ナルユキ さんの感想・評価
2.3
物語 : 2.0
作画 : 2.0
声優 : 3.0
音楽 : 2.5
キャラ : 2.0
状態:観終わった
こいつはひっでーにゃ……
実質『Wake Up,Girls!』の3~14話。監督は「劇場版は観なくても問題ない」と発言していたけど大間違いなので、もし本作を観ようとしている方がいるなら『劇場版 Wake Up,Girls! 七人のアイドル』の内容は絶対に押さえておくこと。じゃなきゃ何故いきなり事務所もユニットも解散危機で、デビューライブにパンツピラピラ見せていたのかがいまいちわからないからね(笑)
──まあ、なまじ劇場版を観た分、この本編には落胆してしまうことになるだろうが。
作画・音楽などのクオリティに粗があっても脚本が良ければ支持をする。それがアニオタというものだ。あの劇場版のような生々しい芸能活動と急展開、それに立ち向かうアイドルとマネージャーの物語をこの作品でも続けてくれれば、少なくとも私はWake Up,Girls!(以下、WUG)に対して何も文句をつけることは無かったのだが──
【ココがひどい:松田が主人公じゃねえのかよ】
本作からWUGを観始めた人は第1・2話の嫌悪感の募る展開に面食らって気にしなかっただろうが、劇場版を観た私にとってその範囲で引っかかったのは「{netabare}社長が帰ってくるのが早すぎる{/netabare}」という点である。
劇場版では社長が資金を持ち出してドロン。残された経験浅のマネージャー・松田が独りで事務所とWUGを抱え込まなければならなくなった。彼がいつ放り出しても可笑しくない中でWUGはデビューライブで小さくも確かな手応えを見せる。
そういった出来事もあって本編第1話、松田は自身の能力不足を織り込み、外部に協力を求めてまで事務所とWUGの存続に奮起するのだが、頼った相手を間違え契約書にもちゃんと目を通さなかったことで、純真なアイドルたちに性接待をさせる大失態を犯してしまう────ここまではいい。実夕が仕事を嫌がった際はそれを了承する思いやりも見せた。私は劇場版の内容から、本作はそういう失敗を重ねながらもアイドルと共にマネージャーが成長する物語だと勘違いしていたのである。
{netabare}まさか商売先の健康ランドで、ドロンした筈の社長がリラクゼーションを受けていて「どの面下げて帰ろうってのかしら……」と思い悩んでいた展開になるとは思わなかった。結果、あわやWUGがオヤジの食い物にされかねない事態を社長が腕っぷしで収めて解決することになる。
そこからWUGに不義理をした筈の社長が軽い謝罪だけで復帰し、当然出てくるメンバーの不満を「仕事で返せばいいだろ!」とねじ伏せてしまう。そして仕事を瞬時に取ってきて黙らせてしまうのだから、リアルが聞いて呆れるというものである(そう思ったのは私だけど)。{/netabare}
{netabare}松田はというと、そんな社長の腰巾着に逆戻りしてしまい以降、目立った活躍は無い。理不尽な自立を促され、自立できなければ一転してモブ扱い。劇場版で島田真夢を見出だした選眼と主人公ばりの熱血ムーブは一体なんだったのか、監督に訊いてみたくなる。{/netabare}
【ココもひどい:下手になったダンス】
{netabare}何がともわれ、存続どころか貞操すら危うかったWUGも第3話からは仙台のケーブルTVやラジオ番組に出演しつつミニライブも開くようになり、ようやくローカルアイドルとしての軌道に乗り出す。ここで本作のライバルグループであり、嘗て島田真夢が所属していた『I-1club』との対比が徹底的に描かれる。
運営元の圧倒的な資金力から来る宣伝規模と華やかな舞台、練度の高い歌唱力にダンス、前置きのトークに至るまでありとあらゆる要素がI-1clubに負けている。WUGは自分たちではライバル視するのもおこがましい現状を痛感する────これ自体は良いシナリオなんだけれども劇場版視聴者としてはここでも1つ疑問が出てきた。
メンバーのダンスが下手になっているのである。
劇場版の『タチアガレ!』は確かに作画がヘタって良く見えるものではなかったが、振り付け自体にはキレがあり、メンバーの立ち位置の入れ替わりも難なくこなしていた。最初から上手かったのである。よってWUGの課題は歌唱やダンスなど各メンバーの「技術力」ではなく大手に巻かれる観客への「訴求力」にあり、その力を、1クールで描く日々の活動でつけていく────と考えるのが劇場版を観た者にとって当然の期待なのだ。
