「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲(アニメ映画)」

総合得点
76.8
感想・評価
498
棚に入れた
3351
ランキング
671
★★★★☆ 3.9 (498)
物語
4.1
作画
3.7
声優
3.8
音楽
3.9
キャラ
3.9

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ネタバレ

ナルユキ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

原点にして、頂点(2)

キッズアニメの代表たるポケットモンスター──縮めてポケモン──が30~40代、いや50代の大人に支持されても可笑しくないコンテンツにまでのしあがった理由のひとつが本作にある。
ずばりテーマは『命』と『己の存在意義』。本来は明るい子供向けの作品である本シリーズでも、この非常に重いテーマを主題に掲げることで本作は劇場版ポケモン第1作にして異質、そして配給収入41.5億円(現在の興行収入で72.4億円)を叩き出し、映画売上の話なら避けては通さない程の大ヒット作となった。
主役ポケモンとなるミュウツーの悲しきバックボーンを冒頭で語るという構成は、本来のメインターゲットでありテレビアニメのポケモンを観ていた10代の子供を置いてきぼりにせんとする挑戦的なプロットであった。このレビューでは人間のエゴによって生み出された彼の“逆襲”と称する暗躍とポケモンシリーズの主人公・サトシ&ピカチュウの冒険が交差したところから本作の魅力を語っていきたいと思う。

【ココがすごい!:見応えあるポケモンバトル】
この点は『ミュウツーの逆襲』ならではと言うよりもポケモン映画全体に言えることではあるが、毎週1回放映を欠かさない代わりにクオリティがそれなりなテレビアニメ『ポケットモンスター』と比べて格段にアニメーションが面白いのである。むしろ第1作であるこの作品が今後さらに20作以上も作られるポケモン映画のクオリティの「基準」になったとも当然考えられる。そこに90年代アニメの画質の限界はあっても妥協は一切、見当たらない。
フシギダネvsドンファン、ゼニガメvsカイリキーのバトルシーンがよく動く。主人公のサトシは進化前の軽量なポケモンを使ったスピード勝負を好んで仕掛けるが、その戦法の強みがしっかりと描かれている。ドンファンの『ころがる』ではね飛ばされたフシギダネがそのまま空中へ退避し、タメ技である『ソーラービーム』をサテライトキャノンの如く撃ち出す流れは合理的であり、そう指示を出しただろうサトシと強い技が使える手持ちポケモンの成長(ポケモン初見であればトレーナーとしての優良さ)を感じさせる1シーンと言えるだろう。
そんなポケモンバトルを偵察していた「最強のポケモントレーナー」がサトシ含むエリートトレーナーたちを自身の居城に招待する。
その正体は筒抜けではあるが、そんな“彼”が強いトレーナーを集める目的は物語として純粋に気になるところだ。

【ココが面白い:最強のトレーナーにして最強のポケモン】
人間がポケモンを捕まえ、強く育ててバトルで競わせる。それを冗談や揶揄で「人間のエゴ」と言い表す者もいるが、そこに大きな信頼関係を築くのが『ポケモン』の世界だ。トレーナーを未熟と判断すれば言うことを聞かないリザードンのようなポケモンがいる一方で、モンスターボールに入らず外界の苦楽を共にするピカチュウのようなポケモンもいる。ポケモンは人間に嫌々付き従っているわけではない、各々の形で────『好き』でトレーナーに寄り添っているのだ。
{netabare}しかし人間に絶望し信頼をしていないミュウツーにはトレーナーなどいない。枠組みとしては「ポケモン」となる筈の彼自身が「トレーナー」を名乗り、トレーナーが最初に貰うポケモンの進化系──フシギバナ・リザードン・カメックス──のコピーでオリジナルのポケモンを持つエリートトレーナーたちに勝負を挑む。彼の目的────“逆襲”とはポケモンの世界の中心に立つ人間とポケモンを淘汰し、世界の実権を自分と、自分と同じ「コピーポケモン」で支配することだったのである。{/netabare}
{netabare}ミュウツーが作り上げたコピーはオリジナルよりも強く歯が立たない。初めてのポケモン映画でサトシたちが圧倒的な敗北を味わうだけでなく、仲間であるポケモンたちを一方的に奪われてしまう。彼らの育てた強いポケモンから新たなコピーポケモンを造り出すためだ。次々と“鹵獲”され装置に放り込まれる様が子供向け映画とは思えないほどにシリアスで「絶望」すら感じさせる。
しかし、主人公であるサトシは絶望しない。圧倒的な力を持つミュウツーに怯えるどころか怒りを顕にし、ポケモンではなく自身の拳で(さすがマサラ人ですね笑)立ち向かおうとする姿はまさに主人公だ。{/netabare}

