「無職転生 Ⅱ ~異世界行ったら本気だす~(TVアニメ動画)」

総合得点
78.2
感想・評価
418
棚に入れた
1797
ランキング
570
★★★★☆ 3.9 (418)
物語
3.8
作画
3.9
声優
4.0
音楽
3.8
キャラ
3.9

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ネタバレ

とぁいす さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:----

脚本が悪い、というか悪い意味でアニメっぽい。。

第1期は良い意味でアニメの枠を逸脱していた。大人の鑑賞に足る、と言うか、アニメということを意識せずにアニメの良さをしっかりと享受できたというか。で、2期は悪い意味でアニメっぽい定石で作ってる。まず世界観が曖昧。世界観が曖昧だから作画とか主題歌とか本筋と関係のない表現の枝葉が気になってしまう。原作でも今作の部分は評価が分かれたらしいが、1期の良さをちゃんと分析できて、それなりに継承できれば問題は少なかったはず。次に脚本が悪い。本筋を追う上で必要なエピソードとそうでもないエピソードを分けて、内容をどの程度盛り込むか、何をデフォルメして何を抑制するか、の切り分けができてない。それはオープニング曲前、オープニング曲中、エンディング曲中に振り分けるエピソードと、本編中で取り上げるエピソードにも表れる。何でも入れようとし過ぎて、よく言えば総花的、悪く言えば散漫な印象が否めない。3番目、ストーリーの本編でない、緊張感を開放すべき部分の描写が酷い。弛緩すべき部分というのは、本編がシリアスになり過ぎた時に視聴者に息を抜かせる部分だが、これがシリアスを盛り上げるところに挿入されていたり、変に冗長だったりと、弛緩の役割を果たせていない。脚本が悪いせいで視聴者がのれないところに、弛緩が強引に割り込んできて、よりしらける。エリスへの感情が1期からちゃんと引き継げていないので、EDの深刻さが伝わっていないし、母親を探すというテーマも同じく深刻さを引き継げていないので、主人公の動静が単純な喜劇になってしまっている。この2つテーマは物語中盤の主題として非常に大きいので、これを外してしまうと全体がボケてしまう。EDは立たないという部分をなぜかコミカルに取り上げようとしているが、EDはエリスへの思慕であって、EDの克服はエリスへの決別だ。立つ立たないは原作でも弛緩として使われているが、2期ではなぜか本筋として取り上げられ、エリスの存在が希薄になっている。描かれないエリスを常に意識させるのがEDの役割だと制作が理解していない。母親の探索についても、母親を探す、という目的は父親との再会時にこじれた関係のわだかまりと絶妙に絡み合い、あとで登場するノルンという妹との関係にも影を落とす重要な要素の一つだ。母親を探す、という重要な目的を後回しにする原因を人神が作り出す、という展開は主人公の決断に大きく影響し、終盤に掛けて再浮上してくるエピソードだが、そのエピソードへの伏線を仕掛けるための前提条件として母親を探すという目的の扱いが軽すぎる。今からでもしっかりとリカバリーして骨太な筋を再構築して欲しい。今の状況は制作側が悪い意味で、たかがアニメと高をくくっているようなイメージしか持てない。


第2話
戦闘にスピード感が無い。戦闘中に心理描写や判断に長々とした説明はいらない。どうしても入れたければセリフではなく紙芝居でもいいから映像で見せて欲しい。

故郷を出るタイミングで腹を括ったのだから、他人がいる場面でこれ見よがしのためのため息に違和感。例えば酒が入る時にだけ湿っぽくなる感じにしてメリハリを付けるなどしないと、本来の母親を探すという目的に対して真剣さが欠けてしまう。この時代の主人公は捨てられた絶望と母親の消息が掴めない焦燥感の両方で凹んでいるはずだが、EDばかりが強調されて緊張感に欠ける。現代でもEDを公言する人が少ないように、この世界、この時代でも同じ状況のはず。こういう違和感をできるだけ無くすべきだ。

第3話
いきなり楽しげに筋肉に名前を付けた描写から始まるが、人は裏切るが筋肉は裏切らないという自虐が入らないとこのシーンを受け取りにくい。逆に後段に補強するエピソードが入るのかと思ったが入らない。

戦闘シーンは相変わらずのテンポの悪さ。生活シーンもエピソードの断片を羅列するだけでエピソード間の繋がりが薄い。あったことをあった順に並べて、〇〇がありました、〇〇がありました、と断片的に見せられ、出来の悪い子供の作文を読まされているような感じ。もはや物語としての構成を放棄しているかのような居心地の悪さばかり感じてしまう。

第4話
筋肉シーンの描写が相変わらず酷い。筋肉に傾倒するのはあくまで人を信用できないという事象との対比だが、この対比が無いので単なる筋肉バカに見える。

エリナリーゼの登場が唐突。第1シーズンから連続で見ているのならまだ何とか彼女がどういう人なのか理解できるが、時間をおいて見ている場合にはこの展開だと当惑を隠せない。彼女のニンフォマニアっぷりは呪いのせいで、この呪いは終盤まで引き続いて回帰する設定なのだから、登場に際してリマインドの機会は必要だろう。展開を追っていけば事前知識が追い付いて違和感は減っていくが、この状態では数話後に控える教皇の息子との邂逅シーンに不安が残る。

