「チェンソーマン(TVアニメ動画)」

総合得点
79.6
感想・評価
663
棚に入れた
2006
ランキング
499
★★★★☆ 3.8 (663)
物語
3.7
作画
4.0
声優
3.6
音楽
3.8
キャラ
3.8

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ネタバレ

ナルユキ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

写実的描画と3DCGで波乱を呼んだ1作目。やはり原作付アニメは原作再現が第一か

良くも悪くも『鬼滅の刃』スタイル。ダークファンタジーなジャンプ作品を深夜帯向けにハイクオリティでアニメ化したものになる。なので案の定、多方面から色々と好き勝手言われているようだけども個人的には鬼滅も高評価にするくらいなのでこの作品も素直に楽しめた。
どんな凶悪な悪魔も全身のチェンソーで切り刻むチェンソーマン=デンジのバトルアクション、そしてダーク、コミカル、シリアスさを兼ね備えたストーリーも確かな見応え!

【ココが面白い:親しみと衝撃を感じる第1話(1)】
突然ですが皆さん、今の生活は順風満帆ですか? 借金ありません? 彼女(彼氏)はいらっしゃいます?────いえいえ、決してそういう方を馬鹿にしたいわけではございません。ただ、そんな人生に暗雲が立ちこめている人ほど本作の主人公・デンジには「親しみ」を持てるのではないでしょうか。
父親に莫大な借金を遺され、ヤクザの取り立てから逃げることが出来なかった少年デンジ。稼ぎのアテが無い彼は『チェンソーの悪魔』と契約し、悪魔を狩る『デビルハンター』としてヤクザに使われる道を選ぶ。
チェンソーの悪魔と言っても、その見た目は子犬のようであり大した力も持ち合わせていない。精々、現実にあるチェンソーの代わりとなってデンジの道具(武器)になるのが関の山であった。その愛嬌ある姿からかデンジはいつしか「ポチタ」と呼ぶようになる。
1人と1匹は親の借金を返しながら極貧生活を送り続ける。命をかけた40万の仕事がピンハネと生活費でたった1800円しか残らず、2つある目玉や臓器を早々に売り払って作った金も何処へやら……真っ白な食パン1枚を2人で分ける貧相な食事を崩れそうなあばら家で取る毎日の中、腹が空いてロクに眠れない夜にデンジは願う。
美味しいものが食べたい。
テレビゲームがしたい。
女を────抱きたい。
物語の主人公にしてはなんとも俗物的────しょうもない願いだ。その気になればどんな人物でも叶えられそうな細やかな夢である。
実際、このデンジのようにまで落ちぶれる人は中々いないだろう。しかし普通の人が億万長者を夢見るようにデンジは「普通」を夢見るのである。スタートラインが違うだけで現状をより良くしようと足掻き、中々厚くならない財布を見て肩を落とすのは我々社会人と同じだ。そして多くのアニオタに当てはまるであろう女っ毛のない「童貞」でもある。そこに大きな共感力があるのが本作で一番最初に見つけられる見所だろう。
そして、そんな細やかな望みすら叶えさせないぞと、物語がさらにダークな方向に舵を切る。

【ココが面白い:親しみと衝撃を感じる第1話(2)】
どんな命令も素直に従っていたのに。
贅沢を思い描いても、決してワガママとして口にはしなかったのに。
デンジは雇い主だったヤクザに唐突に裏切られてしまう。
背後から不意をついた一突き────からの多人数によるめった刺し。為す術もなく文字通り、身体をバラバラにされてゴミ置き場に投げ込まれるデンジとポチタ。冒頭にしてはあまりにも惨たらしい殺され方は目を背けたくもあり、されども魅入られる様な衝撃の画でもある。
生き残るには────否、「生き返る」には1つの方法しかない。
悪魔が人間の死体を乗っ取り『魔人』として甦る。それでポチタのみが瀕死から立ち直ることができる。デンジは喜んでそれを快諾していた。彼はより良い人生を渇望すると共に、決してそうはならない自らの人生に見切りをつけていたのだろう。しかし、その結果も彼の思い通りにはいかない。

