薄雪草 さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
後宮の赤い実。
毎回、楽しく視聴しています。
なお、原作は未読です。
今回、9話と次回の10話の予告が気になって、拙い推理をしてみようかな?と思いたち、厚顔を承知で書いてみようと思いました。
言わば、ネタバレにもならない "恥バレ" というわけです。
{netabare}
タイトルの「後宮の赤い実」ですけれど、一般的に南天などを指します。
花言葉では "慶事・縁起物" と転意されます。
南天のほかにも、万両、千両は見かけはとても似ていて、花言葉もほぼ同じ意味合いです。
面白いのは、億両、百両、十両、一両という名前の植物もあります。
"〇両" は通称で、別名ですと、億両はツルシキミ(ミカン科)、万両はヤブタチバナ(サクラソウ科)、千両はクササンゴ(センリョウ科)、百両はカラタチバナ(サクラソウ科)、十両はヤブコウジ(サクラソウ科)、一両はアリドウシ(アカネ科)、南天はナンテン(メギ科)と多種多彩です。
そのなかで一両だけは、枝先や葉腋(ようえき=葉の付け根)に "鋭い棘" があります。
なので、古来の風習に倣うと、柊(ヒイラギ)と同等に "魔除け" の意味合いを持っています。
さて、この赤い実の "縁起物" という意味合いを、「誰のため、何のため」という視点でアプローチしてみようと思います。
後宮は、皇帝の後継者を作ることはもちろんですが、男の欲と願望(世界統治バランスの側面や、男性性の処理)のためのシステム化がそもそもの成り立ちです。
赤い実は、咲く花の少ない晩秋から冬のあいだの風物を華やかに彩る植物です。
良く言えば、後宮という鳥かごで、鬱々する気分をいっとき慰めてくれます。
悪く言えば、皇帝のひと言で "何とでもできる" 条件下で生かされていることを暗喩しています。
花瓶に生けられたその赤い実は、器に縛られてでしか生きられません。
万一にも、求められる美しさ、賢さ、淑やかさから外れてしまったら、花瓶ごと割られかねません。
「女性は男性の意に従え」とばかりに、です。
猫猫(マオマオ)は花街育ちの薬屋です。
男女の色恋の陰には、必ずといっていいほど富力と暴力による支配があり、男社会の抑圧を痛いほど肌身で感じ取ってきています。
猫猫は呟きます。
「後宮も、花街と同じだ。」と。
これが猫猫のジェンダー(社会的属性)への視点であり、その想いを花瓶の赤い実に重ね、巡らせたのですね。
つまり、仮に、女性に社会的な資性が備わっていたとしても、男性の都合や判断ひとつで、飲酒が規制されたり、他殺が自殺にも処理されてしまう軽い取り扱われようであることが、切なくて、ままならなくて、やり切れなくて仕方がないのですね。
唐突のように差し込まれた詩歌曲の演出には、作品の理解のための深い意味が込められていると思います。
じっくりと耳を傾け、彼女らの胸が詰まる思いに気もちを寄せていただけるなら、女性性の哀しい心情がいくらかは汲み取れるのでは?と思う次第です。
~ ~ ~ ~
さて、いよいよ柘榴(ざくろ)宮のアードゥオ妃(淑妃)が登場します。
彼女の来歴は不明ですが、柘榴の原産地から推察するとイラン系を出自とする女性なのかもしれません。
となれば、10話の「ハチミツ」と「柘榴」を、以前のリーシュ妃(金剛宮の徳妃)との相関における軋轢や、アレルギー性皮膚炎とを紐づけてみると、何やらきな臭いものが想起されます。
つまり、アナフィラキシーショックによる致死殺(?)です。
柘榴の枝先も棘のように鋭いのが特徴で、安易な気持ちで果実に触れようものなら危険極まりません。
また、南天(こちらは中国原産)と同様に "真っ赤な実" を生らします。
しかも、イラン産の柘榴の外殻はとっても硬いんですね。
そのような柘榴ですので、アードゥオ妃の意志の固さや、取り巻きする女官たちの忠誠があるとすれば、別の何かが暗喩されている10話なのかもしれません。
花言葉は「円熟した優雅さ」ですが、赤い実に限れば「愚かしさ」に転意します。また「子孫の守護」という意味もあります。
これら背反するダブルミーニングが何を意味するものなのかは今は分かりません。
水死した "無名" の女官、塩の過剰摂取で亡くなった武官、火傷を負った柘榴宮侍女頭のフォンミンらの役どころを考えると、猫猫と壬氏にとっては、どうにも頭の痛い推理と、いつものつぶやきが漏れるのは仕方のないことかもしれませんね。
そんなわけで、今後の放送を楽しみに追いかけている私です。
{/netabare}
二つを一つに。
とても面白く、そして悲しい思いになった回でした。
前レヴューの推理は、少しはかすっていたのかな?の恥バレでしたが、あらためて注目したのは、作者のジェンダーへの視点でした。
アードゥオ妃が「みんな、バカだ。」と絞り出した言葉の意味。
それはたぶん、自身の立場と振る舞いの愚かしさに向けてだったように私は感じました。
アードゥオ妃は、生まれながらにして後宮に縛り付けられたジェンダー(社会的属性)です。
猫猫は、躑躅(つつじ)を見て「狂い咲き」と言っています。
これを花言葉で解くと "常軌を逸した自制心、こじれた節度" と言えるでしょう。
つまり、後宮という社会体制・組織・規律・運営は、女性性の "大切なもの" を、軽んじ、蔑ろにし、破滅させるという意味にも受け取れます。
そんな角度で振り返ると、赤ちゃんを交換するというアードゥオ妃の発想も、その子どもを死なせてしまったフォンミンの無知と後悔も、柘榴宮を守るために自死した女官の忠義も、すべてが後宮というシステムに起因しているものだと理解できます。
それぞれの動機は已むに已まれぬものかもしれません。
でも、後宮での地位保全を図ろうとすればするほど、その代償は大きくなっていきます。
猫猫が、躑躅の蜜をひとなめして「これくらいでは死にません。」と言ったのは、多くの量を体に入れれば甘い毒に狂わされるという意味です。
アードゥオ妃が柘榴宮妃を辞すのは、自らの判断が初発のきっかけとなったことで、巡りつづけた因果と応報の毒を受け止めたから。
幾人もの命が奪われたことによる自責の念、ジェンダーへの批判の想い、その中枢に任じられている壬氏へのケジメだったのかもと受け止めました。
~
それにしても、壬氏とアードゥオ妃が親子であるかのような演出はいったい?
また、猫猫の養父が、元宮廷医官だったとは予想もしていませんでした。
加えて、フォンミンの関係者に "猫猫の名前があったこと" 、 "さらわれての奉公ではないこと" にもびっくり。
猫猫は、今のところ、そのことを知っていなさそうですが・・。
猫猫の推理が、今後の展開にどんな伏線を張るのか、はたまた妄想がどんなミスリードを誘うのか、気をもんでばかりいます。