キャポックちゃん さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
シンデレラとは正反対の勁いヒロイン
【総合評価☆☆☆☆】
あらすじだけを追うと、悲惨な境遇に置かれていた女性が心優しい男性と婚約することで幸せをつかむという、フェミニストがブチ切れそうなシンデレラストーリー。だが、きちんと鑑賞すればわかるように、中身は全く違う。何よりも、ヒロインが勁(つよ)い。どうかすると、婚約相手よりもはるかに強靱な精神力の持ち主である。すがすがしいサクセスストーリーだ。
舞台となるのは、路面電車が走り始めた明治後期の日本を思わせるパラレルワールド。柳と街灯のある商店街が描かれる(第3話)が、どちらも明治の銀座で始まったものなので、この時代と場所をイメージしているのだろう(一瞬、昭和の建築である服部時計店に似たビルが登場するのがお茶目)。「異能」と呼ばれる超能力が政治的に大きな役割を持ち、異能者の一族が貴族として重用されている。そんな社会で、異能の家系に生まれながら能力に恵まれず、父親に軽んじられ継母・異母妹から虐待される美世(みよ)が主人公。下女同然の扱いを受け、当世随一の異能を持ちながら冷酷で女性を寄せ付けないと噂される久堂家当主・清霞(きよか)のもとに許嫁として送り出される。しばらく同居するが、婚姻が無理と判断されたら即退去という暗黙の約定なのだろう。物語は、ここから当人たちの思いもよらぬ方向へと転がり出す。
一見、ガラス細工のように繊細な美世は、常々、異能を持たない己の不甲斐なさを嘆くものの、その割には打ちひしがれることなく、状況を耐え忍ぶ勁さがある。状況に反抗する態度を「つよさ」と誤解する人がいるが、これは正しくない。社会の陋習を変えるのに必要な人脈があれば、反抗という手段も考えられよう。しかし、与えられた環境の中でただ一人生き抜かなければならない場合は、状況に逆らわずサバイバルのすべを模索するしかない。下手(したて)に出るというのは、実は最強の処世術なのである。
父や妹に邪険に扱われていた美世だが、周囲には理解する人々がいた。上流階級に属さない女中や商人は、信頼に値する人を見抜けないと自分が窮地に陥るので、他者への評価がシビアである。美世は、こうした人々からの支持を得ることができ、文字通り微力ながら要所要所で助けてもらう(おにぎりを作ってくれたり)。
美世の勁さは、彼女の日常生活に現れる。着物を買ってもらえなければ、自分で古着を繕う。下働きの仕事を押しつけられたら、その腕を磨く。久堂家に赴く際には、一人で路面電車を乗り継ぎ、地図を見ながら目的地に到る。正規の教育は受けていないようなので、放置された雑誌などを使って独学したのだろうか。知的で勤勉な努力家であり、したたかにサバイバルを果たしながら、凜とした女性へと成長する。『暗殺教室』の殺せんせーが口にする「清流に住もうがドブ川に住もうが、前に泳げば魚は美しく育つのです」(第1期第7話)という名台詞そのままに。
下働きとして腕を磨いた経験は、後に清霞の部下をもてなすときに生かされる(第5話)。彼女が用意したのは、豪勢なご馳走ではなく心づくしの手料理。茄子の煮浸し、茹でた空豆、奥にあるのは蕗の薹の天麩羅か? 中央の姿焼きは、おそらく卓を華やかにするための飾り鯛で、酒を飲む間はそのままにしておき、最後に切り分けたり潮汁にしたりして、みんなで食べるのだろう。見ているだけで心が躍り、なぜか涙が出てくる。
すべてがうまくいきそうに思えたのに、中盤からは少しずつ美世と清霞の間に行き違いが生じる。それゆえに起きた事件が第9話の後半で描かれるが、私は、見ながら篠崎誠の映画『おかえり』(傑作です)を連想した。この映画では、約束を守らない夫の態度に心を蝕まれていった妻が、ある晩、異様に豪華な夕食を作ってしまう。第9話で美世が清霞のために用意した料理も、人参をわざわざ花形に切るなど、かつての手料理とは異なって、どこか上辺を飾っているように感じられ、切ない。
(冒頭の1章だけ試し読みした限りでは)原作のライトノベルも悪くないが、アニメ化の際に3人のライターによる脚色で細かな点に適切な修正が施されており、より感動的になった。例えば、美世が婚約者として久堂家を訪れるシーン。原作で途中まで付添がいたのに対して、アニメの美世は、実家に向かって一礼してから独りで出立する。彼女の立場と性格が自然と滲み出た、見事な表現である(郊外の電車内で向かい合わせの席にただ一人腰掛け、女中が握ってくれたおにぎりを食べるシーンも好き!)。ラスト3話は類型的で面白みに欠けるものの、それでも間違いなく2023年夏アニメの最高作だ。