キャポックちゃん さんの感想・評価
3.6
物語 : 4.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 4.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
難解だが心に刺さる
【総合評価☆☆☆】
【ネタバレあり】
私は、『ARIA』以前の佐藤順一作品は小中学生向けだという偏見を持っていて、本作も長らく見る気が起きなかったのだが、暇つぶしのつもりで見始めて良かった。タイトルから予想される甘さは微塵もなく、ダークで錯綜したストーリーは、何とも私好みだったからである。
『美少女戦士セーラームーン』にせよ『おジャ魔女どれみ』や『カレイドスター』にせよ、佐藤作品には、現実をベースとした世界にファンタジーの要素が入り込むという設定が多い。ところが、佐藤が総監督を務めた『プリンセスチュチュ』の場合、どこにベースがあるのかがわかりにくい。一応、やや古風な芸術系の学校(バレエのほか演劇や美術のクラスがある)が舞台なのだが、なぜか人間に混じってリアルな猫がバレエを教えている。主人公のあひる({netabare}少女の名前でもあり正体でもある{/netabare})は、住んでいる町のイベントや店を知らない。
ストーリーが進行するにつれて、どうやら{netabare}すべてが「物語の中の出来事」らしいと判明する。もっとも、物語の中と外を分かつ境界は曖昧で、「何が本当か」がはっきりせずもどかしい。この曖昧さが、(特に前半「卵の章」における)胸苦しいほどの不安をもたらす。心の欠片を集めるというクエストが達成されても、高揚感は得られない。{/netabare}
曖昧と言えば、バレエとストーリーの関係も、すぐにはわからない。深刻な場面になると、あひるはプリンセスチュチュに変身して唐突にバレエを踊り出すのだが、ジュテやピルエットなどの型が描かれるばかりで、バレエが人間同士の対決に関与する仕組みは明かされない。私自身、肉体を用いた芸術表現であるはずのバレエがストーリーから遊離しているように思えて、しばらく混乱しながら見ていたのだが、途中から少しずつ理解できた。本作におけるバレエは、いくつもの物語を結びつける媒介者として用いられている。それぞれのバレエ作品が依拠した物語が、難解なアニメを読み解くための鍵となるのだ。
アニメの設定と直接結びつくバレエが、「コッペリア」「ジゼル」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」など。大団円となる終盤の展開は、オデットとオディールの役割が反転した「白鳥の湖」の陰画である。また、バレエ映画に翻案された「赤い靴」をはじめ、「みにくいアヒルの子」「シンデレラ」などの童話、ポー「大鴉」のような文学、必ずしもバレエ音楽に限らないクラシック作品(「展覧会の絵」「動物の謝肉祭」やワグナーの楽劇など物語性の強いものが多い)が直接間接に引用された。これらは、アニメを彩ると言うより、錯綜したストーリーをさらに複雑にし、視聴者に目眩く思いをさせ(てくれ)る。
『プリンセスチュチュ』は、最後には愛し合う者が結ばれるとか善が悪を倒すといった、ありきたりのファンタジーではない。一筋縄ではいかないストーリー、何重もの設定が重ねられたキャラ(私は猫先生が好き!)、シュールすぎて笑えないギャグ---「見る人が見れば」どころではない、見る人が見ても混乱の極みに突き落とされるアニメなのだが、そこが逆に心に刺さるとも言えるだろう(星3つは全体の評価で、「卵の章」だけなら4つ星にしたい)。