ナルユキ さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
魔法少女?『かげきしょうじょ!!』?どっちもノンノン、だよ!
はい、今回も2作の放映年と私の視聴順が逆転致しました。『かげきしょうじょ!!』(以下、げきじょ)を観た後で、メディア展開がすっかり落ち着いた本シリーズ1作目を視聴了です。
げきじょは本格的な宝塚モデルの音楽学校の描写と通う登場人物による青春群像劇がウリであり、アニメはあにこれでも高く評価されている作品だ。私も2021年アニメBEST10を勝手に決めさせて頂いた時にはげきじょをランクインさせている。物事を正確に描いた作品はそれだけで“整合性”という強みがある。比べて本作はそれなり、順位もそれなりといったところか。
しかしこの『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は別に歌劇を正確に伝えようとする作品ではない。演劇観覧が少ないとされる男性をターゲットに株式会社ブシロード代表取締役・木谷高明氏が立ち上げた「オタクに演劇を好きになってもらう」ための作品なのである。
【ココがすごい!:「歌劇」をかみ砕き、わかりやすくアレンジ】
いかにもアイドルアニメに出そうなキャラクターたちが真面目かつストイックに「少女歌劇」を学び磨いていく傍ら、人語を話すキリン(CV:津田健次郎)が取り仕切る秘密のオーディションで歌って踊り、演技もフリも抜きで「決闘」するというぶっ飛んだ設定が特徴だ。
演出はかなり美少女アニメオタクの好みに寄せており、主人公である華恋には専用の変身バンクが用意されている。トレードマークである王冠のヘアピンを材料にスチームパンクな衣装製作が開始。化粧の施された華恋が完成した衣装に身を包み、口上を述べるシーンは第1話Bパートの見どころとなる。
決闘のルールは「戦って衣装の上掛けを落とされた方の負け」と至ってシンプル。勝敗を競い1番となった少女が「星のティアラ」となるアイテムを手にし自らの望んだ舞台に立てるという────。
ここまで腕っぷしに依るのは歌劇としてどうなの?歌唱力は?演技力は?表現力は?と見出して感じる当然の疑問。そういったものを厳正に審査するならば現実に即したオーディションを淡々と見せることで一応の整合性を確保することはできる。それをやったのが「げきじょ」の方だ。
だがその優位点が劇中の登場人物による専門的な評語だけでは、芸術において素人も多い我々視聴者に納得感を与えることは難しい。「少女Aを応援していたのによくわからない理由で少女Bが選ばれた」なんてことも芸術を扱ったジャンルではよくある展開だろう。
その点、本作は素人にはいまいち物の良し悪しが判りづらい舞台芸術の1つ「レヴュー」を「決闘」という形で白黒つけている。歌劇の本質に歪みが生じつつもキャラクターの誰が優れて誰が劣っているのかがこの決闘形式でわかりやすく描写されており、アニメーションとしての動きの面白さも取り入れ本当にミュージカルを見ているかのような気分にさせられる。キャラクターに当たるスポットライト、キャラによって異なる舞台装置、勝敗が決した後の決め台詞。芝居がかった戦闘シーンは「オーディション」ならではであり不思議な面白さがある。
【ココが面白い:キリンの視点で鑑賞する少女の“煌めき”】
愛城華恋(あいじょう かれん)は序盤の段階では他キャラに比べてパンチが弱く魅力に欠ける部分が大きい。劇中のレッスンでも他の8人が個々の才能を遺憾なく発揮するその脇でなんとかついていく、といった描写が多く、舞台の主役への執着も薄い。「名前付きの役がもらえればいい」という程度の気持ちでいた少女歌劇のエンジョイ勢だ。
キリンは言う。「主役じゃなくていいと言う人はお呼びではありません」と。辛辣な言葉だが、その気持ちは本作を楽しみとする者と一致する。キリンという謎の存在は我々視聴者のメタファー────舞台における「観客」と推察できるのである。