『私は……デンジの夢の話を聞くのが好きだった……これは契約だ。私の心臓をやる かわりに……デンジの夢を私に見せてくれ』

ポチタから心臓を譲られ、デンジは魔人とは違う存在────チェンソーの力を宿した『チェンソーマン』となる。2つが1つになった身体の主導権は人間であったデンジが持つことになったのだ。
どこか諦めていた人生の男が「死」を味わったことで何かを望むようになる。誰かの夢や希望の犠牲になってしまった彼、夢や希望の犠牲になってしまったからこそ彼は夢や希望を諦めていた。しかし、誰かの夢や希望のせいで自分自身の命すら奪われる。
なら自分も「奪っても」いいのではないか。「掴み取っても」いいのではないか。些細な幸せを、夢を、希望を抱いてもいいのではないか。
チェンソーマンとなったデンジは生きとし生けるものの本能を爆発させる。

【そしてココがすごい:最早素人目では区別がつかない?高度なCG技術と手書きの融合】
『なんでコイツらは十分恵まれてんのにもっといい生活を望んだ?』

『……俺も同じか。ポチタがいる幸せだけじゃ満足できなくてもっと良い生活を夢に見たんだ』

『そーか……みんな夢見ちまうんだなぁ。じゃあ悪いことじゃあねえ。悪いことじゃあねえけど……』



『邪魔ァすんなら……死ねッ!!!』

胸に付いたスターターロープを引き、デンジは自らの身体を切り裂きながら変身する。両腕と頭に大きな回転刃を生やした醜悪なヒーロー────それが『チェンソーマン』の姿だ。
ここからの注目点はやはり戦闘シーンの「作画」であろう。戦闘シーンは3DCGを使っているものの、いわゆる「セルルック」を使って描かれており、MAPPAらしいヌルヌルとした動きと大胆なカメラワーク、そしてドロドロと拭き散らす血液が蠱惑的な魅力を醸し出している。
批評界の中では「CG=悪」という風潮が根強いのだが、この作品にまでそれを当てはめられるとは思えない。要所要所では「手書き」と思しきカットもあり、それらがセルルック技法で描画された3D映像と1コマ単位で入れ替わることで調和を保っている。「全てCG」と誤認した視聴者がCG=悪という風潮を基に本作の戦闘シーンを「迫力・外連味が無かった」と評しているが、これは大きな間違いだ。
CG作画にも質の良悪があり、MAPPAの手がけた本作の3DCGのクオリティは『ゾンビランドサガ』を作っていた頃とは比べ物にならない。主人公であるチェンソーマンや終盤に登場する『サムライソードマン』の刃や服のハイライト、歯茎や舌の影の形状に対して細かな調整が施されており、より「手書き」の様な見た目に寄せている。
今やアニメ業界を牽引してると言ってもいいアニメ制作会社が予算をかけ、こだわりを持って描く手書き(CGI)と3DCGを、只アニメを観て消費するだけの素人が判別することはとても難しいものとなっている。

【でもココがひどい?:「俺たち」を忘れるな】
なんだかMAPPA信者めいた文章を書いてしまったが、私も原作『チェンソーマン』は読んだことがあるので物申したいことや共感できる批判意見といったものがある。
続けて第1話だが、色々と最高だっただけに『俺たちの邪魔するなら死ね』という台詞から「俺たち」を省いたのが私含め、多くの原作ファンが気になってしまった部分だろう。単なる主語の喪失による違和感のみでなく、デンジとポチタが融合して生まれたチェンソーマンの“二者の一体感”というエモーションをわざわざ消した、致命的な原作改変。後々、重要人物のセルフオマージュ的な台詞にもかかってくる重要な台詞でもあるだけに、これは原文ママでいって欲しかった気持ちは揺るぎない。
デンジがポチタを死んだと思い込んでいる場面があるので矛盾が出る台詞を省略したのでは?という考察もある。しかし1人と1匹は(恐らく心の世界で)会話を交わしており、そこでデンジが生きて普通の生活をすることをポチタが見たいと願って心臓=命を自分に差し出したのだと理解しているわけなのだから、その時点で彼が自らの生を『俺たち』と表現することに矛盾は無いのである。
あとはどちらを重視するかという作者を含めた制作陣の判断だろうか。次話でマキマから「ポチタがデンジの中で生きている」という事実を教えられて喜びに震えるシーンを重視したのならば、ここでデンジが感じるべきなのは深い喪失感と悲壮な使命感の方であろう。であるならばポチタとの一心同体を匂わせる『俺たち』は邪魔に思えてしまったのかも知れない。
本作は原作者である藤本タツキ氏から『良い映像を見たいためにできることは全てやる』と提案されたことを踏まえて、キャラクターデザインやキャスティング、絵コンテのチェックから映像表現に至るまで逐一原作者にお伺いを立てるという誠実なやり方で制作されている。そのため、この改変は作者自身も大きく関わっており原作の台詞を改変するのは相当の議論があったと考えるのが自然。ならば単に変えたことに噛み付くのではなく、その意図を推測する方がメディアミックス化された『チェンソーマン』全体を好意的に楽しめる筈だ。

