ナルユキ さんの感想・評価
4.4
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
エグすぎる鬼太郎誕生譚
『第47回日本アカデミー 優秀アニメーション賞』ノミネート作。一応は『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズの第6期を基盤としており、冒頭では鬼太郎と共に成人女性の様な高い頭身とスレンダーな姿を得て話題となったねこ娘も登場する。しかし残念ながら(?)本作は彼女らが主役ではない。
タイトル通り、本作はシリーズ全般の主人公・鬼太郎が如何にして誕生したか。そして彼が生まれる前に一体どんな事件があったのか。鬼太郎の父・目玉おやじが体を喪った理由は?────これらを描くために物語の舞台は昭和31年に遡る。
【ココがすごい!:昭和時代の雰囲気づくり】
昭和31年────西暦1956年でもある当時の日本は、戦争の爪痕を復興という形でひたすらに覆い隠している最中だ。そんな日本を描く本作の雰囲気には現在は無い“倫理観の欠如”が多く目についてしまう。
「タバコ」が象徴の1つであることには間違いない。登場人物の多くは当たり前のようにタバコをふかしており、今では考えられないが電車の座席でさえもタバコを吸っている。煙たいのであろう女児の咳き込みが車内に響き続けても御構い無し。誰もが自分のストレス値を下げるために周囲に配慮せず黙々と煙を吸い続けている。それほどまでに当時の日本は、国の再建のために誰もが馬車馬のように働く「忙しない」雰囲気に包まれていたのだろう。
主人公である水木もその1人。戦争の影響を色濃く残す彼の野望や所作、そして勤め先である「血液銀行」の存在を許していた時代というのが「何をしてでもどん底から這い上がってやる」という人々たちの反骨心と何か大切なものを忘れかけているような様を表しており、そんな時代の雰囲気をアニメーションで如実に物語っていく冒頭が先ず素晴らしい所だと思う。
【そしてココが面白い:「スケキヨです」、そして「犬神家っ!」なミステリー】
こうしてハードボイルドな質アニメっぽさを演出した後、舞台は哭倉村{なぐらむら}という村へと移る。水木は日本の政財界を牛耳る『龍賀一族』の遺産を受け継ぎ十中八九、次の当主となるであろう『龍賀製薬』社長へ取り入るためにその村へ足を運んだ。
{netabare}ところが亡くなった当主の遺言状に入婿である社長の名が出ることはなく、次代当主は生きる時代を間違えたかのような白塗りお歯黒の男(その次は三女の息子)。さらに会社の決定権も一族の長女である社長の妻へ明け渡すよう書かれていた。
大混乱する遺産相続の場。我先に確かめてやる、と遺言状と公証人(弁護士)に掴みかかる社長と名も出ない他親族。あたかも自分の物が盗られたかの如く激昂した、それは醜い人間の姿を存分に拝むことができる。
莫大な資産と権力を引き継いた男。それに不満を持つ親族の数々。何も起こらないわけがない(笑) 翌日、当主は左目を貫かれた遺体となって発見される。シチュエーションは異なるもののこれは完全に『犬神家の一族』のオマージュだ。
一体誰が殺したのか、村民が疑心暗鬼になる中で、村唯一の出入口も崖崩れで封鎖されたという知らせも入る。殺人鬼を内包したまま外界との往来が断たれてしまう「クローズド・サークル」────ミステリーとしてこれほどワクワクする定番展開も中々、見られないだろう。{/netabare}
閉鎖的な村とそこに住まう一族の事情、そして起こる殺人事件。この作品は恐らく意識的に『金田一耕助シリーズ』などの著名な推理ミステリーの作風を取り込んでいる。
【ココも面白い:全盛期の目玉おやじ】
とはいえ、この映画最大の特徴はやはり鬼太郎の父・目玉おやじが「全盛期の姿」で妖怪絡みの難事件に挑むことであろう。本作は人間である水木と目玉おやじが手を組んだ「バディもの」として語られる。