それを整合性を破綻させてまで裏切ったのが本編。演目は同じタチアガレ!なのに中盤のレッスンやライブでは林田藍里(はやしだ あいり)を中心に衝突や転倒などのミスを連発する。初めての真冬のステージを制服で踊り、ノーミスで乗り越えた面々ではあり得ない描写である。
結局、他のアイドルアニメと同じく「歌とダンスを厳しいレッスンで鍛え、本番で最高のパフォーマンスを披露する」という王道────悪く言えば“ありきたり”な展開に本作も持っていきたかったのだろう。そのためにWUGには今一度、歌とダンスも下手な初心者アイドルになってもらい、そこにより下手なメンバーへ自ら辞めるよう圧力をかけるような厳しい指導者を宛がって話に緩急をつけていく。そんな脚本の都合を感じる設定変化には劇場版を評価したからこそ怒りすら感じてしまった。{/netabare}
【ココもひどい:品揃えの悪い楽曲】
そもそもこのタチアガレ!という楽曲、しばらくはWUG唯一のオリジナルソングという側面を持つとは言え、劇中で擦りすぎている。
曲そのものは本当にカッコいいのだが、劇中での使われ方は──
{netabare}①第2話:白い水着を着せられ、スケベオヤジ達にジロジロ見られながら披露
②第3話:ミニライブ、実波に精神的なアクシデントがありつつも成功
③第5話:本番で振り付けを間違え、ボロボロの出来栄えに終わる
④第6話:③に同じ。音楽Pのなじりもオマケで追加{/netabare}
──と、良いところが殆ど無い。配信版では第2話までのOP曲でもあったため、加えて劇中で4回以上も使われればいい加減、聞き飽きてしまうのが必然だ。
{netabare}流石に全国のアイドルグループからI-1clubに並び立つアイドルを決める『アイドルの祭典』(これも他の作品で観たことある展開よね)には世界的音楽プロデューサー・早坂相(はやさか たすく)の新曲で臨むことになり、地方予選は『極上スマイル』という曲で勝ち進む。しかしこの早坂という男、かなり気まぐれな性格だった。
「もっと良い曲が浮かんだから、あれはI-1clubにあげたってだけだよ」
サラリととんでもないことをしつつ、地方予選を突破した曲よりも良いものをWUGにあげるという展開に、視聴者は少なからずどんな曲なのか胸を躍らせる筈なのだが、ここでもやはりその期待を裏切られてしまう。
最終曲は『7Girls War』。配信版では第3話から見せたOP曲だった────いや新曲じゃないやんけ!
『7 Girls War』自体は地味なWUGメンバーのなけなしの特徴を歌詞に盛り込みポップに歌い上げた良曲ではある。しかし前の曲より優れているのかと訊かれたら何とも言えず、視聴者からすれば何度も聞いたOP曲が劇中終盤に作曲された新曲という扱いをされていることに違和感を覚える。オマケにOP中でも一部、振り付け(ダンス)を見せてしまっており、とことん新鮮味がないという有り様だ。
確かに後続の作品でも何気なく毎回流していたOP・ED曲が、劇中で意外な使われ方をされてハッとする・感動するケースは割とある。しかしこの作品では嫌味ったらしい気まぐれな音楽Pが劇中の裏でいつの間にか書き上げていた新曲であり、その譜面をデスクに滑らせて置くという乱雑な演出で飾っているため、他作品のようなカタルシスはまるで得られないのだ。{/netabare}
【キャラクター評価】
島田真夢(しまだ まゆ)
劇中でどれだけ持ち上げられても、結局最後まで「他人とは違うオーラ」というものを魅せてくれなかった主人公。まあ大部分は作画のせいではあるが。
よっぴーこと七瀬佳乃(ななせ よしの)との顔の判別が難しかった。この2人がケンカするシーンはもう一人の自分としているように見えて中々に滑稽。後の劇場版からはよっぴーの方が譲ってショートヘアーにするあたり、我が強い印象も受ける。
{netabare}I-1clubを辞めさせられた経緯も大部分は真夢に責があるのではないだろうか。
大手アイドルグループを辞めたくない、でも厳しいふるい掛けには物申したい。それで社長に直談判したら、どんな陰惨な方法を取られたとしても辞めさせられるのは当然であり、彼女に同情することもこれまた難しい。社長も非常一辺倒な人物ではなかったしね