【ココもひどい?:原作軽視疑惑】
上記した第1話の部分を筆頭にアニメ『チェンソーマン』は話の大筋は変わらないものの、要所要所で原作から改変された部分や表現が1クール通して描かれていた。これが改良となっているものもあれば「改悪」と感じてしまう部分もあり、結果的に本作もまた賛否両論凄まじい作品となってしまった様である。
{netabare}良改変は主に第2話に詰められている。原作ならばゾンビの悪魔に続いて『筋肉の悪魔』が登場しデンジと戦う戦闘回であったが、これを大胆にカット。代わりに第2話という早い段階でアキとパワーを組み込み登場人物らのパーソナル(基本的)なキャラクター性をゴリゴリと掘り下げていく。そうすることである意味では第1話よりも面白い仕上がりとなっていた。
育ちの悪いデンジが何故かネクタイを締めてスーツを着こなせていた原作から、アニメではネクタイを締められず首にかけるだけにしていた所をマキマに締めてもらうという流れに。キャラの整合性を取りつつも視聴者にはデンジがますます彼女に焦れ込み、一方で彼女の行動が飼い犬に「首輪」をつける暗喩として魅せる効果に変わっている。
アキがデンジの『義務教育なんて受けていない』という発言からの変化も良い。原作ではそんな発言を聴いても只引いた表情を見せるだけであったが、アニメでは彼の境遇を察したかのような横顔に置き換えて魔人の説明をしていく、という一連の流れに変えることで一足早く、アキの先輩としての本当の「優しさ」が垣間見える演出となっていた。{/netabare}
{netabare}逆に7ー8話辺りは期待外れにも程がある。とくにキャラクターの「声量」はどうにかならないのか?と思うほどボソボソとした喋りになっているシーンが多く、声優自体はツダケンなど豪華起用が多いのに何故か台詞が聞き取りにくい。暗いシーンはより暗く、キャラクターのぼそっとした喋りはよりぼそっと。そのせいで見づらく、聞こえづらいシーンが頻発していた。
弱点を隠して無限に増殖する『永遠の悪魔』との戦闘シーンの際もかなり暗くなってしまっており、悪魔の「声」も驚くほど聞こえない。この手の演出は邦画などでよく見られるものだが、なぜかこの作品はそれを取り入れている印象だ。
そんな悪魔を延々と切り刻むことで降参に追い込むデンジという展開も第8話冒頭から1度場面展開を挟んであっさりと終了している。同じシーンを長時間垂れ流すのも良くないが、不死身の悪魔を攻略するチェンソーマンの「しつこさ」がアニメ版では短尺となることでその表現力に欠けてしまっていた。どうしても尺が取れなかったのならば──

『永久機関が完成しちまったなァァァ!! これでノーベル賞は俺んモンだぜェェェ!!』

この台詞を叫びながら3本のチェンソーを振り回すデンジを第7話の引きにして、次話で永遠の悪魔が降参という構成にすれば、視聴者的には1週間もの間、彼が悪魔を刻み続けてたんだと錯覚することも出来ただろう。{/netabare}

【他キャラ評】
マキマ
写実的なアニメ化によって、より蠱惑的な雰囲気を感じさせる彼女。ともりること楠木ともりちゃんの演技でその魅力に拍車がかかっている様だ。
見ず知らずのデンジに優しくし、かつ飼い慣らしていく。有無を言わせない脅しから視聴者は只の優しい女上司とは思わないのだが、これまでどん底人生を歩んできたデンジにとっては裏があろうが何だろうが彼女が「女神」であることを信じてやまない。
そんな女神を汚す──{netabare}胸を揉み、キスをし、最初の性行為の相手とする{/netabare}──ことが漸く人並みの幸せを得たデンジの新たな目標となる(笑) 彼女自身も思わせぶりな言動・行動を仕掛け、その数々は純真な男の夢を見事に浅ましい「欲望」へとすり替えてしまう。
戦闘ではなく「一方的な虐殺」である能力の描写も素晴らしく、淡々と次々とどんどんと人が死んでいく様は悪魔的な爽快感すら生まれている。序盤から中盤までの怪しげな彼女の魅力、その怪しさに「恐怖」も内包されていた。
かくして狙いどおり、デンジを飼うことに成功しているマキマ。彼女の目的は何処にあるのか、そしていつ彼にかけた梯子を外すのか。それが本作を追う大きな楽しみであることには違いない。

