ひろたん さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
「未練」を「思い出」に変える瞬間
私は、この作品の鑑賞に先だって、スタジオコロリドの過去作品を一通り観ました。
そして、この作品を観て確証を得たことがあります。
それは、コロリド作品は、人が成長する瞬間を描くのがとても上手いと言うことです。
『陽なたのアオシグレ』は、小学生がちょっとだけ大人になる瞬間を描きました。
『泣きたい私は猫をかぶる』は、自分の気持ちに素直になる瞬間を描きました。
『寫眞館』は、人の気持ちが分かる瞬間を描きました。
そして、この作品では、「未練」を「思い出」に変える瞬間を描いています。
「未練」とは、その前提となる積み重ねたものの大きさに比例します。
この物語の舞台は、それこそヒロインが生きてきたこの団地です。
子供にとっては、生きてきた世界そのものと言えるぐらいの場所です。
それが取り壊されることになり、今の自分もなくなってしまいそうに感じます。
人は、「未練」を断ち切りそれを「思い出」に変える時、成長できるのだと思います。
はたしてヒロインの「夏芽(なつめ)」は、それができるのでしょうか?
この作品は、そんな瞬間を切り取った作品です。
■「未練」と「思い出」
{netabare}
「未練」と言う言葉は、とてもマイナスの印象があります。
エスカレートすれば「執着」にもつながります。
「夏芽」は、なかなか未練を断ち切れません。
解体中の団地に忍び込んでは、過去の楽しかった時のことを思い浮かべるばかりです。
一方、「思い出」には、良いことも、嫌なことも両方含まれます。
しかし、この言葉には、どことなくプラスの印象があります。
「未練」も「思い出」もどちらも過去の記憶でしかないのに、なぜでしょうか?
それは、良いことにせよ、嫌なことにせよ、自分の中で区切りをつけたもの、
それが「思い出」だからです。
自分の中で整理をつけ、心の引き出しにきれいにしまったものだからです。
しかし、「未練」は違います。
いつも心の中で散らかったままなのです。
それがいやだからと、見えないように無理やり心の引き出しにしまってもダメです。
何とも言えない感情がそこから漏れ出して、自分を苦しめます。
なぜなら、それは、見て見ぬふりをしているだけにすぎないからです。
この作品は、そんな葛藤を「漂流」する「団地」と言う情景で映し出します。
「未練」は、その前提となった積み重ねが多いほど大きな感情となります。
「夏芽」にとっては、団地は、それまでの楽しかった人生そのものです。
しかし、今の自分が置かれている状況は違います。
すると、気持ちは過去に向き、その過去にすがるようになっていきます。
そんな「夏芽」の心を「漂流団地」が上手く表現していました。
{/netabare}
■「未練」を「思い出」に変えると言うこと
{netabare}
「未練」を「思い出」に変えることにより、人は、前進できます。
なぜなら、過去にケリをつけことで前(未来)を見て進めるようになるからです。
この作品は、そんな成長を描きました。
実は、この作品は、それだけではないんです。
それは、「未練」を「思い出」に変えることにより、見えてくることがあるのです。
この物語では、「夏芽」は過去の経緯から母親との間に距離を感じていました。
そして、母親は自分に関心がなく、甘えてはいけないものと思い込んでいました。
しかし、未練を思い出に変えることにより、実は違っていたと言うことに気づきます。
そして、母親に甘えてもよいと素直に思えることができるようになりました。
未練があると、どうしても視野が狭くなって見えなくなっていることがあります。
しかし、それを思い出に変えることにより、素直になることができます。
そして、今まで見えなかったものが見えるようになります。
すると、人の気持ちを理解できるようになるのです。
この物語では、「夏芽」は、母親の気持ちを理解できるようになりました。
この、素直になって、人の気持ちを理解できるようになることもまた成長なのです。
この作品に限らず、コロリド作品は、こう言った成長した後の姿もきっちり描きます。
そして、この成長する前後の対比をハッキリと印象付けます。
それにより、「今、成長したんだな」と言うことが分かります。
そのため、人が成長する瞬間を描くのがとても上手いと思えるのです。
{/netabare}
■まとめ
コロリド作品は、よくまとまっているなと言う印象を受けます。
『アオシグレ』も『猫をかぶる』も、そしてこの作品も。
いずれも後ろ向きな感情が原因で不思議な世界に入り込んでしまいます。
その世界が心の葛藤を描き出します。
そして、現実に戻ったとき成長できていることを実感できます。
するとこの不思議な世界と現実との間にメリハリが生まれます。
そのため起承転結がとてもハッキリしてくるのでよくまとまっている印象になります。
また、コロリド作品は、なんとも言えない余韻が残る作品が多いです。
今まで、それはなぜだろうかと思ってきました。
この作品を観た結果、1つハッキリしたことがあります。
それは、人が何かを「思い出」に変えると言うことに深く関係していたのです。
子供の頃のひと夏の出来事、甘酸っぱい体験、そして、未練・・・。
良いこと、悪いこと、はずかしいこと、なんでもいいのですが、
人は、それを「思い出」に変えることにより、心の整理をします。
それらは、その時々の自分にとっては、一生懸命だったはずのことです。
それを「思い出」に変えると言うことは、ケリをつけると言うことになります。
すると、あんなにも一生懸命だったことが終わってしまったと感じられるからです。
それにより、なんとも言えない哀愁感が生まれ、それが余韻になるのだと思います。
私は、とても楽しめた作品でした。