薄雪草 さんの感想・評価
3.7
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
全き世界?
うーん、なんでしょう。
変なモヤモヤが残りました。
本レヴュー。
作品評にはなっていなさそうなので、たたんでおきます。
{netabare}
ジャンルは、たぶんラブコメ?なんだと思います。
お近づきイベントも、ちょくちょく用意されてありましたから。
ですが、2クールかけた割には、大して深くも進展しません。
何というか、最初から最後まで、肩透かし的?な手応えのなさです。
表向きのキャラクターは直感的には分かりやすいです。
それぞれの立ち居振る舞いをサラリと見せてくれます。
でも、自分らしさをじっくりとは打ち出してはきません。
内面のパーソナリティーにはなかなか踏み込まないのです。
そんなアンバランスさが彼女たちについてまわるのです。
うーん、なんでしょう。
これはラブコメにはそぐわない、何か別の成分(設定)が差し込まれているような気がします。
そもそもですが、恋バナっぽいエピソードはいくつかあっても、くすぐったさを感じるようなストーリーはほとんど停滞していました。
そんなふうだから、ラブコメとして必要なはずの強い求心力(訴求力)が、ストレートに伝わって来ないんです。
この2クールだけで作品を読み解くのは、すごく難しいなって感じます。
なんだろう・・・この正体不明な違和感。
~ ~ ~
私見ですが、ラブコメとしては、物語の設定を捻りすぎているような気がします。
男の子の海野凪くんは、まぁいいのです。
わりと17歳の男子っていう雰囲気がありましたから。
問題は、女の子たちです。
まず、天野エリカちゃん。
この子は、本当なら海野家の長女として育てられるはずでした。
ところが、取り違え子として、天野家(凪くんの生みの親)で育てられています。
エリカちゃんはすごい資産家の一人っ子で、都内でも有名なお嬢さま学校に通っています。
でも、女の子の友だちはいないみたいだし、男の子とのお付き合いなんて全くなし。
幼いときに、凪くんとそっくり顔の「お兄ちゃん」と遊んだ記憶があって、そのせいか、ちょっとブラコンっぽいところも。
もしかしたら、エリカちゃんは、凪くんそっくりな「お兄ちゃん」に無垢な想いが残っていて、ほかの誰かを恋愛の対象にするには、いくらか気持ち抵抗があるのかもしれません。
育ての親からは「エリカには許婚がいる」と聞かされていて、しかもその相手が、産みの親が育てた凪くんだっていう超展開なんですね。
次に、瀬川ひろちゃん。
この子にも、親が決めた許婚がいて「それはもう運命なんだ、仕方がないんだ」ってひろちゃんは思っています。
神社の一人娘として厳しめに育てられたのか、外受けは卒なく振る舞えるんだけど、そのぶんストレスは何かと多そうで、気分転換にキックボクシングで汗を流してもいます。
(でも、私には、自分の境遇をぶち壊したい思いが抑えきれないからのように感じます・・・。)
そんな自分の気持ちを、なぜか凪くんには素直に打ち明けられるし、良い子じゃないところも遠慮なしに見せられる。
なんなら「運命を変えてほしい」なんてことも言っちゃっています。
そんなやり取りがそのまま「凪くんラブ」に育っていかないのは、ひろちゃんには仕方のないことなのかもしれません。
でも、凪くんとの共通点が、成績至上主義的な価値観ってことだけで、物おじもせずにプライベートを語るなんてこと、普通の17歳の女の子にできるものなのかなって思ってしまいます。
そんなひろちゃんの破天荒な言動は、同じ許嫁の立場にいるエリカちゃんも気にかかるのか、凪くんとのお付き合いをときどき意識する(させている?)素振りに見えるのです。
なんだろう。
ひろちゃんみたいな聡明な子が、進んでやるようなことではないように思えます。
彼女の動機が今一つよく分かりません。
何か得体のしれない棘が引っ掛かったままです。
そして海野幸ちゃん。
この子は、凪くんの妹で、海野家の実の子どもなんですが、あけっぴろげな育てられ方をされてきているみたいで、凪くんとは何でも言いあえるし、ケンカも普通にできちゃう。
思春期の多感な入り口にいる幸ちゃんは、世間的にはありがちな兄ツンデレぶり。
でも、実はそれは、できる兄へのブラコンの裏返しでもありそうな雰囲気です。
自分と同じ育ちの凪くんは、異父母兄。
別の育ちのエリカちゃんは、実父母姉。
そんなとんでもなくフクザツなブラコン、シスコンに、いきなり身を置くことになります。
しかも、セレブ姉のエリカちゃん、秀才肌のひろちゃんと、ちょっと三つ巴的な恋愛感情になりかけている自分にも気づき始めてるムズかしさ。
おまけにエリカちゃんのお父さん(天野家の父)とは、何かと情報交換をしている間がらで、「幸ちゃんも凪くんと結婚できる立場なんだよね」なんて意味深に扱われている。
幸ちゃんは、凪くんをリスペクトしているんだけど、だからといって凪くんが「結婚の対象」としては見てくれないだろうと考えてしまうのでしょうね。
