青龍 さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
いわゆる原作「改悪」についての一考察(※日本特有のアニメ表現に対する外国人の反応ついて追記)
原作はジャンプ(週刊少年ジャンプで連載後ジャンプ+に移行)の人気漫画だが、本作の総合評価は私がコメントを書いている時点で3.6である。
人気作である原作を忠実に再現すれば、他のジャンプの人気作と比べてこの評価は低いといえるため、評価があまり伸びていない理由は、署名運動も起きたというアニメ監督によるいわゆる原作「改悪」だろう。
私は原作未読なのだが、本レビューは、単にアニメを擁護するつもりの内容ではないので原作支持の人も我慢して読んでもらえれば幸いだ。
私がネットで見た限りではあるが、不満を持っているのは、原作を読んだ人たちであり、自分が原作を読んで受けたイメージとアニメがあまりにも違ったことが原因のようだ。
具体的には、原作の持つテンポの良いアクション、ギャグ、B級ホラー的な要素を期待していたのにそうではなかった点にあると分析するものが多かった。
確かに、アニメは、OPで映画のワンシーンをトレースしたり、アニメ的な表現(例えば、顔に縦線を入れる)を抑えたり、声優の演技をわざと平坦なものにするなどの演出がなされていた(他のアニメと比べて違和感がある)。その結果として、映画や海外ドラマのようなおしゃれさ・ポップさが演出されていて、実際、私も原作はそんな雰囲気なんだろうと思った。これは、本作の監督や脚本家がインタビュー記事で映画や海外ドラマをイメージして作ったと言っているので、意図的に原作とは違う演出をしていたことになる。
他に声優の配役や作画(構図など)に対する不満もあったが、作画に関する表現の至らなさなどは、確かに監督の力量不足といえるものの、それは他の作品でも生じることであり、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類の本作に「特有の批判」とはいえないだろう。したがって、細かいことを言えばきりがないので、主要な批判は、既存のアニメ的なイメージを払拭して(新人声優の起用も色がついていないといえる)、海外ドラマ・映画的にするという演出に対する違和感に集約できるだろう。
私個人としては、原作(漫画)とアニメは違う作品であり、表現方法が「音声なし文字あり静止画」と「音声あり文字なし動画」なので、そもそも同じ表現をしようがない(人が想像力で補完する領域が異なる)のだから、表現方法に合わせて効果的な演出は異なると考えている。
わかりやすい例でいえば、漫画を完全コピーするべくセリフ以外の文字を全てナレーションとして入れた場合、静止画ではわかりにくく補足的に説明していた場合など、動画として見ればわかるものは説明不要であり、かえって煩わしいだろう。
ただ、原作の持つ良さを他の人にも知って欲しいという気持ちはわかるので、それを表現できていないアニメを評価しないという気持ちもわかる(原作通りやれば、もっと面白い作品になったはずなのに・・・)。
また、本レビューでは、結局どっちが良かったのかという優劣を論じるのが主題ではない(そもそも私は原作を読んでいない。しかし、「小説と映画」の関係と同様に、アニメの批評をするために原作を読む必要はないはずだ)。
さて、本レビューの主題に入ろう。それは、なぜ本作が原作と違う演出を意図的にしたかである。私は、これを巷でいわれているような功名心に走った「新人監督の勇み足」ではないと思っている(より正確には「想定内の勇み足」)。
結論からいえば、私は、本作がそのような演出をした背景として、「海外受け」を狙ったからだと考えている。
本作は、内容がかなりグロテスクなので、日本より海外で人気が出そうという根本的な判断があり、そうであるならば、アニメ的な表現に不慣れな海外のライト層向けに、アニメ的な表現を抑えて、海外ドラマ・映画風に作ったのではないかと予想している(また、そう考えると辻褄があうことが多い)。
私は、監督として実績のない新人監督が天下のジャンプの人気作を「自分だけ」の感性で改変しても、出資者である集英社の意向に反する作品作りは許されないと考えている(仮に監督に大幅な裁量があったのなら、人選の段階で集英社などの出資者の承諾があったとみるべきだろう)。
また、確かに、原作リスペクトに欠けるといえるかもしれないが、原作者とアニメ制作サイドとの関わりは一様ではない(原作者が出版社より強いことはむしろ希である)。世界的なマーケティング戦略に基づいて監督が決定されているとみるべきだろう。
日本のアニメは、今や国内市場より海外市場の占める割合が多くなってきている。その結果として、国内ではそれほど人気がなかった作品であっても海外で人気があったことから、続編が制作されるアニメが増えてきている(国内であまり人気がなかった作品(続編制作の目安と言われる円盤の国内売上が低かったもの)の具体名をいうと角が立つのでここではあえて言及しない)。
そして、これからアニメの内容について、このような事情(海外での評価)が影響してくる可能性が高くなると考えている。
仮に私の推論が少なくとも的外れでないのだとすれば、日本のアニメは、国内受けだけを狙ってガラパゴス化しても海外がそれを理解すべきなのか、それとも、国内で受けたものであっても世界的に受けるように改編したほうがいいのか(もちろん、作品によるだろう)。
また、原作とアニメとの関係性、アニメ単体ではなく原作とリンクさせて評価すべきか(「小説と映画」と「漫画とアニメ」の関係性の違いを考えるのも面白うそう)や、アニメはオリジナルの完全なコピーであるべきかについて一石を投じる作品となったのではないだろうか。
【日本特有のアニメ表現に対する外国人の反応について(2023年11月3日追記)】
気になる動画を観たので、過去のレビューをアップデート。
『外国人が驚く日本特有のアニメ表現が意外すぎたw w w』
https://youtu.be/YjJo0WGj10E?si=DMRNZ8JLqquKCGai
↑の動画を観る限り、困ったときに(冷)汗をかくや、顔に縦線がはいる描写というのは、日本特有のアニメ表現であって、(一部のオタクを除く)アニメに不慣れな外国人にとってはやはり直感的に理解しにくい表現のようです。
この動画でも触れていますが、そういった表現自体は、漫画という無音声の静止画から来ているので、有音声の動画であるアニメにそのまま移植すべきなのかは、議論があっても良い気がします。我々日本人は、漫画原作のあるアニメを見るときは特に漫画を前提にしているところがあるので、アニメ単体で見たときに、そういった漫画由来の表現をどこまで再現すべきなのかというのは、面白い視点だと思いました。
例えば、上記動画内でも言ってますが、『ジョジョの奇妙な冒険』のように「ゴゴゴ」をアニメでも書いたほうが効果的な場合もありますが、アニメは漫画と違って動画で音があるのだから省略してもいいのではないかといった視点は、漫画とは違うアニメ特有の表現の発展として参考になるような気がします。
また、日本語特有の事情としては、「オノマトペ表現」(擬音語、擬態語、擬声語の総称。例えば、「くるくる」、「じっと見る」、「コケコッコー」など。)が多様されていることも関係ありそうです。例えば、凝視するときに「ジー」と自ら言うことは、国際的には通用しない表現ということになります。
世界的にアニメを観る人を増やすという目的のためには、漫画を前提とする日本特有のアニメ表現を抑えるというのも一つの手といえそうですが、皆さんはどのように考えるでしょうか。