嘗ては目玉おやじにも肉体があったことは初期から設定で明かされているが、初出は6期の第14話でオマケに夢世界で得たイメージという注釈付。真にその姿を描いたのは本作が初めてということになり、彼は便宜上、劇中でも『ゲゲ郎』と呼称される。
背は高いが白髪でひょろひょろに見える肉付きの悪さ。そんな姿からは想像もつかないほどの戦闘能力とアクションシーンを披露する。リモコン下駄や体内電気、髪を伸ばして敵に巻きつけるなど息子同様の能力を用いながら、時には「妖怪」ならではのパワーとスピードで取り囲む敵をなぎ倒していく。
作画は個人的にはちょっと崩し過ぎでは?と感じたが、最近の高クオリティなアニメーションに追随していく出来映えだ。画面奥から手前へ滑るように急加速する下駄の速度にフラッシュの明度、そして一対多の殺陣は往年、児童を相手にしてきたシリーズとは思えないほどの迫力がある。
【そしてココが怖い?:白骨妖怪・狂骨と龍賀一族のおぞましさ(1)】
ホラーの観点から見ると、残念ながら鬼太郎シリーズそのものが長年、著名な妖怪や怪異をマスコットに近い形で「キャラクター化」してきた作品のため、それらをどれだけ恐怖演出を加えて登場させてもあまり怖くないという域を出ない。そんな欠点を補うのが、物語を追うことで明かされる龍賀一族の凶行の数々と、その慰み物にされてきた龍賀沙代{りゅうが さよ}を依り代とする狂骨である。
{netabare}鬼太郎の種族『幽霊族』の血と人間を使って生み出される不死に近い妙薬『M』。この薬の売買で巨万の富を得るために龍賀一族は村ぐるみで多くの人間をさらい、また幽霊族を狩るために様々な邪法に手を染めてきた。そして本来は龍賀一族に牙を剥く筈の『狂骨』の怨念は呪詛返しによって操られ、さらに金の力で雇ったか鬼道衆(妖怪狩りを生業とする修験僧)すらも一族の配下に置いた。幽霊族と呼ばれる妖怪がゲゲ郎しかおらず、後に鬼太郎を生む筈の妻が行方不明であるのも全ては龍賀一族と哭倉村の村民が元凶だったのだ。{/netabare}
そんな一族から、沙代はより強い霊力を宿す子供を産ませるための「母体」として扱われていた。彼女はここで語るのも億劫になるほど吐き気を催すことをされている(観ていない人は『近親相姦』というワードで察してほしい)。そんな事情を感じさせず恋する乙女として描かれていただけに、彼女の事情がさらっと語られるだけで主人公である水木と同じ位にえずいてしまいそうになった。
そういうシーンが描かれるわけではない。飽くまでも「台詞」として語られるだけだ。しかし語られるだけでも想像できてしまう惨たらしく醜悪な行為は、聴くだけで顔をしかめる程度の反応は出てしまう。やはり真に恐ろしいのは幽霊でも妖怪でもなく、欲望に満ちた「人間」ということだ。
ただ、どれだけ人を「道具」として扱おうともその者には心が────確かな「意思」がある。
{netabare}沙代は一族のしがらみから逃れるため、血を分けた親族らを狂骨の力で次々に殺害する。目を貫く、高い木の天辺へ串刺しにする、斬った首を祭壇へ飾るetc.その方法はどれも残虐極まりない。彼女の操る狂骨は非常に獰猛であり、彼女自身が死なない限り止まることはないのだ。
そして彼女の背後には、これまで彼女が手にかけてきた者たちの怨霊が浮かんでおり、それはゲゲ郎との邂逅を機に妖怪や幽霊の存在を信じるようになった水木の眼に確りと映っていたのだった──。{/netabare}
【そしてココが怖い?:白骨妖怪・狂骨と龍賀一族のおぞましさ(2)】
一族の凶行はそれだけに留まらず、その中でも飛びきり外道なのが物語序盤で死去した龍賀時貞{りゅうが ときさだ}である。
{netabare}
『齢八十を超えて余は嘆いておった。時麿を始め余の子供たち────いや最近の若い者は皆なっとらん!これはまだまだ余が導いてやらねばならぬ』
