Progress さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
役割と居場所
評価は保留です。
キャッチ「ふたりの時間、選びとる未来」
気になったテーマ性としては「役割」と「居場所」
主人公たきなの固執していた「居場所」は「DA」
それが話が進むにつれて「喫茶リコリコ」にシフトしていく。
そのシフトの過程におけるたきなの心境の変化、
それはたきなにとっての思い出、千束やリコリコメンバーとの時間によって生まれる心の許容、その変化を視聴者が読み取り、楽しむ構成。
感情移入する側としてはたきなであり、たきなという人間に変化をもたらす千束という人物は、視聴者にとって望むべき人物であるかもしれない。
それとも、百合、という作品ジャンルを見る上での暗黙のマナーで、自身(視聴者)を介入させない、つまり、感情移入ではなく、やり取りが尊いという感情によって作品を評価する視聴者がいるのかもしれない。
(私自身はこの作品を百合とは思っていなかったが、カテゴリ的には恋愛のない百合、なのかもしれない)
居場所リコリコの日常は視聴者にとって尊かったのか。それはなぜ尊いのか。
あの空間にいつかの郷愁を見出しているからなのか、あの空間に安心感、あるいは幸福感を見出しているからなのか。それとも物語性だとか、友情とか絆なのか。
私はその感情が薄かったために、その感情がどこから来たものか想像した感情しか充てることができない。なのでもう一つのテーマ性から読み解くことにする。
もう一つのテーマ性「役割」
たきなはもともとの与えられた役割に忠実「だった」。それがリコリコにいることで変化していく。
千束は自身の与えられた役割に忠実ではない。むしろ自分で考えだした役割を全うしようとしている。
「役割」に対する視聴者の現実でのフラストレーションは何か。
それは「与えられているか」「気付けているか」ではないか。
与えられている役割の破壊をたきなの変化によって見せ、
あらたな役割を気付き見つけて新しい未来への希望、明るさをたきな、千束両名で見せる。
そこにこの作品が視聴者に与える幸福感があるのではないか。
私はこの作品の大人たちが抱える「役割」が「子供たちの未来を創る」に感じた。子供たちの役割は「夢」であり、千束は夢に向かっていた。
この作品にはそういう前向きさが存在し、夢に対する希望と挫折、再起が
物語になっており、その再起への力が友情であり、その友情を紡ぐ物語性が視聴者の感じる尊さなのだと感じた。そして、その物語が紡がれる舞台、居場所に対する愛しさをもって、最終話を見た後に「リコリコになる」などといった評価が生まれるのかもしれない。