waon.n さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
感動。整理がつかないほど、呆けてしまうほど、
【First】
ずっと観たかったんです。
『千年女優』を観てから、『パプリカ』を観てから。
リバイバル上映で観ることができました。感謝しかない。音の良い劇場で大きなスクリーンで。
【Synopsis】
アイドルを目指して上京した主人公はメンバーの中でも人気が高くセンターをつとめていた。
彼女の努力が実り、世間から注目されるようになると、女優としての仕事が入ってくるようになる。
アイドルから女優への路線変更を事務所と話し合い、選択をするも・・・
【Review】
監督は今 敏さんで原画を担当する面々は今やレジェンドともなっている人たちがクレジットされている。
一度機会があり、今さんの絵コンテをデータで見たことがあります。
背景の書き込みがラフ原画並みで鳥肌が立つ。本当に天才ってやつはいるんだと感じた瞬間でした。そのままトーン貼れば漫画になるレベル。
さて、今回のレビューのタイトルの通りですが、整理がついてません。ぶっちゃけ言語化するなんて無理なんじゃないかって思っている次第ですが、気になった点や自分なりに考えた事を書きなぐっていこうかと思います。
テーマには社会派といっても良い、ストーカーって奴ですかね。ちゃんとおためごかしなしで気持ち悪く描いていて好印象。
そして、テーゼは虚構と現実。ともすれば、作家の筒井康隆的なメタを感じさせる仕組みが映像の中あったように思う。
古い作品ですがネタバレは無いほうが楽しめると思いますので、基本的には無しで頑張りたいと思います。
劇場を出たあとで、歩道を歩いていた私は、落涙していた。
レビュータイトルにあるように整理がついていない、呆けてしまうだけで、なんの涙なんだ? 今さんの新作が一切作られる事がないことへの絶望か、物語に圧倒されたのか、作画に、演技に、演出に圧倒されたのか。
きっとどれもだ。少しずつなのか、まとめて全てなのかは分からない。整理できないからだ。
ただ、いくつかの事柄があたまの中にある。それを羅列していこう。
●アイドルという像
アイドルは踊るが、ガムシャラには走らない。後ろに手を組んで跳ぶんだ。
これは、当時のアイドル像がそうであった。アイドルはウンコをしないなんて冗談が思い込みの力により、信じられるように(もはや宗教に近い)。
アイドルに興味はないんだけれど、現代のアイドル像との違いを意識させられてしまった。
現在のアイドルはガムシャラだし、大口を開けて笑いもする。もちろんウンコすることは当たり前。
これを今更ながら感じたわけだけれど、虚像が現実に近づいてきたのか、現実がメタバース的に拡張された結果そうであって欲しいという願望が新しいプラットフォームへ移行したのかどちらだろうかと考えさせられる。
無知な私は現在のアイドル像がもしかしたら次のステージに進んでいて気づけていないだけなのかもしれないが、そう浮かんでくるのだった。
分かりやすいメタバースはネット上に拡がっていて安心なのだが、こっちの方は少し恐怖を覚える。そういう意味では、今作品はSFの香りがして私に刺さった理由のひとつなのかもしれない。
●背景はどこから?
この場合の背景は人物のバックグラウンドという意味ではなく、背景美術の背景です。
作品が制作された当時はセル画の時代だっただろう。現代のデジタル作画との違いは色味だったり柔らかさだったりすると思うのですが、その結果として背景とセルの違いが上手くいってないと浮いてしまっていたりして、作り物感(実体感の反対語として)が出てしまう。
前述したテーゼに戻ると、虚構と現実じゃないかなーっていう感じですが、背景とセルの境目を曖昧にする演出によって作品内で逆に実体感を出すことに成功しているように思える。
どういう方法をしているのかに言及しなければ、っていうのがレビューを書く上での誠実さかなと思うので書いておきます。間違えている可能性もありますが…って予防線張っちゃう辺りはダサダサ。
・方法とはすっごい単純ですが背景として必要なものを減らすこと。
主人公の部屋の中を例に挙げると(どこまで正確に思い出せるか…)タンスやテレビ、ぬいぐるみ、小物類をセルで描いてるっぽい。背景は後ろの壁や窓だけ。みたいな。
これはコントロールするのがめちゃ難しいと思う。描く人によって空間把握が違う可能性があるし、カメラにによっても変化するからだ。
何でこんなことが可能なのかについてはさらに話を戻して、絵コンテの話になる。
どうして可能なのか、その答えは今監督本人が完璧にコントロールしているように思えるからだ。
たとえば、原画さんにカットを発注する際に「ここに小物があります。設定の通りにお願いします」コンテ上で後ろが真っ白になっていて、キャラだけのコンテっていのはかなり難題でしょう。これはセルなのでこれくらいの大きさでみたいな具体性が必要なるんじゃないかな。
このときに原画(動画?)を担当していた磯光雄さんもこの影響を受けてコントロールしてるんじゃないかなって感じる作品もある。
もしかしたら業界内では当たり前の演出であるもののできるかどうかは力量次第なのかもしれない。
3Dレイアウトからの原画だったとしてもこの手法は関係ない。どこをセルにして、どこを背景にするのかの選択だからだ。
この取捨選択はアニメーターの負担との相談になるんだろうけど、作品内でここまで影響を感じるなんてと個人的には驚いた。
映像の中のレイヤーを増やす(今も増やす傾向)のをこの当時から当時の技術で成し遂げている点でめちゃくちゃ作画を評価するしかない。
【あとに】
作品には胸糞展開があり、視聴する際には注意が必要ではあるけれど、観ないと損をしていると感じるレベルですごいです。
もう、Blu-ray買うよ。
作品とは関係ないのですが、SNSにおいて手抜き作画がーっていうのを聞いた。
『セリフがあるキャラなのに顔がかかれていない』ってやつね。
うん、確かに手抜きなんですよ。
でも顔を描かないのがではなくて、どんな場面かすでに見せているんだからカットを変えるか、もしくはスライドしたりという工夫もできたのでは・・・って話をしたいんだと思う。
でもそれをちゃんと書かないからいけないんであって誤解を与えかねない事を理解しておいた方が健全だろう。
こういったレヴューっていうのは簡単じゃないなって思います。
なので、個人の感想です。間違えもあるよって事を再度書いておこう(ダサダサ)。
ふぅ少し書いたことで整理できたかもしれないけれど、ヒッチコックの『めまい』よろしくめまいを感じる稀有な作品でした。
近郊でリバイバル上映があった際には是非劇場で。
それでは、よしなに。