{netabare}そう確信できたのが最終話の最後のレビューの最中。キリンは画面越しにこちらをまっすぐ見つめ、明らかに私に向かって話し始めたのである。急なホラー展開に初見では「こわっ」と悲鳴を上げてしまったものだが、こうやって私───視聴者に向けてひたすらに舞台とは何たるかを説く様はアニメというものを上から目線で観る私たちと同じオタク────“同志”と言って間違いないのだろう。{/netabare}
現に華恋が幼馴染みの神楽ひかりと共に舞台に立つ約束を交わしており、そのために決闘に割り込んでひかりを助けるというルール違反を犯しても、キリンは先ほどの発言はどこへやら彼女のオーディション参加までをも認めてしまう。厳格な運営者ではない、少女たちが美しくも面白いレヴュー、予想だにしない演劇を見せてくれるなら飛び入り参加は大歓迎ということなのだ。
そんなキリンと同じ視点から、華恋やひかりを中心とする9人の、主役になるために他者を圧倒し、有無を言わせないトップスタァになるための戦いを「鑑賞」できる。そこに物語としての整合性は無い。日常の中で目覚めた目標や他者を蹴落とす覚悟を見せたキャラクター同士────闘わせてみたい女の子同士をキリンが選定し会場へ誘う。キリンの観たいものは自ずと視聴者が観たいものと等しくなる。
【ココも面白い:ホムラチャ……{netabare}バナナチャン{/netabare}】
それでもこの摩訶不思議な作風に整合性を求めてしまう人は、本作を魔法のある「バトルファンタジー」と捉えて観ればいい。9人の登場人物の中には『魔法少女まどか☆マギカ』の暁美ほむらと同じく時間を何度も繰り返してきた娘がいる。{netabare}それが大場なな(だいば - )だった。{/netabare}
{netabare}「星のティアラ」の力で時間を巻き戻し、第99回聖翔祭(文化祭)とそこに至るまでの学園生活を何度も体験していたなな。彼女の目的は死んでしまう親友を助けるなんていう今やありきたりとなったものではない。前回の聖翔祭で恒例の演目となった戯曲『スタァライト』が、幼い頃から独りだった自分が最高の仲間に出会えた切欠であり、「燃える宝石のような煌めき」とも表現した初めての舞台、「輝く虹のような幸福の日々」と称した最高の思い出にずっと浸りたかったのである。{/netabare}
{netabare}来る100度目の聖翔祭を前に退学者が出たことも大きい。名も無きモブではあるものの、前回の聖翔祭とスタァライトを裏方に移ってまで忠実に再現しようとしていたななにとって、未来へ進めなくなるのには十分な理由であった。進む先に何があるか見えない不安、仲間を喪った時の哀しみ、自身の思い通りに造れない舞台に携わる苦しみ────そんな思いは、きっとみんなも味わいたくないよね。{/netabare}
{netabare}皆の母親のような淡い存在感しか放たなかった大場ななの正体は、繰り返す時間の中で笑顔を仮面とし、舞台を目指すことによって生じる苦しみからみんなを守るという歪んだ信念で闘う「少女」だったのである。輝きこそが、スタァへの渇望こそがトップスタァへの道に繋がりオーディションでの強さへと変わる本作において、過ぎ去る時間を求めつつ曲なりにも他者を救いたいと願う彼女はとてつもなく強い障害となる。{/netabare}
彼女の真実がわかった後に1話を見直すと初見では気づかなかった伏線があり、地味だったキャラが恐ろしくも感じるキャラへと変化する。キャラクターと伏線の使い方が非常に上手く、1クールという短い尺の中でもきちんと伏線を張っている本作は侮れない。
【他キャラ評価】
天堂真矢(てんどう まや)
