ハニワピンコ さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
俺はこうだけど、お前らはどう?
満を辞してやってきた巨匠の最新作で、当たりでもハズレでもなんでもいい、宮崎駿の最新作を映画館で見るという体験、しかも概要すらない全くの無情報でお出しされるという体験をしない訳にはいかないという事で、駆け込んだ映画館
本文は、いつもの全編を通じ見終わって自身の感想や思ったことを書き殴る類のものではなく、ストーリーの展開や映画を通じて体験したものや思ったことを含めて書き記す、記録的な側面を持ち記載しているため、文章の前後や段落として読みにくいものになっているかもしれません
最初の水色背景にトトロと一緒にSTUDIO GHIBLIのクレジットを見れただけでも満足ではあった。そして始まった本編は初っ端の戦争の描写から予想の内ではあった監督自身の半自伝的映画なのだろうと、初っ端から印象的な大火とそれに迫っていく緊迫感のある凄まじい演出を見せられた引き付けられたのちに挟まるタイトル。そして場面は一変して田舎の雰囲気。戦争を直接ではなく疎開先での戦争体験だろうかと思ったら、そんな中で現れる、ポスターにも描かれていたトリが登場し、最初はメインにそこまで絡んでくるとは思わず、何かの比喩や。印象的なシーンでの更なる印象付けの演出として見せてくるのかと思っていたこのトリが、中々の曲者で、この作品の印象を180度変えるものへと変貌させた
宮崎駿。歴を探ればあまりに長くなりすぎるのでジブリ(形式的にナウシカも含む)以降について語るが、初期から『風の谷のナウシカ』で見せた重厚なストーリーと自身の哲学を織り交ぜた圧倒的なスケールを持つ超大作として今でも語り継がれる名作であると異論はなく、そしてその後も『もののけ姫』などに代表される、自身の世界観の表し、随所で語られるエピソードから宮崎駿という人物は堅苦しく、ザ・昭和のおじいちゃんというイメージがあるかもしれない。しかし、最後にこの作品で見せてくれたように、やっぱり宮崎駿は子供の頃に読んだような作品にある、そして自作でも『天空の城ラピュタ』や『千と千尋の神隠し』に代表されるようにファンタジー風な冒険活劇と少年少女の物語が今でも好きなおじいちゃんなんだなと
よく語られている児童文学、しかし中身は入口で感じたものとはちょっと違う、ファンタジー世界を通しての成長、そこに自身が見つけてきた哲学と、現代に対するメッセージを多分に含んだ文学。それこそ本人がアニメーションを通じて発信して届けられる世界観であり、本人の最も魅せたいものでは無いかとやはり思う
本作に見られる「地獄」と呼ばれる世界で未知の生物や大人、そして自分と似た境遇あるいは見た目を持つキャラクターとの関わりは、自身の過去の監督作で見たような記憶を蘇らせる印象があった
そこの部分で、やはり宮崎駿という人間の今までを通しても尚、本作で見せてくれるこの世界観の描き方、冒険、成長、そして家族あるいは近しかった人との関係の前後での変化、それをファンタジーという世界を通して見たものを踏まえてラストに落とし切る構成、何回も見てきた上で尚本当に引退作と思われる本作でも見せてきたその意味はやはり、コレこそが宮崎駿ワールドの真髄であり、見せたかったもの、描きたかったもの、宮崎駿という人間はファンタジーと少年少女の冒険が好きなおじいちゃんなのだと改めて最後に教えてくれたなと
そして引退作でそれを見せてくれた意味。それを簡単に「勝手に気持ちよくなっているだけ」という言葉で言い切る現代、それも個人の(というか大衆のそういう風潮)感想として見るから別に勝手だが、自分はそれについて考えてこの作品にケジメをつけたい
作品の概要から監督自身などについて終始語って、結局本編の内容についての感想や全体的な作品の自分の作品としての評価は全く記せていないのでそろそろ入っていこうと思う
前半は疎開先の再婚相手の本拠に引っ越してきた主人公眞人、母を亡くし悲しく複雑な心境、そして印象的なピアノだけの劇伴で見せられるポスターのトリこと、アオサギ。ここまでのキャラ紹介や舞台紹介は結構退屈。まぁ事前情報が無くジャンルも物語の方向性も分からないままだから仕方ない。これもある意味映画体験の一つではあるかな
そしてこのアオサギが喋り、謎に迫るように強いてくる中での警戒心の高まりと、このトリをボスとして印象付ける見せ方、そして迫っていく中でアオサギはただの使いであり、物語はそのアオサギを使わした者に迫るために、「地獄」と呼ばれる場所に送られて行く事になる
「地獄」では最初は主人公と同じで全く何が起こっているのか分からず、説明もない状態に普通はイライラを感じるものなのだが、そこはやはり宮崎駿、そしてジブリの圧倒的なアニメーション力で魅入るように構成されており、ここはアニメーションで世界観を見せるパート(千と千尋なんかでも湯屋で働いてるパートが一番好き)だと解釈し、そして入る説明でやっと理解でき、わからなくても面白い、魅入ることが出来るアニメーションの作りというプロの技を体感できた
そして地獄を巡っていき黒幕と思われる人間の元へ向かう旅筋、アオサギは塔の一戦で、中々に面白いキャラとして好きになるように作られており、それと道を共にする中で関わって行くパートは、最初のアオサギのギャップとの差で魅力的であり、このキャラにハマれたおかげでこの映画をかなり楽しめた
