ナルユキ さんの感想・評価
3.1
物語 : 1.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 2.0
状態:観終わった
雪海は深いが話は浅い
1話冒頭から、この美しくもどこか虚無感のある世界観に引き込まれる。主人公は謎の防護服に身を包み、そんな中で虫を取っている。最低でも掌サイズ、狙うは両手で抱える程の巨大な羽虫だ。主人公たちはこの「昆虫」を主な食料としている。
人類の文化と呼べるようなものが滅びた世界、いわゆるポストアポカリプスな世界観の空気感をこの作品は作品全体で見ている側に感じさせてくれる。
心ない輩からは『風の谷のナウシカ』のパクりと言われているようだが、あのジブリ代表作の再来ともあれば、アニオタなら必ず押さえねばなるまい────と見始めはそう考えていた。
【ココがすごい!:世界観に合わせた高品質3DCG】
『Polygon Pictures.INC』は作品を「フルCG」で作るアニメ制作会社である。これを聴くとあまり良い印象を持てない方もいるだろうが、嘗ては同じ規格で作られた名作『シドニアの騎士』などを手掛けた制作陣でもあり、そのことが画面からも見て伝わる作り手特有の「空気感」が備わっている。そんな空気感とポストアポカリプスな本作の世界観がマッチしていることが先ず挙げられる良点だろう。
いわゆるセルルックスタイルのアニメ的なCGであり、ぬるーっと動くキャラクターのアニメーションはCG特有の癖はあるものの、それはあまり見ていて気にならない。CGの欠点でもある「無機質さ」というのがこの作品の世界観に合っており、とくに虫のリアルな気持ち悪さをより強く感じられる。
主人公が住んでいる場所は『天膜』と呼ばれるものの上だ。まるで雪や雲が固まったような大地の上で人類は暮らしており、彼らはそんな大地を貫く木の中で慎ましく生活している。限られた資源で彼らは生きることに必死だ。そして「若者」と呼べる者は主人公以外にいない。
それほど彼らの状況が逼迫{ひっぱく}していることをアニメーションで伝えている。この作品は所謂「説明セリフ」というものが少ない。世界観をあえて説明しなくとも、この世界がどういう状況なのかというのを観ている側が画面の中で描かれた情報の中で察することができる。
若者のいない天幕の上の世界、食料も限られ文明が滅び「文字」を読める人も殆どいない。そんな中で主人公が若者だからこそ未来を見ている。緩やかな滅亡ではなく僅かな希望、 天膜の下にみえる「動く光」に主人公・カイナはある可能性を思い描いている。
もしかしたら天膜の下には世界が広がっているのかもしれない。自分たち以外にも人間がいるかもしれない。そんな僅かな希望があるからこそ、彼は「天幕の下」という前を向いて生きている。
【ココが面白い?:若干ベタなジュブナイルとクライムダウン】
そんな希望は現実だ。天膜の下にはまだ人類がおり、そんな天膜の下から女の子が気球に乗ってやって来る。いわゆるボーイミーツガールだ。このベタな展開が確かに数多の「ジブリ作品」を思い起こさせる。ナウシカの様な世界観の中で下から上という違いがあるものの、2人は『天空の城ラピュタ』のシータとパズーの様な邂逅を果たす。
初めて見る自分と同い年くらいの女の子。初めて見る外の世界から来た女の子。様々な「初めて」の要素がカイナの好奇心をくすぐる。
気球に乗って来た少女・リリハにとっても天膜の上の世界は初めて見る光景だ。だが、姫である彼女は天膜の下に戻らなければならない。そんな彼女と共にカイナは天膜の上から下へ降りていく。一歩間違えば落下死してしまい、未知の生物も多い。そんな危険を伴いながら「30日」かけて『軌道樹』と呼ばれる巨木を降りていく様子は独特の緊張感がある。
その過程の中でキャラの掘り下げもしっかり行っていく。命綱を付けながらおよそ30日間も下降し続ける中で「トイレ」の問題だったり食事を介したりしながら、2人が仲を深めていくと同時に主人公とヒロインを掘り下げている。
{netabare}ただ、この時点でもう話数が3話に差し掛かっているという尺の大喰らいぶりが少し気になってしまった。この時点では世界観やキャラの掘り下げを確りやっていることの裏返しではあるのだが、簡潔に書くなら姫であるリリハが敵国から逃れつつ『賢者』を捜すために天膜にやって来たものの、カイナたちの中にそんな人物はいなかったので下界へ蜻蛉返り──それにカイナが便乗する──といった内容でまとめてしまえる。
ちょくちょくリリハのいない下界の様子を挟んだり、天膜が高過ぎて降りる手段が中々見つからずに帰りあぐねてしまうといった展開を描いたりしたのが要因でもあるのだが、アニメは昨今テンポが高速化・重要視されており、視聴者も中には「1話切り」「2話切り」といった早い判断でアニメを取捨選択していく者も非常に多い。
そういった風潮の中でリリハというヒロインが天膜へ行き、そこを物語の主な舞台にするわけでもなく直ぐに主人公を連れて折り返す。たったこれだけのことで尺を2~3話潰してしまうのは非常に勿体ない構成だ。{/netabare}
【ココが面白い:天幕の下に広がっていたのは……】
天膜の下では2つの国が戦争をしている。理由はシンプルに「資源」だ。天幕の下に広がる雪や雲のような海『雪海{ゆきうみ}』は真水にはならず、今もその嵩{かさ}を増して大地を沈め、人が住める場所を徐々に減らしていっている。「水」含む資源は限りない程に少なく、生き残っている人類は国としてまとまり別の国に「戦争」を仕掛けて資源を奪うことで漸く自分たちに潤いを与えられるのだ。