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は「舞台」から始まりそこからアニメ・コミック・ゲームへと広げたメディアミックス作品だ。それ故に声優は舞台版の演者をそのまま起用している関係でアニメで求められるものとは少し違った演技をしている方々も多い。
その見返りとも言うべきか、彼女のレヴューは私たち素人にもわかりやすい決闘形式で描いている本作においても、少女歌劇の世界で只者でないことを「歌唱力」で裏付けている。声の通りから印象付く力強さ────圧倒されるような“強者感”は第3話で主人公を打ちのめすに相応しいオーラを高めていた。
その一方、歌劇学校の日常ではメンバーの欠席を誤魔化すためにクロディーヌと共に一芝居打つなど、仲間を大事にする微笑ましい一面もあり、かいま見える素の性格や感性はどこにでもいる普通の少女に近い。
強い・カッコいい・そして可愛いの三拍子が見事に揃った最良キャラと言っても過言ではないだろう。
花柳香子(はなやなぎ かおるこ)
はんなり京都弁とは裏腹に賄賂(飴ちゃん)や告げ口、狂言に騙し討ちなどダーティな手を惜しまない強かな悪女────に見えないのが九九組こと第99期生の雰囲気の賜物かな。全部ギャグ化してるし、彼女自身も自由奔放なだけでちょっとしたポンコツさもあって憎めない愛らしさがあるのが良い。
思うようにいかない時に駄々をこねたり、蚊帳の外に放り込まれたら途端にどうでもよくなる気持ち、わかります。しかしそれでは自分を追いかけてくれる筈の幼馴染み・石動双葉(いするぎ ふたば)に追い抜かれてしまう。
真矢や双葉の言葉で自身が夢を与える立場であることをしっかり受け止めて己を正す彼女はメインキャラクターの誰よりも成長している。個人的に1番のお気に入り。
【総評】
木谷社長の目論見を概ね達成した快作と評する。
「歌劇とはこうあるべきだ」「アニメは1から100まできちんと説明すべきだ」という固定観念を持つ人には受け入れがたい描写がずっと続くものの、歌劇のことを何も知らない私のような者にとってはライトかつド派手な舞台の輝きを魔法少女風、もしくは変身ヒロイン風に魅せてくれる非常に親しみやすい作風であった。
とくに作画が素晴らしい。舞台という名の画面の中を舞台少女と名乗るキャラクターが縦横無尽に駆け回り、互いの武器をぶつけ合う様。それを舐めるように映し出すカメラワークは「エグい」の一言。キャラの煌めき(信念や覚悟といったものの総称)に影響されて変化する舞台装置も、まるで本当に凝ったミュージカルを見ているかのようだ。
声優に関してはたまに台詞に不安定さを感じることがあったものの、その分レヴューのしっかりと遠くの観覧席まで届くような発声と歌声で持ち直しており、概ね良好。厳しい人はとことん気になる部分ではあるが本作のキャスティングは「最初にお披露目した舞台版に合わせることで、2.5次元ミュージカル俳優の声とアニメ声優の声の違いによる違和感を無くす」という狙いがあるため、決して改善点ではないということは留意しておこう。次作の劇場版ではそこも成長が見られるやも知れない。
作品全体の癖は正直強い。だが根本は「演劇が好きな少女たち」が主役を求めるというシンプルで王道的なストーリーであり、この作品の雰囲気とノリに素直に身を任せることで最初から最後まで一気に楽しめてしまう作品と言えるだろう。
{netabare}11~最終話はかなり難解だが、要は1度でもキリンのオーディションに参加してしまった少女は舞台を努めるのに必要な“煌めき”をトップスタァに奪われてしまうため、嘗て奪われたことのあるひかりがそれを阻止するために単独勝ち残って「他者の煌めきを使わない舞台」を望み他の8人を無傷で解放。その代償として望んだ舞台に幽閉されたひかりを華恋が再び飛び入りレヴューに勝つことで助けた、という結末なことはとりあえず解る。隠喩・暗喩の多い本作で細かいところに明快な答えを求めてしまうのはナンセンスだと思う。{/netabare}