途中囚われ喰われそうになる場面は子供が見たらトラウマになりそうなくらいではあるけれど、ここを子供が乗り越えるという描写で、主人公は大きな成長をしていると示している。そしてそれを見せる場面がナツコとの再会であり、ここの「お母さん」呼びに関しては色々言われており、急だと思うのは確かだと思う。でも、前述した成長を遂げているからこう変化するのは理解はできる範疇の内ではあると思う。でもやっぱり、いわゆるアニメアニメしている物ばかり見ている現代の我々はもっとドラマティックな展開を予想していただろうが、これこそが宮崎駿が描き出してきた、ファンタジー世界でのリアリスティックな人間の成長という反する二つを見せて強調させる見せ方なのではないだろうか
ドラマチックでドラスティックなキャラの変化はそれは作品としての見せ方によるもので、現実ではそんなもん。これをリアルに見せないでどう落としをつければいいのか、コレこそ宮崎駿本人がかねてより言ってきたアニメ文化(細かく言うなら深夜アニメ文化)への意見へのこれだけは曲げられない信条の現れであると思う
そして「地獄」での最終場面。ここの解釈は難しいが、大叔父様が作り上げた世界をその中のキャラクターが壊したのが原因で崩壊するという皮肉な展開に、主人公がなぜ清くないからとその提案を受けなかった理由が描かれていたのかなと思った。そしてこれを何に置き換えて考えるかもきっと自分が思っている事と同じなのだろう
内容についてはこんなところで、大体書きたいことも書けたかな。面白いか否かという簡単な答えでは中々言い表せないとても重厚な作品で、自分の中でこうやって宮崎駿作品や宮崎駿観に言いたい事言い切って一応文字として記すとこが出来て満足した
ここまで公開当時に見て書いたけれど、星での評価をしないという以上、出す意味に懐疑的な思いもありそのまま今の今まで経ってしまったが、21年ぶりのアカデミー賞『長編アニメ賞』受賞という出来事。それを踏まえて交わされた色々な意見や、公開当時に思った事を改めて書きたくなった
結局のところ、公開から様々な物議を醸したその一番の要因はやっぱりタイトルではないだろうか。日本では発表当時にその元となった(実際はタイトルだけ)書籍に関連した予想がなされて、その上でいざ公開されて見たら宮崎駿の生み出したファンタジー世界の冒険という180度違った展開に戸惑いがあったように思われる。対して北米では『The Boy and the Heron(少年とサギ)』というシンプルなタイトルと予告も公開して内容の開示も行いある程度構えた上で公開に至ったので映画評論サイトRotten Tomatoesなどの評価も上々で、公開週では首位になるなど好評ではあった
そしてそのタイトルから日本では変に考察された作品と個人的に認識している
近年急激に注目されるようになった、謎に権威を持っている風な無関係な人間の出す考えに賛同する風潮や、映画紹介系の出す解説動画。一時期話題になった漫画『鬱ごはん』の「映画(ジョーカー)の感想を自分で言語化せずに調べてその中で感性の近い意見を探す」という一コマ。その理由は言語化が面倒だからだそうで、今の時代大体何かしらコンテンツの供給を接種したら共有したくなるが、その為の言語化は面倒だから他人の意見を繋ぎ合わせた物を一応の自分の意見として発表する、そんな人々の支持を集めているのが上記の動画を出す人たちだと思っているが、一昔前は評論家がその役割を担っていたのが今は誰でも簡単に発表できる環境の整いと、一部の極端な見方から評論家自体の権威も無くなった現在、ファスト的に吸収する文化と噛み合ってしまった結果、第一にアクセスする情報元としてかなり幅を利かせてきていると思う。それが今作でも、公開前からタイトルからのポスターから監督本人からアレコレ妄想の域に入るレベルの意見がたくさん再生され、タイトルとポスター一枚だけというプロモーションを破壊するかのような、楽しみを楽しみと思っていない人が多いなと公開前から思っており、いざ公開されて見た後に上記の動画を自身感想の保管とするのではなくそのまま全て吸収し意見が固まっていくというハッキリ言ってつまらない見方をする人が多かった。それも一つの見方ではあるのは確かなのかもしれないが、少なくとも楽しもうとか何かを得ようと思って見ていない、ただの確認作業かの如き見方をする人が増えているかなと、そしてその人々が縋る解説がかなり支持を得ている現状、その被害を受けた作品がこれだと思う
なんでこんなことを思って書いたか、それは結局個人的にこの作品かなり好きで、それが今のコンテンツ消費文化によるこの作品の見られ方に不満を感じたからというのが一番の要因
でもまぁ賞レースの結果自体、自分は『Spider-Man Across The Spider Verse』の方が内容としてはマルチバースの部分での見せ方 そして何より前作の革新的なアニメーションのさらなる洗練という部分と本国での人気から2作目でクリフハンガーの続編ありきを踏まえても本命だったが、『君たちはどう生きるか』の受賞となった。まぁ実際作品自体の評価というよりは、アカデミー会員の宮崎駿リスペクトも踏まえて、“宮崎駿に賞を与えた”という見方は確かにあると思います
本人にとってはまだ意欲はあるらしいが一応年齢的にも最後の最後であろう宮崎駿の監督作品。そこで見せてくれたストーリーから見られた宮崎駿という人間の見せたかったもの。今までたくさんの名作を作り世に送り出して私たちを楽しませてくれた監督。その最後に、その人間の構成してきたものを楽しく伝えてくれるという、自分自身を曝け出す。そんな恥ずかしいし難しい事を最後の最後の集大成的にやり遂げ、多分満足したでしょう
ありがとよ。カントク