薄雪草 さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
昭和テイスト
いえ、作品の価値を蔑ろにするものではありません。
そんな悪い意味ではなく、ちょっと感じるところがあったからです。
わたしは、鑑賞から大きなインパクトを受けたので、本当のところはネタバレありで書きたいんです。
でも、ストーリーもキャラ相関も劇伴もEDも、ぜんぶ前情報なしで、劇場で感じていただきたいなと思います。
つまり、「すべてがすごく良かった」と申し上げたいんです。
~
一つだけ。
(もちろん、本作のストーリーには直接関わりのないことです)
作品に「神隠し」めいたシーンが演出されています。
私は、そのシーンに "横田めぐみさん" が思い浮かびました。
北朝鮮に拉致され、未だ帰国できないでいる彼女が拉致されたのは、中学1年生、わずか13歳です。
昭和52年11月15日。
あの日から、横田さんご家族の世界が一変し、時間も止まったままです。
~
世界を変えるのは、心の痛みが伴います。
命が存在することさえ危ぶまれる世界ならなおのこと。
だから、勇気を振り絞って、情動を昂ぶらせて、声を叫ばせて、未来に拘らなければなりません。
わたしは、国民が一つになる、ならねばならぬ痛みだと信じています。
本作に昭和テイストが感じられたのは、日本人拉致という国家を揺るがす大事件への怒りと、現状の閉塞感からだったのかもしれません。
~
作品と一体となるのが、中島みゆきさんのEDです。
目を閉じて、耳をそばだて、イメージの余韻に深く浸ることができるEDでした。
岡田磨里氏が思い切ってオファーし、中島みゆきさんが快諾されたという逸話付きです。
(なぜだか曲調がほんのり昭和テイスト気味に感じられたのはわたしだけ?)
また、本作は、全編にわたり、岡田氏200%の入れ込みとのこと。(さよ朝は100%だそうです)
なので、シナリオはもちろんのこと、声優さん、映像密度、陰影の表現性なども、何も言うことはありません。
ファンの方にはきっと満足できるクオリティーです。
そうでもない方には、いろいろな切り取り方やアプローチで楽しめると思います。
私は、おすすめです。
{netabare}
〜 余韻に想う 〜
戦わせるのは、母と娘とに錯綜する恋の落としどころ。
分かち合ったのは、未練を断ち切るために絞り出す愛の言霊。
求めていたのは、凍てついた時空を溶かすほどの熱いキス。
立ち向かったのは、まぼろしのままに身を伏せていく覚悟。
心の拠りどころをまぼろしの過去に求めた少女と、身の置きどころを未来へと送り出す少女の物語。
わたしはそう受け止めている。
~
閉塞に囲われ、虚言に支配された見伏(みふせ)の町。
曇天に覆われ、心音さえ弱まったさびれきった町。
時間は歩みを止め、空間は窓を閉ざしている。
心の痛みだけを塗りこめて。
正宗は父を失い、睦実は母を亡くした。
幼い女の子は名前もないままに、わだかまりだけが胸に取り残される。
亡失に縛られ、焦燥に取り憑かれた彼ら。
それでも、その心音は刻々と思春期に身を寄せていく。
~
睦実が「私には六つの罪があるから」と自嘲したことで、正宗が「お前よりも罪が一つ少ない」と言い立てた少女の名前。
それが五美(いつみ)だった。
正宗は、五美の生成りのままの幼さや、あどけない屈託のなさから、それを感じ取ったのかも知れない。
あるいは、睦実のあざとい挑発に憤りながら、同罪感に苛まれたせいなのかも知れない。
正宗と睦実の魂から欠け落ちてしまったものを、五美に見て取ったからかも知れない。
ただ一人だけ成長を続ける五美の生々しいそれを。
~
五美。
それは人間に備わっている五つの感性を言い表わしているように感じる。
見ること、聞くこと、嗅ぐこと、口にすること、全身を動かすことで爆発する魂の歓喜と衝動。
本音が語れない、本心を聞けない、美味しさを感じない、未来が見通せない、好きな気持ちにも触れられない。
これらの抑制された感情は、正宗と睦実の五感を否定するものだ。
この対比こそ、まぼろしの世界に蔓延った得体の知れない闇ルールの正体。
それを打ち破るのが、五美の真っ直ぐな魂に触れた正宗と睦実の恋への気づきである。
やがてそれは、五美を閉じ込めてしまった{netabare} 沙希 {/netabare}の気持ちを激しく揺さぶっていく。
~
沙希(五美)は、正宗と睦実を、恋に引き合わせるため、愛を高めてほしいがために、特異な仮想空間を創り出したのではないか。
時間を歪ませたのも、家族との絆を深く結びつけたかった、そのために何度でもやり直しをしたかったと捉えると、すんなりと納得できてしまう。
いいえ、本当は、正宗と睦実の本心が、そうしたかったし、そうなりたかったのかもとさえ思えてならない。
恋は、時代を勝ちぬく強さがなくてはならない。
愛は、未来を育んでいく粘りがなければならない。
その結晶が、五美を沙希として、現実へと送り出す二人の覚悟につながるのだ。
五美の名をいだいて、まぼろしの町に消えていくふたりを勇気づけるのだ。
~
生きていると、たまらなく嬉しいことや、逆に、どうにもならない気持ちに出くわすことがある。
沙希(五美)にとっては、盆祭りの屋台に見つけた "ハッカパイプ" がそのタイミングだった。
ここが、本作の入り口で、核心になっている。
神隠しは、あの花の "かくれんぼ" をモチーフにしているのだろう。
沙希は、心を隠し、体を隠し、現実の世界さえ隠して、自我のなかにエスケープしたのだ。
閉ざされた沙希の五感が、まぼろしの町を作り出し、からっぽの身体を成長させ、怪しげな神機狼を営ませている。
正宗と睦実に、五美を世話させ、裕子を消してでも、得たかった願いが、心の奥底に隠されてあるのだ。
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本作には、母の姿が二人提示される。
ひとりは、まぼろしの世界に夫を亡くした正宗の母。
もうひとりは、現実の生活に子どもを失くした睦実である。
少年に恋した少女も提示される。
まぼろしに創り出した正宗に恋する五美。
その正宗に恋心をぶつける睦実と裕子である。
複雑に行き交う人の情念の着地点はどこなのだろう。
それは叶うことのなかった恋慕を、失恋として昇華した、ただ一人の少女の微笑みとして、終幕に見て取れる。
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沙希と五美は、岡田麿里が創作した、岡田麿里その人のようにも見える。
子と親の生き方を問わずにはいられない彼女の一丁目一番地とも言えそうだ。
脚本家としての彼女のコンセプトは、歌い手としての中島みゆきに手渡される。
子どもが親にいだくセンシティブな感情は、成長するにつれて柔らかな記憶へと書き換えられる。
全ての旅の軌跡は、おぼろに色あせ、まぼろしのように昔日に霞づかせる。
しかし、まぼろしはまぼろしのままに薄れていっても、愛の心音は未来を鮮やかに色づけるのだ。
そう。
新しいスタートラインに向かい立つ者には、そのバトンが手渡されていくのだ。
時間の撚り糸は、クリエイターの意思によって束ねられ、その結びまで未知の光景を織り上げていくのだろう。
先人から引き継がれたDNAを温めながら、色なす未来への航路を見つけ、それを体現していく二人の女傑を思うと、たまらなくわたしは嬉しくなるのです。
(敬称は省略させていただきました)。
{/netabare}