ナルユキ さんの感想・評価
2.0
物語 : 1.0
作画 : 2.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 1.0
状態:途中で断念した
サラサのアトリエ〜なろう界隈の錬金術師〜 ちなみにアトリエシリーズは錬金術“士”です
女の子+錬金術=アトリエシリーズという図式を提唱するわけではないのだが、現在のオタクという人種はアニメだけでなくゲームやマンガ、ライトノベルなどサブカル全般の情報を絶えず取り入れているものだ。これを読んでいる貴方も“ドヤ顔ダブルソード”を披露したひょうきん者なイラストレーター・岸田メル氏がキャラ立ち絵を担当する『ロロナのアトリエ』他アーランドシリーズの評判は聞いたことないだろうか。最近ならむちむちの太ももで話題となった『ライザのアトリエ』も3部作でリリースされている。
仮にゲーマーでなくとも『エスカ&ロジーのアトリエ』やライザのアトリエなどのアニメ化作品があり、そしてコーエーテクモゲームスの子会社となりながらも2023年『レスレリアーナのアトリエ』まで実に25作品以上も手がけてきたガストの「アトリエ」は先日、遂に30周年を迎えた。そのブランドを外から正しく認知せず、堂々と被せてしまった本作に対する私の好感度は今も尚、どん底にある。
【ココがつまらない:まあ錬金術といえばそのビジュアルですよね】
ここで今さら私が騒がなくても既にこの作品は多方面から「なんだか○○のアトリエに似ている」「これがアトリエシリーズの最新作ですか(2022年当時)」等と言われてしまっている。その要因はやはり本作の「錬金術」の描写が従来とまるで変わらないことにあるのだろう。
不思議な薬を煮立たせた『錬金釜』に素材を入れて、かき混ぜ棒を兼ねた杖でぐーるぐる。釜から上げればこれまでにない高い効果を持つ薬や道具の出来上がり────このビジュアルは、剣が両手で振って相手を斬り裂く武器であるように、そして魔法が短い杖を振って呪文を唱えることで不思議を起こすものであるようなものと同じくらい、創作において幅広く大衆化したスタイルである。
誰もが知っているファンタジーをメインテーマとして全国へ送り出してもしょうがない。剣が流派によって構えや型が異なり形状すら変わるように、魔法が作品によっては杖なし無詠唱で簡略化したり逆に杖や詠唱部分にこだわりがあったりするように、錬金術も扱われる度に先達と異なったスタイル────言うなれば『鋼の錬金術師』のような独自設定を盛り込んでいかなければ先達とモロ被りすることは避けられないのだが、本作の錬金描写には特に変わった独自設定は見受けられない。
【ココもつまらない:エピ力不足の第1話】
基本設定を変えないのなら話の中身で勝負をかけなければならないが、そちらも凡庸。物語構成の基本となる起承転結の「転」の部分がとても弱く感じた。
“転”とはズバリ「ここまで上手くいっていたのにピンチが訪れてしまった」や「○と思っていたのが△だった」など視聴者に大きな衝撃を与えるポイントだ。ここの衝撃の大きさとキャラクターの問題解決能力が素晴らしい脚本・魅力あるキャラクターとして評価される大部分と断じてもいい。
しかし本作の第1話Aパートは“転”にあたる部分が「テストのひっかけ問題」なのだから、なんともスケールが小さい。
本作において錬金術は学問であり、学んで資格を取れば誰でも錬金術師になることができる。主人公は両親を亡くし孤児院で育ったという不幸な人生を清算するため、安定した収入を得るために資格取得の猛勉強を5年間行うのだが、それは1クールの短さもあるのかこの第1話だけのほんの一部分──回想のダイジェスト──で済ましており、5年という年月の重さを感じ取ることは難しい。
そして間もなく迎えた卒業試験。皆がひっかけ問題に引っかかる中、主人公だけがニラとスイセン位に紛らわしい材料を見抜いてより上等な薬を調合し、晴れて1人前の錬金術師となるのである。
──どうだろうか?ここまで観て本作を「面白い」と感じることが出来るだろうか。
ちゃんと勉強したから試験に合格した。これは偉い。だがそんな当たり前な因果を見せられた所で視聴者としては普通の出来事過ぎて「さあ、このすごくて可愛い主人公に惚れろ」と言う方に無理がある。折角のファンタジーなのにそのビジュアル的要素が何故か薄く、作品やキャラクターを魅せるエピソード力に欠けてしまっているのだ。
これなら試験の途中でワイバーンでも襲来し、見事撃退してくれた方がまだファンタジー作品として見どころがあっただろう。
【そしてココがひどい:可愛げの無い主人公】
1番のネックはこの作品がゲーム原作でもきらら系でもなく『小説家になろう』からアニメ化されたものだということだろう。第1・2話はなろう的描写が控えめなものの、3話以降は俺TUEEEならぬ「私TUEEE」展開が描かれる。
{netabare}5年間、机が無ければ床に伏せてでもノートとペンを離さず猛勉強していたガリ勉女子が、剣を握れば熊型モンスターを一刀両断できるというスペックの盛り具合。ああ、やっぱり「なろう」だな、と思わせてくれる点だ。彼女は一体どこでその運動神経を獲得したのだろうか。理由は『実習もやりましたから』という一文の台詞のみ。師匠が剣の手解きをするシーンもあるが1日のみで説得力皆無である。エスロジのロジーだって最初はそんなに強くなかったぞ(笑){/netabare}
