ナノトリノ さんの感想・評価
3.4
物語 : 4.0
作画 : 2.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
夏アニメで一番楽しみでした
個人的に夏アニメで一番楽しみにしていました。
アニメとしての出来は確かに問題が多いのかもしれません。ですが次の回が待ち遠しく、完走余裕どころか夏アニメで唯一3周以上しました。
要は好きになっちゃったのです。
なので半ば強引にこじつけてでもポジティブ方向に書いてみたいと思います。
原作コミカライズ共に未読、アニメから入って最後まで見た第一感は正直なところ「わからんw」でした。興味がわいたので原作小説とコミカライズをそれぞれ最初の数話分読んでみました。
面白いのは原作とコミカライズの間で既に味わいがずいぶん違って感じられたことです。
原作小説はモノローグ主体の軽妙な会話劇で、さしずめ読むラジオドラマといった趣。コミカライズはそれをよりわかり易く再解釈したポップなラブコメに振っているように感じます。
対してアニメ版。モノローグを大胆にカットし、不思議なテンポ感と浮遊感のある構成である意味淡々と進行します。原作ともコミカライズともまた違った雰囲気です。最終盤こそラブコメ濃度が上がりわかり易くなっていましたがなお疑問は残ります。
なぜヒロイン夏川そっちのけで1話早々から他の女の子の話ばかりやっているのか。まるで迷惑ストーカーのような佐城のどこに夏川は惹かれたのか。本当にただ単に押してダメなら引いてみろだったのか。
可愛らしいキャラデザや独特のテンポ感、ヘンテコな背景美術にばかり気を取られていましたが、周回を重ねてみてあるひとつの個人的解釈に思い至りました。
これは夏川の救いの物語だったのではないか
10話や12話で割とさらっと描写されていましたが中学時代の夏川はガチでヤバかった。
重度のぼっち体質だけど容姿成績優良でコミュ障でもない。
なので級友からも教師からも「そうは見えない」タイプの孤立。
友人を持たないこと自体はそこまで問題ではないもののおそらく本意ではなかったでしょう。
それよりなによりマズいのは自分自身を追い詰め自己肯定が全くできなくなっていたこと。
怒りや憤りの矛先さえもすべて自分に向け、自己爆縮して潰れかかっていました。
これならまだグレて当たり散らしてくれた方が周囲から可視な分よほどマシです。
更に親は忙しく妹は幼く気付いてくれる人が皆無でした。
佐城のストーカーまがいの粘着行為は、きっかけこそひと目ぼれだったのかもしれません。ですがそれだけではなく、放っては置けない何かを感じ取っていたのではないでしょうか。嫌な顔されても迷惑がられてもひとりにしては置けない何かを。
つきまとい続けるというその行動はまったくほめられたものではありませんが、結果としては2年半に渡って外部から肯定感を浴びせ続け、袋小路から引きずり出そうとしていたことになります。
それはおそらく功を奏し、そして例のサッカーボールの瞬間に「もう夏川は大丈夫、歩き始めてる」と直感的に気付いてしまったのかもしれません。
夏川の救いの物語だという視点で観返すと他の女の子たちのエピソードも決して無駄な寄り道ってわけでもありません。
自分でわかっていながら道を曲げようとしてるのを押し戻した藍沢と楓。
肯定することで次の一歩へ新しい場所へと踏み出させた凛・ゆゆ・一ノ瀬。
すべて佐城が夏川に何をしてきたのかを夏川抜きで間接的に見せています。
つまり夏川が佐城に寄せる好意の理由も9話かけて語られているのです。
ただ笹木だけが純粋なトリックスターに見えるけれど、やがて去る佐城の代わりに一ノ瀬の居場所になってくれるポジションに収まっています。
古賀(ヤった?の人)とクロマティさんのお二人は、揺れる夏川の気持ちを引き出すためのワンポイントリリーフといった所でしょうか。
いかにも恋愛事情に絡んで来そうだったのに直接は踏み込んで来ず物語の駆動に終始した芦田は狂言回しかプロデューサのような位置取りでした。
総じて「他の女の子たち」は夏川のために現れ夏川のために動いていたわけです。佐城は夏川に一途なのです。
そして救われたのは夏川だけではなく佐城も同じです。
タイトルは「夢見るストーカーがサッカーボールで急に現実主義者になった」とも読めますがそうではありません。現実主義者に「返って」いるのです。
佐城が現実主義者になったのは中二の時。
本音をさらけ出さず空気読んで取り繕いうまくやっていく、
誰にでもよくある変化で、ある意味正しい成長と言ってもいい。
ただそれは佐城にとって灰色の味気ない日々でした。
そこから救い出し世界に色を付けてくれたのが夏川の存在。
作中の佐城は凡人を自称しながらも相当なハイスペックに映ります。
一見相反するようですが実は両立していて、実際凡人に過ぎない佐城が夏川の存在により相応しい男になるのを夢見て研鑽を重ね続けて来たからなのです。
お互いに救い合っていたというと相互依存ぽくてマイナスイメージも強いけれど、高め合っていたと言い換えることができるのならばそれはまぎれもなく恋です。
最終話では二人ほんの少しずつ寄り添い合い、現実も夢も両方見ることができるまでになり世界は再び色づきました。
Webで読める原作小説はいまだ序盤までしか読み進められておらず、この先ここに書いたのとは別の感想を抱くのかも。
繰り返しになりますがアニメ版は誰にでも勧められるようなものではなかったかもしれません。それは わけがわからん、というひとことに集約できるのかと思います。ですが妙な吸引力があったのも確かです。
逆説的ですがわからない事そのものが魅力のひとつになっていました。
あたかも解釈をこちら側に委ねた珍しい造りのアニメだったとさえ思えるのです。