【総評】
確かに課題は多いものの、原作『チェンソーマン』をこれまでにない高クオリティでアニメ化しており、よほどの拘りが無ければファンにとって垂涎ものとなる1作と評する。
綺麗事も青臭い夢も一切口にせず、心の底から「幸せになる」ことだけを求め続けるデンジ=チェンソーマン。そんな彼が例え自分より大きな野望や他人を憂い慈しむ心のある相手であっても全くぶれることがなく、逆にそんな大層な夢を抱ける相手に対し嫉妬心すら顕にし「力」で捩じ伏せていくという生き様が、人を思いやる・将来の夢を持つ・誠実さを学び身につけていくといった体裁を整えるばかりの世の中に少し疲れてしまった人々の心に大きな「共感」を芽生えさせ、言うなれば「なろう系」に近い爽快感をも与えてくれる。
この作品における「強さ」は決して立派な大志には宿らない。敢えて下賎な欲望を暴露し『夢バトル』を仕掛ける「狂気」にこそ宿る。ジャンプ作品らしく友情・努力・勝利を描写しながらそんな邪道な原則をも魅せてくれる本作が稀有でもあり、普段から感情が抑圧されている社会人だからこそ焦れ込めてしまう。
そんな主人公を取り巻く悪魔はびこる世界を如実に再現している部分もあれば、少し実験的な手法で描きファンその他アニオタへの反感を買ってしまったのが本アニメ。どうして鬼滅や『呪術廻戦』の様に作ってくれなかったんだと嘆く輩も見かけたが、個人的には炎上までさせるほど悪い要素だとは思えない。
とくに戦闘アニメと人間キャラクターに3DCGが使われていますと聞くと皆、『エクスアーム』や『テスラノート』並みの酷い作品を思い出すのだろうが決してそんなことはなく、異形であり半機械・半器物でもあるチェンソーマンら『武器人間』をダイナミックに動かすための3DCGは一見、手書きのものと判別がつかなくなるくらいに質が良い。静止画の口パクや瞬きだけでも済ませられそうな所でも、細かい所作を挟んでキャラクターがひっきりなしに動いているので、観てて得られる満足感も凄まじい。監督の言う「実写映画」的なアニメとはこういうことなのだろうか。
しかしこの実写映画────邦画的な作りが音声面ではマイナスとなって発揮し、演者の台詞やその他の演出がどこか淡々としてしまっている。主人公であるデンジ役も新人声優を起用し従来のアニメ作品とはかけ離れた演技指導をしたことも明かされたが、それらがどうも拍車をかけてしまった様だ。
主題歌も「ムダに豪華」である。OP『KICK BACK』は時の人であった米津玄師の曲ということもあり流行に、そしてリリック(歌詞)的にも本作の象徴となった。しかしEDの曲数の多さはあまりアドバンテージに繋がっていないだろう。我々アニオタの耳は別に音楽方面に発達しているわけではなく、毎週異なる曲を1度だけ流されても印象には残らず普通に忘れてしまう────いや、ゲロの歌だけは印象に残ったか(笑)
漫画『チェンソーマン』は原作ファンも多く、アニメに対する期待度も高かった作品だ。それ故にファンのハードルも高い。
ファンとしては「120点」のクオリティを求めているのに、80点になったかとおもえば90点になり、60点になったかと思えば100点になる。作画が満点でも音楽面や声優演技が足を引っ張り、原作からの変更点がどうにもファンには受け入れがたい。総合的には「期待外れ」「あと一歩」と感じてしまう人が出るのは仕方ないか。何度も書くように個人的にはそこまで悪いとは思いませんがね

投稿 : 2024/03/23
閲覧 : 132
サンキュー:

7

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