芝生まじりの丘 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
創作の持つ記憶の反芻の媒介者としての役割
ブログの鑑賞者に与える喜びの一つに自分の過去の記憶を反芻することの喜びがある。
たとえば感想批評記事について。過去に見たアニメの感想記事を読んだり、プレイしたゲームの感想記事を読んだりするとき、読者は自分の作品を頭の中で復元し体験を反芻する。そしてそれによってその時の自分の気持ちや何かもを復元し反芻する。この過去の反芻が喜びを与える。必ずしも記事に書いてある主張が自分の意見と合致していたり、新しい考察的要素を含んでいる必要はない。体験の反芻によって自ずと、自分の頭が過去の思考の反復や、あるいはより深い考察を行わせるからだ。ブログ記事はそのような思考のための媒介効果を持つ。別の言い方をすればブログは人に過去を反芻させるきっかけを与えるという意義を持つ。
それはその行為をそのまま反復する作業とは違う効果をもたらす。なぜなら、ブログの鑑賞は体験そのものを与えず、鑑賞者に自身の頭で体験を復元することを要求するからである。そして自分の頭で体験を復元することは脳にいろいろの刺激を与え、ただその体験をするのとは違った形でそのことについて思考をさせる。
物語創作も、そのような喜びをもたらすことができる。すなわちその作品自体のドラマチックさ、物語としての巧拙といったことではなく、自分の過去の体験の反芻を媒介し、過去の体験の反芻によって自ずと、鑑賞者に喜びを与えることができる。
創作というのは全て「再現」の形をしていると言うが、再現のもたらす喜びとは、一つにはこうしたことにあるのではないかと思う。
特に歳をとり、過去が増えるほど、そうした楽しみ方をすることが増える。
作品の感想に戻ると、自分はこの作品を自分の大学院時代のモラトリアムのいろいろを反芻させた。リアリティという意味ではところどころ他愛もないところもあるが、体験としてはよかったと思う。
あと、創作だと主人公というのは劣った人間(非常に騙されやすく愚かで過ちを犯す)が主人公になることが多いが、これこそ作中で描かれていた通り「人は自分より劣った人間を見つけると安堵し、自分が存在しても良いと感じる」という効果を狙ったものであるかなと思う。フィクションの人物を見て優越感を抱くようなことは知らぬ間に人間性を破壊しそうなので特に注意した方がいいと思う。