nyaro さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
人類の走馬灯は2人の少女の旅だった。名作でした。
エンターテイメントではありますが、純文学でもあります。アニメの懐の深さを感じる名作と言っていいでしょう。コミック原作付ですね。決して「世界の終わりに柴犬と」と同じ方向ではないです。
評価はあえて物語は4.5にしました。これは最後まで描いて欲しいという希望があるのでその意味での減点です。
コミックスは5巻まで既読で、最終巻だけ結末を知るのが嫌で読んでいません。ただ、本作はアニメの範囲で十分重すぎるほど重いし、結末はわかると思います。
本作の世界観はディストピアを通りこして、既に「終末」であることが題名で明示されます。作品を見る限り環境汚染で自然を完全に切り離し、人工環境の中、生命維持をAIに委ねた世界観なのでしょう。
結果、AIは自己の倫理・論理で、あるいは無自覚に人類を滅ぼしたのかもしれません。それに先立って人類同士の戦いがあったのかもしれません。AIの最終結論は人類からエネルギーを奪い、地球を浄化するということなでしょう。
ただ、ここには牧歌的な結末は無く、人類滅亡後に地球に新しい生命が生まれてということではないと思います。そういう未来というか、輪廻というか、何らかの希望は、生きている側にとっては必要でしょうけど、結果的に地球は虚無になるんだと思います。そこが地球を生命だといったロボットの示すところでしょう。
本作の舞台は、文字や2人の知識を見る限りではかなり未来のことなのでしょう。その間何があったんでしょう。いずれにせよ現在の延長なんだと思います。
そういう設定考察もSFとして興味深いしその部分がエンタメですが、やはり人類の滅び=個人の死のアナロジーになっている気がします。ここは純文学ともいえるでしょう。
2人は上=天国(のアナロジーだと思います)を目指して旅をします。旅の中で危機はありますが、食料を心配し、お風呂に入ります。そして過去の人類に想いを馳せ、最後に人類の過去の沢山の写真を見ます。これがつまり2人にとっての死出の旅であり、最後の人類が人類がいた証を振り返る走馬灯ということだと思います。
平和の中で死のうと、戦争の中で死のうと、人類の最後に死のうとそこに意味の差があるのだろうか?地図を作ったり、飛行機を作ったり、最期に至っても何かをしていないと生きて行けない人類の性(サガ)は人間らしくもあり、人間の悲しさでもあります。
人類の知識の蓄積と記憶。そういったものがすべて無に帰してしまうけど、そこには確かに人類がいた。生命が何もいなくなる未来に天国もあの世もありません。
人間の死と人類の滅亡は同じです。人類が存在したとしても初めからいなくても無になるのは一緒です。そして、2人の人生は長くはないでしょう。
果たして2人は最期に幸せの内に終末を迎えるのか、幸せとか日常、生きるって何でしょうか。つまり、2人が、人類がそこに存在したのはどういう意味だったのか。あるいは意味がないのか。
作画、音楽、演出、OPED、美術、キャラデザ等々が不思議と死という雰囲気を醸し出していました。本作は2人の行く末までは描かれませんが、ほぼ明示しているのと同じでしょう。
とにかく、死=虚無の意味と2人でいることの救いを感じました。滅びの中に安寧を感じる不思議な達観ともいえるし、一方でやっぱり死は恐ろしい、寂しいと叫びたくなる気持ちの矛盾。ここは人それぞれの解答でいいと思います。
まず1回、話を見て何を感じるかを咀嚼したのち、2回目を見たくなるアニメでした。
メイドインアビスが長期化して文学性が薄くなったのにくらべて、本作の短さが意味を濃くしていると思います。最終兵器彼女や灰羽連盟、ガンスリンガーガールのような「死」を扱った名作に比肩しても全く遜色なく、あるいは文学性では上回っているかもしれません。
設定の考察は意味がない気もしますが、SF好きとしては気が付いたところは、考察していきたいと思います。また、あえて隠している部分や気付きがあれば追記してゆきます。
追記 6巻読みました。いや…ちょっと虚脱状態です。アニメでやめておくのも手ですよ?
再追記 アニメの切り方もまた一つの作品です。原作を読まないという選択肢はぜひ検討してほしいかなあ。