薄雪草 さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
印象は小ぶり。中身は重量級
青ブタシリーズの一つとしては、TV版や劇場版のボリュームと比べるとやや小ぶりな印象です。
でも、じっくり鑑賞すれば、今までにないバリューに溢れていたと私には感じられました。
良いレビューも上がってきていますし、もっと多くの方に観ていただければと思っています。
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私の視点は、「そもそも進路って誰のもの、何のためのものだろう?」ということです。
もちろん、答えは「自分のもの」に決まっているわけです。
進路の選択肢も、目的や、学力や、経済力に合わせてなど、それなりに舵取りや段取りがあります。
そうは言っても、思春期症候群と謳ってきたシリーズの劇場版です。
外面に捉われるだけではなく、内面に深くアプローチすることにピントを合わせるべきなんじゃないかなって思っています。
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ご存じのとおり、花楓は中学は登校していなかったので、学力に不安があるわけです。
なので、受験にどう対策するのかっていうのが、とりあえずの流れなんですね。
その意味では、学力のある周りの人たちが、花楓の言質に尽力するのは当然のこと。
劇中では、それが十二分に表現されています。
加えて、かえでノートには「お兄ちゃんと同じ高校に行く」と書いてあるわけで、そこは花楓もしっかり読んでいるはずです。
当の花楓も、退院のころに「学校に行きたい」って咲太に自分の気持ちを伝えています。
これって、花楓には、二人ぶんの心理的負担になっているんですね。
普通の受験生より、二倍しんどい進路選択なんです。
となれば、今はもういないかえでに、どんな気持ちで折り合いをつける花楓なんだろう。
そんな花楓の心因に、どんな立ち居振る舞いをする咲太たちなのだろうか。
思索を進めていくにつれ、そんな思いが必然として生まれてくるんです。
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青ブタのコンセプトが「心的ストレスに削られた自己肯定感の再獲得に試行錯誤する物語」と捉えるなら、その中心にいた咲太たち全員が、花楓にも、かえでにも、心を寄せることはいつだってできます。
ただ、花楓自身は、自分にではなく、かえでという人格に尽力してもらっている感覚がどうしても拭えないのですね。
なぜなら「お兄ちゃんと一緒がいい」という目標は、かえでが過ごしてきた時間の延長上に設定されているものだからです。
花楓にすれば、かえでの時間軸は、そもそもからして知らないもの。
咲太たちの尽力にも、花楓になのか、かえでになのかみたいな温度差を感じてしまうし、同時代性を少しも共有できない花楓なんです。
花楓には、渦中に巻き込まれた最初の記憶はあっても、過日に積み上げてきた目標は、かえでのものなんです。
咲太たちが関わってきたのは、花楓の知らないかえでの日常であって、火中の栗を拾うのは、かえでの思いに縛られた花楓なんですね。
花楓が救われないのは、そこなんです。
過去を共有できないことは、結局、一人きりなんです。
花楓にとって必要なのは、"兄と同じ学校に向き合う過去" なのではなくて、"新しい進路に結びつけるビジョン" なんですね。
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本作には、そんな花楓を支援するキーパーソンが複数登場するのですが、評価ポイントの一つがそこにあると思いました。
人が自分のものとして感じる動機のことを "内発的動機" と言います。
「兄と同じ高校へ」は、かえでの動機ではあるけれど、花楓のそれに値するかと言うと、果たしてどうなんでしょう。
かえでは、もうどこにもいないのです。
花楓には、その事実だけが、真実の実感のはずなのです。
かえでの動機としての "あの目標" は、花楓の内発的動機とは同期しないし、"外発的動機" にも同調しようがないんですね。
なぜって、かえでの目標は、花楓の自己決定ではないし、かえでが行きたいその場所は、花楓の有能感(頑張れば自分でもできるという感情)に結びつくかどうかは分からないからです。
本人でも、なかなか気が向けられない。
本人以外なら、なおさら気づきにくい。
そんな二つのモチベーションを、誰がどんな立場で受け止め、どんな言葉で押し出していくのか。
その働きかけが示されることで、オリジナルの "内発的動機" を探せるようになるし、自分ファーストな "外発的動機" にも向き合える花楓なんですね。
人の気持ちのありようをしっかり練りこんだシナリオだと思います。
ぜひ劇場でご覧になっていただき、体感していただければと願います。
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もう一つのポイントは、花楓が選んだ自分の本心。
いいえ、その決断にこそ、注目していただきたいなと強調しておきます。
花楓が、かえででなく、花楓を選ぶということの意味。
そのプロセスを、花楓がどう作り上げてきたかということの価値。
私は、本作の魅力をそこに見つけています。
花楓だけじゃなく、多くの子どもたちが学んでいる場所がある。居場所がある。
花楓の選択肢で、そこに光が当てられたこと。
彼ら彼女らが、世の光と輝けるビジョンとポジションが、この世界には存在していること。
それを示してくださったことに、私は驚き、そして感謝しています。
侮れません。青春ブタ野郎!
P.S
{netabare} ネットを介してのイジメが、私たちの巷にも溢れています。
フィクションの世界として、花楓の選択肢に影響を及ぼしたことを思えば、リアル世界との境界線やハードルも、年々小さくなっていくのかも知れません。
案外、この先、近いうちに、アバターやそれに類するものにも、人格権が付される時流が押し寄せて来るのかもと思います。
誹謗中傷が、触法行為として、権利侵害の賠償責任を問われる時代が来れば、咲太はきっと立ち向かうでしょうし、花楓のような事案も減るのかも知れませんね。
ネットにも、リアルにも。
{/netabare}