薄雪草 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
千引(ちびき)の岩、事塞(ことさえ)の神。
「扉の向こうには、すべての時間があった。」
このキャッチコピーの意味が、最終盤になって、ようやく明かされます。
その瞬間、カタルシスを得られるのなら、新海氏のメッセージがきっと伝わるでしょう。
3.11に、どれほど思いを寄せていたか・・・。
今も、3.11と同様に心を寄せているか・・・。
徐々に風化していく距離感と危機感とを、観る方の魂に、ダイレクトに問いかけているように感じました。
本作をひとことで言えば・・・「視聴者との対話に、重きを置いた作品」。
そんなふうに思うべきとの印象を持ちました。
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というのも、
鈴芽(すずめ)が主人公である必然だったり、閉じ師と連れ合う命運だったり、九州から東北まで邁進する姿だったりは、
不思議とだれかに導かれるようにして、
果敢にみずからを鼓舞するようにして、
母を求める悲しみに屹立する過去の自分に、尊厳と愛情をもって向き合おうとする彼女の姿が、そこにはっきりと見てとれるからです。
だって、私たちは、嫌と言うほどそれを見てきているし、嫌でも体験していくだろうと思うからです。
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本作には、地震を押さえ込む要石の下で、{netabare} 地獄の劫火が燃え広がるシーン {/netabare}が演出されています。
でも、よくよく考えれば、意味もなく劫火が立つわけはなく、要石があるからといって鎮火することもないのですね。
劫とは、目には見えないマイナスの因縁です。
目に見えるとしたら、それは "業" と言いかえられます。
業とは、人間の生業(日々のなりわいと暮らし向き、人への振る舞いとものの言いかた)から沁み出てくる "心の冷たさ、暗さ、重たさ" のことです。
それらが積みあがって "罪" となり、凝り固まって "穢れ" となり、ついには膨れ上がって {netabare} "異形のミミズ"{/netabare} と実体化するのかもしれません。
なれば、私たち一人ひとりはどうしたらよいのでしょう。
それは、自らを、鈴芽や閉じ師のように振る舞わせること。
千引きの岩のごとくに自分の甘さを押しとどめ、事塞の神と化身して我が身の怠りに防御の陣幕を張ることです。
そして、せめて目の前の海川山野をけがすことなく、どの人にも優しく接し、小さな声にも耳を傾けることに "本君" を置くべきなのではないでしょうか。
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もう一つは、リアルに日本各地で起きている地震が気になります。
ブラジルの予言者、ジュセリーノ氏は、「11月16日に高知水道(徳島県と和歌山県の沖あい?)でマグニチュード9の地震が起きる」と著述しています。
でも、それは明日かも知れないし、クリスマスの日かもしれません。
とある田舎かも知れないし、大都会や地方都市なのかもしれません。
いざアラームが鳴ったときには、自分の勇気に対峙することになるでしょう。
また、過去の魂を修復し、未来の希望を構築する心意気も必要になるでしょう。
なれば、その前に、自衛のための準備、共助のための用意に尽力するのが人の道理かと。
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すずめとは "市井の、無名の人々" の意味とも取れます。
「いってきます。」の戸締まりも、「おかえりなさい。」の戸開きも、いずれも誰ともない人たちへのエールです。
そのときのひとり一人は、きっと身近な人へのヒーローであり、遠い人へのヒロインにもなれるでしょう。
地域社会を、ひいては日本全体を守ろうとする姿勢は、どんなにカッコよく、ステキなことでしょう。
そんな暮らしが日々に送れたら、どんなに誰もが幸せになれることでしょう。
今、このタイミングだからこその "GJ" ですよ!
新海誠監督!!