【でもココがひどい?:本物vsコピー】
{netabare}そんなサトシを助けたのがミュウツーの元となったポケモン・ミュウだった。ピカチュウと同じくマスコット的なフォルムを持ち、ここまで飄々とした仕草を見せてきたポケモンだが、ミュウツーの攻撃にはしっかりと反撃しダメージを与える。その強さは彼の逆襲に唯一、対抗することができる「切り札」とも言えた。
だがこのミュウの発言が波乱を生み出す。
「本物は本物だ。技を使わず肉体でぶつかっていけば本物はコピーに負けない」
ミュウの「コピー」であるミュウツーはその勝負に乗る。最強であることが彼が彼である理由の1つでもあり、ミュウに勝つことで彼は自身が「偽物ではない」と思いたい。
それはコピーされたポケモンたちも同じだ。オリジナルより「強くなる」ように作られた彼らは、オリジナルに勝たなければ彼らの存在意義がなくなってしまう。コピーポケモン軍団の進撃に、誰の命令もなくオリジナルポケモンたちが迎え討つ。
ポケモン同士の殴り合いだ。ただ体と体でぶつかり合い、殴り合い、噛みつき合う。一切デフォルメされてない肉体的な戦いにポケモンバトルのような楽しさはなく、ただ虚しさが残るだけ。自分で自分をいじめるような彼らの姿は見ているだけで心を抉られるようである。やはり子供に向けた描写とは言えない。
他のポケモンが戦う中でピカチュウだけはコピーを殴らない。ピカチュウはコピーにひたすら悲しい表情で殴られる。殴っている側のコピーが「涙」を流すほどに悲しい戦いだ。
同じ生き物は縄張り争いをする。それこそが生き物だ。生き物が長い間繰り返してきた血生臭い「戦い」がこの作品には描かれている。{/netabare}

【そしてココが面白い:秘められし矛盾】
{netabare}最終的には見かねたサトシがミュウとミュウツーの戦いに割って入り、サイコパワーをモロに浴びて石化する。その結末に悲しむポケモンたちの涙がサトシを元に戻す奇跡を生み出し(ご都合とか言っちゃいけない!と思いますボクは)、ミュウツーの改心にもつながりハッピーエンドという形になる。{/netabare}
なんだかんだでいい感じに締め括られたポケモン映画第1作だが、現在となっては30周年に届くのは確実と言える『ポケットモンスター』シリーズのまだまだ序盤の作品だ。だからこそなのか、又はそれにしてはとも言うべきか、本作はポケモン映画なのにポケモンという世界の「欺瞞」を暴きたてるかのようなテーマが秘められているのが面白い。
{netabare}上記で「ポケモンとトレーナーは信頼関係を築いている」と書きはしたが、その一方でやはりポケモンに人間と同じ権利は与えられないし、どんな人間にもそのつもりがないのである。だからこそミュウツーが「最強のポケモントレーナー」として登場した時にウミオというエリートトレーナーがこう言ってしまうのだ。
「ポケモンがトレーナーだと!? ふざけるな!!」
ポケモン世界の常識としてあり得ないというニュアンスを含む一方で、やはりポケモンを家来か何かだと思っていなければ出てこない台詞である。
他のトレーナーも当然かの如く「ポケモンなら捕まえられる筈だ」と言い放ち、手持ちポケモンをミュウツーにけしかける。それは正にポケモンを「道具」のように扱い、人間の身分である「トレーナー」を名乗ったポケモンを許せないという「人間のエゴ」が詰まっている1シーンだ。
「サトシは違う」という言い逃れは許されない。人間はポケモン────動物を愛でる“理性”がありつつも同じ領域には入ってほしくない“差別”も持ち合わせている生物だということに気付かされてしまう。だから「ポケモンの世界は人間のエゴ」と嘲笑う人も出るのだろう。
だが、そんな人が生きる現実の世界も闘犬や闘鶏、競馬……小さな男の子だって夏には捕まえたカブトムシとクワガタをわざと戦わせて遊んだりもする。そういった行いを“赦してしまっている”世界である。人間と動物は対等なのか。そうでないとして人間が動物を娯楽で使い捨てる権利があるのか。知恵と力で主従が成り立つのならばいつかミュウツーのような人間より強い種族が現れたとき、その逆転を受け入れることができるのか……コピー=クローンの倫理と合わせてそんなことを考えさせられてしまう。{/netabare}

【総評】
生まれた『命』の『存在意義』、ポケモンという『動物』とトレーナーという『人間』の関係、そして動物の本能的な『戦い』など普段は大人でも意識していないような様々なテーマを盛り込んで『ポケットモンスター』というエンターテイメントに落としこみ、子供は映画化によってクオリティの上がったポケモンバトルを、大人は本作を始めポケモンシリーズに重厚なテーマを盛り込んできた脚本家、故・首藤剛志氏の秘められしメッセージをひしひしと感じ取ることで楽しめる作品となっている。幅広い層に指示を受けたからこそ興行収入を始めとした様々な記録を打ち出しているのだろう。そこに異議を唱えられない素晴らしいアニメ映画だった。
子供向けにしては重過ぎる部分や哲学が過ぎる部分があったため、以降のポケモン映画はポケモンで『怪獣大戦争』をやるようなエンタメ振りの作品にシフトしていく。そちらもそちらで楽しめる一方でここまで生き物が“生きる”ことについて考えさせられる作品に心当たりがなく、ポケモン映画としては『原点にして頂点』、『最初で最期の最高傑作』と称しても決して過言ではないだろう。

投稿 : 2023/01/11
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サンキュー:

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