{netabare}肉体的にもそうだが精神的にも未熟なところが無い。
第2話の引きでは新装開店した矢先に右腕を欠損した女の子の急患が入るのだが、そんな娘を前にサラサは先ず「代金」の話から入り、非難するモブに対してお説教を垂れるのである。
『命とお金、天秤にかけて何が悪いの? 採集者は命懸けで採ってきた物をお金に換えて生活する。錬金術師は……薬やアーティファクトを作って、時には命を助けたりすることで、お金をもらって生活する。これって同じこと。命を天秤にかけてるってこと』
うーん、貴方はどこぞの闇医者なのでしょうか(笑)
言っていること自体は正論に近い。私はそもそも採集もアイテム錬成も命を懸ける段階まで踏み込むことは通常、あり得ないと考えているが、それはともかく命を救うのだからそれに合った見返りを要求する権利は確かにあるだろう。
しかし、キャラクターにはそんな台詞が似合う者と似合わない者の2種類がいる。『ブラック・ジャック』の主人公や『地獄先生ぬ~べ~』の無限界時空などが依頼に対し法外な代金を要求するのは、そうなるに至るキャラクターの心情や背景が懇切丁寧に描かれているので納得感が強い。
一方、こちらはたった15歳の女の子────若造だ。命に見合った代金を要求するに至る背景も前述したカット&ダイジェストでロクに語られもしない。そんなキャラクターに上記の台詞を言わせるのは完全に時期尚早かつ不相応、そして可愛げが無いのである。
後で『自分が勝手にタダにしたら商売としての錬金術が崩壊する』と理由を述べているのだが、ストーリー的にはそうなってくれた方が面白い。そして15歳の女の子なら、そういった失敗もすることで一回り成長した方がより魅力的に映るのではないだろうか。
もしくはサラサ自身は治療を最優先で行い、後で代金を請求するもののモブは踏み倒そうとする、それを他のキャラクターが咎めて彼女を助けるという展開の方がまだ彼女の印象が良く保たれていただろう。{/netabare}
【総評】
3話で断念。エスカ&ロジーやライザのアニメ化も評価は芳しくない様だが、序盤の調子がずっと続くようであれば本作はそんな2作よりも確実に酷い。
そもそもアトリエシリーズとはキャラクターデザインからまるで勝負になっていない。
主人公・サラサの髪形に髪色、帽子に羽根飾り、そしてシャツの色などツッコミどころは満載であり見た目はライザやロロナに似ているものの、アニメ自体の雰囲気は『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』や『RPG不動産』なども彷彿とさせる劣化品。萌えキャラなのは見て解るが実に記号的であり、それで多くの人が本当に萌えられるわけではない。岸田メル氏やゆーげん氏のような繊細なタッチには遠く及んでいないのである。
作画も『「艦これ」いつかあの海で』を制作したENGIなのでお察しのレベルだ。キャラクターが何らかの理由で慌てた際に両手をバタバタと振ることはアニメ・マンガではよく見かける感情表現の1つであるが、本作がそういった動作を主人公にやらせると両手はデフォルメなのに顔(頭部)は全くデフォルメされていない通常作画という珍妙な1シーンが出来上がる。序盤からデフォルメ顔すら用意できないリソースしかないのならENGIは同クールに2本以上かけ持ちすることは止めるべきだと思う。
物語やキャラ付けも皆が思う“なろうテンプレ”そのものと言って差し支えない。冒頭こそおとなしく小ぢんまりとしていたが件の3話で御丁寧にその化けの皮を脱ぎ、戦闘はサラサの一騎当千。他のキャラには『俺らいらなかったんじゃね?』と言わせる始末である。女の子同士の絡みも適切な距離感や対等なパートナーシップを形成しているとは言えず、出会って即、口移しを名目にキス描写を入れたりなど節操がなく、総合的に弱い物語を支える露骨なテコ入れへと成り下がっている。
とにかく主人公がダメ、受け付けない。私が女の子主人公のなろう作品を観るのは『防振り』以来だが、あちらの主人公にはなろう系らしい嫌みったらしさは無く、初めての出来事を初々しく、少女らしい選択で対処する可愛さが確かにあった。比べてこちらはロクに理由も語られない「エリート」であり最強だ。右腕を落とした急患が入ろうが燃える熊が何十頭も押し寄せようが冷静かつプロフェッショナルに対処し、モブにはBJの如く命の重さを説く。最早股間にナニが付いていないだけの立派ななろう系主人公であり、外見はきらら系なだけに「生意気」な印象すら抱いてしまった。
『新米錬金術師~』というのも最早タイトル詐欺だろう。私が知る“錬金術士”というのは体力が無く、頭も良くなく、錬金術しか取り柄がない。そんなか弱い娘ばかりだ。だからこそ観る者は庇護欲が掻き立てられて彼女らの目的の大成を見届けたくなる。そしてそんな主人公を各々の特技で支えるサブキャラクターたちの活躍も付随されてアトリエシリーズという作品群は毎度、緩くも素晴らしい物語をゲームで提供しているのだ。
そんなシリーズを意図せずとも模倣しなろう系物語に“ガワ”として着せる。需要はあるので愚の骨頂は言い過ぎかも知れないが、そう思う程の嫌悪感を抱かずにはいられない作品である。