レトスぺマン さんの感想・評価
3.8
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
製作者と消費者のアニメを通じたコミュニケーション
長文なので本文はネタバレで隠します。
{netabare}
西暦2005年も今から18年も昔の事となり、「もうそんなに時間が経ってしまったのか…」と刹那的な気分になる今日この頃だ。
しかし「ぱにぽにだっしゅ」を視聴することで、この年の深夜アニメから放出される熱量の片鱗を感じ取れる気分に浸れてしまうのだから不思議なものである。
そもそも2005年のアニメの良さとは何か?を考えたときに、「深夜アニメの文化がメジャーなものになる直前」であることがあげられる。
つまり、今後の深夜アニメの流れを決定させる準備を整わせる上での試行錯誤が、完了する時期であった意味合いと同義である。
そこには、8、90年代〜隆盛を極めていたジャンルからの引用や、今後の未来を想像しながら新しいジャンルを創出していく流れがあったわけだ。
そういったものがカオスに融合していく世界を見たときに、視聴者が何を感じ取ったのかといえば、「限られた空間の中で繰り広げられる最大級の自由を味わえる雰囲気」そのものなのだと思う。
私が2005年の良作と呼ばれるアニメを視聴する際は、これを感じ取れるかの観点で視聴することが多いのだが、本作「ぱにぽにだっしゅ」も、そのご多分に漏れずという評価したいところである。
しかし、本作のストーリーに感動したとか、緻密な設定に驚愕したから評価を高くしたのではなく、本サイトで高評価をされている皆様と同じで、随所に挿入されるネタの使い方が素晴らしかったことに対しての割合が大きい。
大まかなストーリーとしてベッキー先生と橘さん・姫子ちゃんを中心とする生徒の関係性が深まっていく様が描かれるのだが、それはサイドストーリーであって、あくまでもメインはネタの部分であるのだろう。
それでいてその放出されるネタも、当時の20代〜40代に向けられている、といった感じで対象となる世代も幅広い印象だ。
わけがわからないネタも大量に存在するから、すべてを理解することはもちろん難しい。
ここで私が思ったのは「なぜ我々はそんなカオスなネタアニメを視聴するのか?」ということであり、それを自分なりに把握することで、少しだけネタアニメの本質に近づくことができるのではないか?とも思えたことである。
そこから考えると、ネタアニメとは製作者と消費者のコミュニケーションの場であり、なおかつそこからお互いの【安心感】を感じ取れるものにする必要性があるということだ。
製作者と消費者のコミュニケーションは、今でこそTwitterを主流とするツールで普通に行われている。
しかし、2005年というとmixiがサービス開始したぐらいで、そういったコミュニケーションの場はまだまだ未発達であった印象だ。
消費者同士であれば、萌え系雑誌のハガキ投稿欄やメール・掲示板の手段があったが、製作者側とのコミュニケーション手段というものは確立されていなかったようにも思える。
むしろ、消費者から見た製作者とは「謎のベールに包まれた存在」であって神様と同じような感覚であったくらいだ。
それを考えれば、本作「ぱにぽにだっしゅ」は、その製作者と消費者の距離を近くするために、これでもかというほどのネタを仕組んだのではないか?とも思える。
つまり、【数打ちゃ当たる】の方式で製作者の趣味や好みを黒板やキャラのセリフを使って垂れ流すことにより、「自分たちは神様でもなんでもなく、みんなと似たようなものだ」と意識づけさせたかった狙いがあったのではないか?
そしてその消費者側の反応を製作者側で読み取って次回以降の話に反映していく。
その流れを週一のペースで繰り返しながら消費者側で受け取ったときに、製作者側の気持ちが少し知れたような気がして、クスリと笑えるコメディができる仕組みが生まれるわけだ。
また、先述の【安心感】についていえば、2005年特有の「コミュニケーションツールの未発達さ」が関係しているように思える。
今でこそ、アニメ制作者側の内情をSNSで知るのは容易ではあるが、その反面、目を背けたくなるようなブラックな部分も消費者側で受け入れなければならない時代になってしまったようにも思う。
もちろん、そのブラックな部分を受け入れられればそれに越したことはないがどうしても個人差が出てくる。
私なんかは【楽しいアニメの制作現場はできる限り楽しいものであってほしい】という身勝手な思いを持つ悪い意味での潔癖人間の類であるが、同じような思いを持つ人はそれなりにいるのではないか?
それを考えたときに、コミュニケーションツールが発達していないからこそ、アニメ以外の余計な情報を目にすることがない。
つまり、【アニメから出力されるネタ情報だけを享受する】ことだけに集中できる大きな時代という枠の環境の中で、視聴のボルテージをどんどん高めていける仕組みもある。
潔癖な人間にはこの「ぱにぽにだっしゅ」の世界観はめちゃくちゃ優しいのだ。
だから、本作は2005年という時代に放送されたからこそ良かった部分があると言い換えることができるのではないか。
もっと言えば、本作は芸能枠のTVでよく特集される「ドラマNG集」にも近いといえる。
あれもNG部分を見せることで芸能人の意外な素顔を見せるのが目的の一つではあるが、例えば大御所の俳優がセリフをミスしたことによって制作現場で笑いが巻き起こるといったその全体的な楽しさを味わえる利点もある。
そこから考えれば「芸能人」を「製作者」に置き換えたパターンが本作なのだと思う。
まとめると、この作品は製作者と視聴者双方でWin-Winの関係を目指すために作られた可能性が高いということだ。
【数打ちゃあたる】方式で作られているから、マニアックなネタがあまりにも多すぎることは少し問題だが、そこから自分にとって必要なネタ情報を取捨選択して、空になった部分はキャラクターの可愛さでカバーする視聴法がいいのではないかと思う。
当時の「限られた空間の中で繰り広げられる最大級の自由を味わえる雰囲気」が味わえる作品の一つだ。
{/netabare}