なので真夢の過去は彼女を「可哀想」と思うパートではなく、この事件から「アイドルとはどうあるべきか?」を視聴者に投げかける狙いがあったのだと考察。
「人間である前にアイドルだ」「アイドルである前に人間です」
視聴者がどちらを支持するのか、非常にディスカッションが捗る問答が盛り込まれている。
ただそれにしては真夢の心の傷としてひた隠す期間が長く、明かすタイミングを引っ張り過ぎた感があり、事件は真夢やWUGメンバーの主観で語られていてフラットな目線で考えにくいようにもなっていた。
貴方は、アイドルが恋愛することを許せますか?{/netabare}
【総評】
劇場版の視聴を前提としながらも、その劇場版で抱くだろう期待を尽く裏切る展開を描く本作は“駄作”と評する他にないだろう。
アイドルと共にマネージャーも主人公をする物語だと買い被れば当の本人が質の悪いコメディリリーフに成り下がっているわ、仙台を拠点とするローカルアイドル(ロコドル)として始めているのに地元の人間や施設をイメージダウンさせかねない話を盛り込むわ、7人のロコドルという設定で他のアイドルアニメとは一線を画すストーリーが描ける筈なのに後半からは他作品にありがちな展開を連発するわ────と、全てが中途半端かつ軽率であり、劇場版の「アイドルとは物語である」という台詞が大言壮語に思えてくる。
本シリーズで結成されているWUGと大半のメンバーも個性やキャラクターというものが殆ど立っていない。好感を持てるのが、台詞が無い時も山盛りのパンケーキを頬張る姿など食事のシーンで異彩を放ちローカルな仕事も巧くこなしてきた片山実波。辛い過去を自ら打ち明けることでグループの不和の原因となっていた娘も話しやすい状況を作るなど社交性の高さと問題解決力を発揮した菊間夏夜(きくま かや)の2人しかおらず、設定上は主人公である島田真夢やリーダーの七瀬佳乃がポジションにしては良い活躍をしない。
{netabare}久海菜々美(ひさみ ななみ)に至っては劇団へ入学するためにWUGの脱退を(松田だけに)表明するという動きがあったのだが、グループの結束に水を差せなくなったのか半ば自棄で撤回するという自己完結を見せてしまい、「何だったんだお前」と突っ込まざるを得ないキャラクターになってしまっている。{/netabare}
作画も相まって“劣化アイマス”と揶揄されるのも仕方がない。「秋刀魚をずっと食べてきたから胸が大きいんだね」という発言と共に胸がアップになるカットがあったが、その胸の形が綺麗じゃないのでいまいち欲情も湧かなかったくらいに作画は洗練されていない。
それだけならまだしも彩色に創意工夫がなく、画が全体的に地味であることがアニメーションとして許容範囲外だ。この作品がいくらリアル志向にしても、彩色の部分はヘアスプレーやアクセサリーといったアイデア次第でいくらでも改善できた筈である。
{netabare}大体、劇場版のパンツはミントグリーンやピンクのフリル、ボーダーショーツと多彩だったのに、水着は全員白ビキニってどういう了見なのだろうか(笑) いくらフリーザ様に絶賛させたって、人によって合う水着は変わるものだろうに{/netabare}
それすら行えなかったのはやはり制作環境があっぷあっぷだったんだな、と思う。アイドルアニメのウリである楽曲も使い回しが多く、{netabare}終盤にWUGの個性を追求した展開も最後は「この7人でWake Up,Girls!なんだよ」という当たり障りのない回答で着地した。続編で3人追加するけど、それはもうWake Up,Girls!じゃないんですかね(黒笑)
{/netabare}この低クオリティでシナリオまで粗雑になってしまえばもう誉める点は無い。
確かにアイドルという偶像とその歪みについて考えさせられる部分や、アイドルアニメでは珍しい薄幸美少女たちの魅力などをこの1クールで頑張って伝えようとする意志は感じられるし理解もできる。しかしやっぱりクオリティが伴っておらず、多くのアイドルアニメ嗜好家がそっぽを向いてしまう結果に終わってしまったのは仕方ないと言えるだろう。
本作はその前日譚となる劇場版と同時に制作していたのだが、そんな無茶は止めてストーリーも作画も楽曲も、ゆっくりと丁寧に制作しTV放送で提供することを心がけていればこのシリーズの未来────言わば“寿命”ももっと先にあったのではないだろうか。