く、
残していったものを素材としてでも、作品の一部として取り込むということでしょうか?
京アニの今の人たちがいなくなった人たちから受け取ったバトンを大事にして、
今の心境が込められた一面もある作品。だからこそ直接的に主張しなくても、
観た人の心に残る作品になり得たのだと思いました。
書きたいことを半分も書けてないような気もしますが、
切りが無いですので更新の予定は未定として、
今までのこのシリーズに関わってきた全てのスタッフに感謝を示しながらこれにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。