hiroshi5 さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
過去、記録、記憶。曖昧すぎる点が逆に題材としての面白さを引き出している
ちょっと変わったタイプの自主制作アニメです。
内容は一見暗く見えますが、最後まで見終えるとハッピーエンドだと言う事が判ります。
作画はやはり「イヴの時間」とリンクするところがあり、近未来的な描写などは本当に実現可能なんじゃないか、と思うぐらいです。そして、何よりもカッコいい。画面だったり、階段だったり、全ての描写がリアルで、アニメとしてカッコいい。
声優、キャラは特別良いという訳ではありませんが、嫌いにはなれませんでした。
音楽も同じで、秀でてはいませんが(使われてるBGMも少ないし)満足できるレベルではあったと思います。
この作品で私が面白いと思ったのは、人間の過去を掘り起こす事が己に対して不利益になる、という傾向を描いていたことです。
作品では人間達は実はコロニーに住んでいるという事実さえ知りませんでしたが、その二世代前、つまりヒロインのおばあちゃんはコロニーであるという事実を知っていた。
この二世代の間で情報伝達が途切れたのでしょうが、理由は不鮮明でしたね。しかし、私が思うにおばあちゃんが上層で住んでいた頃はまだ地球は灰色をしていたのだと思います。
いくら経っても地球が改善せず、また環境維持装置も上手く起動しなくなっていく過程で、過去に捕われる事を止めようとする人間たちが出て来た。そして、コロニー自体に新しい地球らしい場所、海を見いだし、己を、事実を湾曲させて肯定させた。
それに反対したのがおばあちゃんでしょうね。
それが大まかなところだと私は思いました。
つまり、主人公であるウラは月に住んでいる事事態を知らなかったが、その事実を知る必要も無い、というのが今作品の設定なのでしょう。
現時点で満足できる生活がある、だから過去にすがる必要は無い。こういう傾向が蔓延っている中、ウラは現状にひたすら疑問視し続ける。ここが重要なところでしょうね。
作品自体が短かった為、社会体制がどうなっているのか一切判りませんが、多分地球が人間の住める環境だと判った時、コロニーのリーダー達は地球に戻ろうとするかは判りませんね。むしろ、現状維持を優先し、社会的地位に固執する可能性も出てくる(環境維持装置が持続する限り)。
こういった停滞する社会で存在意義を見いだすにはどうしたら良いのか。
この質問に対して実在主義者は「現状を否定しろ。社会に抗う事で己の存在意義を見出せ」ってな事を言うんでしょう。
ウラはまさしく、その一人です。社会に取っては異分子、しかし、だからこそ社会は彼を無視できない。
この作品は実在主義者としての過程を「人間の過去を掘り起こす事が己に対して不利益になる」という前提の中で行った。それが、私の一番面白かった点です。
他の作品では、色々な傾向に流されて、一個人を社会的視点で見たとき識別出来ない現状を描くのですが、今作品はそれを「過去」と「記憶」を使って表現した。それが私には意外だった訳です。
serial experiment lainでもあるように「記憶」とはただの「記録」にしか過ぎない。改竄も変換も可能だという点がいつも挙げられるのに、今作品はその傾向をウラの「事実だと証明されただろ?」というわずか一セリフで片付けてしまった。
これを聞いた時には思わず笑ってしまいましたねw
しかし、だからこそ、興味深い作品になっているのだと思います。完成度はさすがに時間が短いだけあって低いですが、こういった世界観を作り出すのは至難の技だと思います。
4/21/12追記
1984年という作品があります。ジョージ・オーウェルという二十世紀の思想、政治に多大なる影響を与えた小説家が書いた作品の一つなんですが、この小説では三つの定義上から如何に独裁主義を成功させるかについて描かれています。
1、戦争は平和なり
2、自由は隷従なり
3、無知は力なり
この小説は二重思考という特別な表現技法を使って裏の意味を提示させる秀作なんですが、この三つの定義も独裁という枠内で如何に生かせるかが長々と語られています。
今回注目したいのは三番目、無知は力なり、という定義です。良く使われるフレーズとしては「無知は罪」ですが、私が思うにこれは民主主義的思考からくる発想なんでしょう。
事実、独裁主義上では「考える」ことが社会体制そのものを崩壊に導いてしまう。
この小説では国民の殆どを下級社会に押してけ、思考のいらない労働を続けさせる。さらに、洗脳活動も行う。一種の宗教的国家みたいなものを作り上げた。そして、国民が持つ欺瞞やストレスといったものを戦争という道具で解消していく。「敵」が明らかであるが為に、その存在自体が「敵」であることに疑問さえ持たない。
国は下級層の国民に「全て戦争が悪いんだ」という情報をインプットさせ、彼らが置かれる現状を肯定させる。
上級層の国民は既得権益を保護する為に無意味な戦争を続けさせる。
戦争には大量の資金と労力が必要であり、下級に存在する莫大な労働力を消費させることにも繫がる。
格差社会の図としては完璧であったこの小説は事実、社会体制に疑問を感じた主人公共々も最終的には洗脳されて終わります。知識こそが社会体制の崩壊に繫がるのは独裁主義の常です。
そこに発展は無いかもしれない。しかし、今回はそこが問題ではありません。
記憶、記録、過去。これらを知ることは知識を得ることと同じです。ペイル・コクーンは独裁主義ではないのかもしれない。しかし、コロニーという停滞した社会体制で格差が生まれるのは明らかです。思考は格差に疑問を抱かせる。これは1984年という小説が証明したことです。
その行為を国民達に許し、しかもその行為を自ら放棄する。それは思考停止に等しい。
己の過去が悲惨だから直視したくない。これは現実逃避ですね。今作品では状況が特殊でしたが、思考停止は社会の停滞を意味します。
ペイル・コクーンはいわゆる「思考」の重要性を非常に判りやすく表現した作品と言えるでしょう。
こういった作品が増えると良いですね^^