勝手に日本の未来を憂い、勝手に自分がいないと未来は成り立たないと驕る。その挙げ句の果ては自らの魂を孫に移して身体を乗っ取るという愚行であった。
長田時弥{おさだ ときや}────幼い彼はまだ何も知らない。自分が何のために生まれたのか、一族が何をしているか。何も知らない純真無垢な子供は、純真無垢だからこそ水木にもゲゲ郎にも純粋に接してくれた。だが、そんな純真無垢な子供ですら時貞にとっては第2の人生を謳歌するための「器」でしかない。
魂を追い出され、老いた権力者にその体を奪われてしまう。もう取り戻すことはできない。傲慢な男の欲望のために女性子供が犠牲になっている世界だ。あまりにも醜悪な黒幕の行動に本気で嫌悪感を抱いてしまう。
ゲゲ郎の妻も、時貞の欲望のために搾取され続けていく。この作品に救いと言えるものは殆どない。人の欲望が惨劇を生み出し、女と子供が犠牲になり、誰も救われない。{/netabare}
【そしてココが熱い!:アンタつまんねぇな】
{netabare}そんな黒幕に「報い」を与えられたことだけが唯一の慰めになるのだろうか。
人間、誰しも自らの私腹を肥やそうと画策していくもので間違いなく水木もその1人であった。しかし黒幕・時貞の底抜けの業突張りが、短い間で心を通わせたゲゲ郎たちを絶望に突き落としていく。その一部始終を目の当たりにしてきた水木は人間でありながら、妖怪と同じ“人間への不信・軽蔑”を心に宿すことになる。
『どうじゃ!?余につけば会社を2つ3つ持たせてやろう!もっといい服を着ろ!御殿に住み、美女・美酒を味わえ!これぞ、人生ぞ!!』
『アンタ────つまんねぇな!!!』
限りなく無力であり、そうでなくても報奨を積んでいくらでも懐柔できる筈だった“人間”。その理から見事に外れた水木の一撃によって龍賀の呪詛返しは破られた。そして、死して狂骨に成り果てても龍賀一族に利用され続けてきた犠牲者たちは、その怨みを然るべき相手へようやく向けることができたのである。
時貞の末路は正に「因果応報」であり、「人の身体を乗っ取ってまで生き続けたいのならそれで良かったじゃないか(笑)」と言えてしまうような痛快さもあった。{/netabare}
【キャラクター評価】
水木{みずき}
ご察しの通り『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるがモデル。本作の基盤となっている6期でも、序盤で目玉おやじが『鬼太郎は水木という人間に育てられた』という旨の話をしているらしい。今回の話はその前日譚ということで、その事実に繋がるエンディングがどのようなものなのか。また、鬼太郎の育ての親がどんな人物なのか。その辺りに注目が行くため、新規キャラでありつつもかなり目を惹くキャラと言えるだろう。
{netabare}「昭和という時代に呑まれかけていた、元来は心優しい青年」という肩書きにひとまず落ち着く。最初期こそ『第二次世界大戦に参加した過去から、がむしゃらに富と栄光を求めている』『そのためには手段を選ばない』といった非常にストイックな性質の持ち主であり、タバコの吸い方もなんとなく荒々しい印象を抱いていた。
そんな青年がゲゲ郎や沙代との出逢いを機に少しずつ絆されていく。ありきたりと言えばありきたりだがこの部分に奇をてらう必要は全く無く、「結婚(=損得勘定を抜きにした男女の恋愛の終着点)」を意識し、そこに今、暗雲が立ち込めているゲゲ郎を助けようと奔走する内にかけがえのない「相棒」となっていく。人が思い出す様に愛と友情に目覚める姿を多くは語らずに描いており、そこが粋。
この段階で描いた、ゲゲ郎と墓場で煙草を燻らせたり天狗酒を飲んで語らう一時のシーン。これが現状とは裏腹の「まったり感」を持たせている。1本の作品でありながら“箸休め”としてきちんと機能していて私も好きな1シーンとなった。{/netabare}
ゲゲ郎