天膜の上で暮らしてきたカイナにとってこの「戦争」という概念がそもそも理解できない。リリハが持っている剣も「大きなナイフ」という認識であり、それが人に向けるものだという認識が彼には無い。いざ天膜の下に辿り着いて戦争をしている様子を見てもカイナはその意味が理解できない。
{netabare}『人が人を殺すの!? なんで戦うの死んじゃうよ!』{/netabare}
この台詞は、カイナがいかに争いの無い世界で暮らしていたかを感じさせるものだ。天膜の上の環境では人が人を殺すことなどありえない、人と人とが助け合い寄り添って暮らさなければ生きていけなかったからだ。
彼が希望を抱いた天膜の下の世界。そんな下の世界は大きく広がっており、人も天膜の上よりは多くいる。だが人が多くいるからこそそこには「争い」がある。天膜の上では話し合いで解決してきた物事も、天膜の下では殺し合いで解決している。それをカイナという主人公は理解できない。
{netabare}そんな中で姫であるリリハが敵国に拐われてしまう。自分を天膜という名の籠から出る切欠を与えてくれた、かけがえのない彼女を助けるためにカイナは彼女の弟・ヤオナと2人だけで敵国へと赴こうとする。それが雪海での最初の冒険となるのだ。{/netabare}
どんどんと海が上昇し、大地を、街を、人を呑み込んでいく雪海の世界で、人は愚かにも争い続けている。そんな世界をカイナを通じて視聴者にも伝えている。この作品の世界を、空気感を感じてほしいといわんばかりの世界観の描写にどっぷりと浸れる。
【でもココがつまらない:話の進みが遅い】
ただ、その反面でストーリー進行はかなりゆっくりだ。上記でも触れたが大して物語が動いていないのに尺の食い潰しが酷く、{netabare}拐われたリリハを救出し敵国・バルギアから脱出するまで{/netabare}の過程でおよそ5話消費と非常に長い。世界観を存分に見せたいことはよく伝わるものの、間延びしているシーンが多く、所謂「ダレ」が生まれてしまっている。
この作品はTV放送開始前から映画化されることが決まっており、1クールでは完結しない前提でストーリー構成されていることは予め周知されてあるものの、もう少し話が進んでほしいと感じるほど1話1話がだらーっとしてしまっている。いまいち意味の見出だせない描写やあらすじを何度も反芻{はんすう}するような会話も多く、視聴者が期待するよりも得られる情報量が少ない印象を抱く。1話1話の「引き」も甘い。
作品世界の謎は序盤で多く掲示されている。なぜこんな世界になってしまったのか、賢者の存在や伝説の正体は何なのか。
そういう謎がなかなか明らかにならない中で2国間の戦争をグダグダとやっている感じが強い。主人公自体は確かに冒険しているものの、その冒険のワクワク感が戦争による緊張状態のせいでいまいち伝わらず、また戦争が過激になるのも終盤に限られる上にかなりしょうもないヲチで終結するのでそちらも盛り上がらない。どちらも1クールで打ち切るための尺調整で面白さが散漫になってしまっている。
これが2クールのアニメ、もしくは1クールで完結するならばそこまで気にならないが「続きは映画で!」をやるためのストーリー構成に無理が生じている感が作品で如実に表れてしまっている。
【総評】
全体的に『シドニアの騎士』の後釜を露骨に狙ったかのような作品だ。彼の作品と同じ様に売れる・評価されることを前提としたマーケティングで制作されており、続編映画を前提としたストーリー構成もその一環であるのだろう。
序盤こそナウシカやラピュタの様なジブリ的世界観のSF要素を強めた感じになっており、その世界観の魅力と謎深さは素晴らしかった。
雲の下には何があるのだろう、この世界はなんなのだろう。そんな期待感とは裏腹に話が進めば進むほど世界観が狭まり、薄いストーリーをグダグダな展開で見せてしまっている。
{netabare}終盤には、戦争を終結させる切り札となる膨大な水資源を記した地図をやむを得ず火消しに使ってしまったり、巨神兵ならぬ巨大ロボットや『オオノボリサマ』と呼ばれる水の怪物が出現する場面には登場人物につられて驚き焦ってしまったが、オオノボリサマはロボットの左フックで撃沈、そんな最強ロボットは主人公が持っていた道具であっさりやっつけられて戦争はなんやかんやで終わり、燃えた地図はカイナの記憶と王室にある写しが難なく代わりとなり、最期は「みんなで仲良く水資源を取りに行こう!」と怒涛の展開で終わる。御都合主義には寛容なつもりでいる私だが、これらの展開には頭を抱えてしまった────てか『樹皮削り』であんな極太レーザー出せるならもっと早く使う場面あっただろ(笑) いくらカイナが看板爺の言い付けを守れる良い子ちゃんと言っても、ねぇ?{/netabare}
音響・楽曲面はEDを某恋愛ソングで有名な『GReeeeN』が唄うことが印象に残るくらいだろうか。ただ別に本作はそこまで爽やかな作品でもないので内容にそこまで合っているとは思えなかったかな。
{netabare}結局、1クールでやったことは物凄くシンプルだ。雲の上に住んでいた主人公がヒロインととともに雲の下に行き、雲の下で2カ国が水を巡る戦争状態で、ヒロインがさらわれ救出しにいき、各国の事情がわかり、巨大な水資源がある場所がわかりました。
これだけだ。意味の薄い不必要な描写や同じことを繰り返す会話といった部分を除けば11話ではなく6話くらいで描けそうな内容であり、それならば映画でやった部分と合わせて1クールで描けたのでは?と疑問を呈せずにはいられない。{/netabare}