ゾルダートに関しても少し出てきて消えていく割に扱いは大きいが、その扱いのわりに説明が足りていない。人を信用できず、サラにも嫌われて、不信感とEDで凹む主人公に対してこの期間寄り添って支えるという役割を担っている人物という形で描けていない。であれば一層のこと彼の登場自体を端折るというやり方のあるはずだが、中途半端に取り上げて、元々薄っぺらな脚本がますます薄っぺらくなってしまっている。

人神の登場は人間不信とEDで凹む主人公にとって本来の目的を放棄させるほどの福音となるはずなのだが、エピソード間の連動を切って断片の羅列になっている今作ではここでもまた唐突に主人公が主目的を放棄する展開になってしまい、視聴者は必然の圧倒的な不足で展開に疑問を持ってしまう。そしてそんな疑問を持たせたまま学校編に突入する流れに持って行ってしまっている。こんな脚本、誰がOKを出したのか。

第5話
ロキシーに対して敬語を付けない教頭の登場と、この不敬に対して怒る主人公への違和感。人間不信の中で唯一信じられる人物として描かれるロキシーは疑似信仰の対象にまで昇華するが、この信仰はあくまで疑似であるのは実際の再会以降の展開でも明らかだ。若干の諧謔を含んだ疑似信仰を事前に説明しないまま教頭に怒るシーンもまた違和感を感じさせる。

第1シーズンで丁寧にエピソードを重ねた結果、主人公の無詠唱が如何に特異なものなのか第1シーズンの視聴者には十分腑に落ちたはずだが、第2シーズンでも、ここまでの戦闘シーンで無詠唱の特異性、異質さをアピールするタイミングはいくらでもあったはずだ。しかしそれを描かなかった結果、フィッツとの模擬戦闘があまりにも淡白になってしまっている。この物語では魔法使いはそれこそ履いて捨てるほど出てくるが、無詠唱でそれができる人物は主人公とフィッツの2人しかいない。世界に2人しかいない特異な能力同士の戦闘シーンをこれほど簡単に流してしまったせいで、この後の主人公がなぜ周囲から距離を置かれるようになってしまうのか、という説得力も薄めることになるのは明らかだ。

アスラ王女の登場に関しても同じように問題がある。第0話はおそらく第1シーズンとの中継ぎに必要なエピソードを満載して、ここであらかたの説明と引継ぎをしてしまおうという意味で設定されたものだと思う。だが、実際にはフィッツがアスラ王女に従うことになったということしか盛り込まれなかった。このために第1シーズンで蓄積したエピソード、そこで作った様々な印象や表現を引き継げなかった。その後遺症がここにも出てきている。アスラ王国はこの世界でどういう存在なのか。アスラ王国における主人公の家柄はどういうものなのか。まだ出てきてないエリスがそこにどう絡んでくるのか。アスラ王国に起きている王位継承問題はどうなっているのか。その問題における王女の立ち位置や意思や現在の状況、また王女に従う人々の立ち位置や意思や現在の状況はどうなっていて、彼らと主人公、またはエリスはこれらとどういう位置関係にあるのか。アスラ王女が登場するシーンでは最低これらの要素が既に提示されているか、もしくは示唆されている必要があるが、それが全くないまま入学式で演説するシーンが来てしまった。このシーンは今後の展開に特定の縛りを生み出すが、説明が無かったためにそれらの伏線も貼れないままになってしまった。

第6話
特にに問題は無かった。ただ主人公が元引きこもりのニートで、その部分で奴隷に対する理解があるという描き方にするなら、その工夫が欲しかった。でなければ死ぬほどやせ細らせるほど扱いの悪い境遇から突然買われるという状況で、なぜあれだけ嬉々として自分を買った者を疑いなく信じてしまうのか。殺すために買ったと言われても不思議ではない状況、経緯で買われた奴隷が、急に扱いが良くなれば、その状況に疑ってかかるの当然ではないのか。主人公が転生後に自分が剣と魔法の世界に来たと認識するまでに1年以上掛かっている。そういう物語としてこの作品と向き合ってきた視聴者は、ここでも大きな違和感を感じざるを得ない。

第7話
コメディタッチで作っているのであれば、特に言及すべき点は無い。良くもないが悪くもない。ただ単にコメディとして描くだけでなく、底流に複雑な感情が流れているのが垣間見れるように表現して欲しかった。

第8話、第9話以降
主人公の中の人の声は、外部で起きるもろもろの現象にツッコミを入れるとかの主観的解釈をする人で、その意味で作中でひとつの人格を形成していたが、徐々にナレーターというか筋を説明する人になってしまって、客観的解釈をする物語の外の人にすり替わってしまった。偏向していたからこその作中人格がいなくなり、転生者視点が失われた結果、立体的だった物語が平面になってしまったというか、奥行きがなくなったというか、薄っぺらく見えるようになった。

投稿 : 2023/09/11
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サンキュー:

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