6期から絶妙にデザインを変えてより鬼太郎の父らしく、そして水木しげるキャラらしく。加えて声優を野沢雅子さんから関俊彦さんに変更する英断など、全てにおいて良調整が上手くいった様だ。
野沢さんはレジェンド声優ではあるのだけど何をやらせても『ドラゴンボール』の孫悟空orお婆ちゃんになってしまうから、もし「現・目玉おやじだから」って理由だけで本作のゲゲ郎役にもなっていたら本作への没入感が損なわれてしまう所だっただろう。関さんは人気作に出演し過ぎて逆にそういうのないからね(笑)
{netabare}ただ、肝心の主人公としての活躍はそれほど多いとは思えなかったかな。理性を失った妖怪の群れや鬼道衆と戦っている内は一騎当千の強さを感じられるけれども狂骨には敵わず。勝てなかった相手は狂骨だけなものの結局、劇中では狂骨を使役する人物が多いため、大事な勝負所では全部、負けっぱなしという展開に。
奥さんの情報を手に入れる際に紗代に口利きして貰って孝三と話す事ができたのは水木の働きによるものだし、幻治や時貞に捕まった際にも水木に助けられ、ラストの狂骨相手には妻のお腹にいた鬼太郎に助けられるというドラゴンボール超な展開。初めに不気味な様子で出てきたゲゲ郎であったが……かなり周囲に翻弄された印象すら感じた。
まあ良い風に書けば人間・水木とのW主人公モノとも言われる本作だけれど、そうではなく飽くまでも「水木とセットの主人公」と言った感じなのだろう。例えベタでも人と妖怪が友情を築き、共に困難に立ち向かう姿。そして種族分け隔てなく未来は未来へ生きる子供たちのものだと信じ、未来を守るために犠牲となる姿。それらがとても尊いのである。{/netabare}
【総評】
全体的に見て素晴らしい作品だった。
アニメで視聴者をしっかりビビらせるような「ホラー」を演出するのはとても難しいことであり、本作も純粋にホラージャンルに徹したとは言えないものの、時には金田一耕助シリーズ(アニメなら『ひぐらしの泣く頃に』)のような連続殺人事件のミステリーを描写し、人々から恐れられる筈の人外=妖怪を遥かに凌駕する「人間のおぞましさ」を徹底的に取り上げることで“ヒトコワ”的な恐怖と嫌悪感を確りと描いている。
アニメーションのクォリティも素晴らしく、戦後の日本の空気感、煙たくなるほどのタバコの描写、戦闘シーンではこれでもか!とゲゲ郎が動きまくり、キビキビとしたアクションで盛り上げてくれる。
{netabare}ストーリーも本当に容赦がない。殆どのキャラクターが死亡するか、何らかの酷い目にあっており、そんな惨たらしい展開の数々を見せることで、視聴者を精神的に蝕んでいく。
唯一の救いは本当に僅かなものだ。そんなたった1つの救いがあるからこそ、見終わった後の感覚も悪くない。だが女性にも子供にも本当に容赦がなく、神も仏も救いもないこの作品を見終わった後は思わず深いため息を付いてしまうほど重い作品だった。{/netabare}
飽くまでもゲゲゲの鬼太郎の前日譚であるが
、それでも和製ホラーが好きな人、ひぐらしやうみねこの雰囲気が好きな人には是非オススメしたい。良い意味で鬼太郎っぽさ・子供っぽさが無くアニオタなら全然楽しめる。ちょっと女性ファンの熱気が強くなり過ぎて一部、上映マナーに苦言が出るようなまとめ記事も掲載されたが、それが逆に私の主張を裏付けてくれるものではないだろうか。変にホモくさいわけでもない。何なら男性オタは沙代ちゃんの可愛さ目当てで視聴するのも良いだろう(尚その後、心に傷を追って帰る羽目になるだろうが責任は取りません笑)。
鬼太郎の知識は、有れば楽しめる部分はあるものの無くても楽しめる。私は6期をつまみ食いしたような状態で本作を観て十分に楽しめた。ラストは恐らく『墓場鬼太郎』へと繋がっており、確かにゲゲゲの鬼太郎の始まりを感じさせてくれる。それと同時に本作にしか登場しないキャラクターたちの「終わり」も大きく余韻に残す素晴らしい前日譚である。