・・・とまぁ、よくぞこんな女の子設定を考えついたなって感心します。
どの子も基本好い子なので、お互いを気遣い、ためらったり、気兼ねしあったり。
いつかどうしたらいいか分からなくなって、にっちもさっちもいかなくなるパターン?なんて危惧してしまいます。
そんなわけなので、観る方も予定調和を作りにくいですし、見せる方も落としどころが見切れなくなるんじゃないかって、要らぬ心配の半年間。
そんなお話を「托卵」されるわけですから・・・これは戸惑うばかりですね。
そんなことよりどんなことより、私の関心は、「托卵したカッコウ(立案者)は、いったい誰なのか?」ということなんです。
~ ~ ~
お話の設定なので言っても仕方ないのですが、まず、両方の親が「取り違え」をスルーしていることがそもそも不思議です。
しかも、両保護者の思わくだけで、取り違え子を許嫁同士にしてしまう親エゴまる出しのご都合主義な笑い顔にも違和感ありまくりです。
おまけに、「お試しの同居生活」という強引な持って行き方は、のぞき見するような面白さはあっても、子どもの人権を弄んでるとしか思えません。
親権?ってここまで強く押し出してしまってもいいのでしょうか。
というか・・・時代錯誤も甚だしいと思っているのですが。
こんな思いでしたので、到底、2クール分のシナリオでは、ラブコメとして消化(昇華)するのは難しいと思いましたし、実際そうなりました。
原作は読んでいませんので、どんな展開になっていくかは分かりませんが、結局のところ、エリカちゃん、ひろちゃん、幸ちゃんは、自分の気持ちの持って行き場とか、納めどころとかが見つけられないんじゃないでしょうか。
つまり、物語としてはズルズルと先延ばしにしていくか、ぐちゃぐちゃな閉塞状態になって打ち切られるか、どっちかになるんじゃないかなって思います。
~ ~ ~
例えばですが、幼馴染なら、男女の間にはそれまでのプロセスがあります。
取り違い子なら、それを踏まえた今後の人生設計がプロセスになりえます。
でも、女性3人に、それぞれにプラスの感情とマイナスの事情があるので、だれを軸にしていいものか、誰にどんな主体性が生まれるのかがさっぱりです。
私としては、気持ちが散逸したり交錯したりして、収拾がつかないまま、モヤモヤしっぱなしの半年でした。
「次にくるマンガ大賞2020コミックス部門」にノミネートされて、14位となった(Wikipediaより引用)ようですが、本来なら重すぎる設定なので、今後どう収束させていくのかに関心があります。
理由は簡単。
生みの親と育ての親の言動が、子どもたちのナチュラルな感性に向き合っているようには見えないからです。
特に男親には顕著にそれが見られ、でも女親にも何かしらの影を感じます。
そして、「家訓」だとか「頑固」だとかで、親に主導権を握らせたままに、作者が「彼ら(親目線)のラブコメを描こうとしている」からです。
この先、作者のなかでキャラたちがどう動きだすのか、彼らへの愛情をどう表現するのか、その度量が問われるのではないでしょうか。
~ ~ ~
本作のタイトルは、「カッコウ"の"許嫁」です。
「カッコウ"と"許嫁」ではありません。
カッコウは托卵することで、子育てはしません。
本作の親はそれなりに子育てしていますが、ヒューマンエラーとして「取り違え」というトラブルには、物語的にはノータッチです。
あってはならないことだと感じるのですが、何故かスルーが気になりました。
産院とは、過去に清算を済ませているのでしょうか。
両家の間にも、何かしらの酌み交わしがあるのでしょうか。
天野家は、もしかしたら、子どもは最初から2人までとか決めてあって、長男が先にいたので、女の子が欲しかった?
それとも、最初の男の子の育て方が、無茶苦茶厳格すぎちゃって失敗したから、海野家を抱き込み、意図的に育てさせた???
その辺りの裏事情は、いっさい描かれていません。
「もしもの設定」の一つとして、無理くり頭にしまっておくしかありませんね。
~ ~ ~
にしても、産院による「取り違え」を、カッコウの托卵に結び付けるのは、ちょっと強引なこじつけに感じます。
子どもの、特に性別を選べないことは、親の作為の及ばないところだからです。
子どもの成長に、苦労も歓びも合わせて積み重ねられるのは、人間だけだからです。
それを、カッコウの戦略やオオヨシキリらの母性本能に紐づけて、人間のミスや采配を、大人的に不問にしているのだとしたら、正直なところ作者のセンスってどうなの?と思います。
カッコウの托卵は、彼らが長年にわたって積み上げてきた生存戦略。
調べてみたら、孵化したあとの本能行動が、親鳥以上に、凄まじいというかエグイというか・・・。
そんなカッコウの生態は、我が子を見知らぬ他者に委ね、子育てを放棄したようにしか思えなくもないですが、日夜に子育てするママとパパにはどう映るのでしょう。
楽ちんそうでいいなって思えるのでしょうか。
でも、カッコウの今の現在地は、さらなる托卵先を開拓し、適応を図らなければならない時期に来ています。
地球温暖化の影響で、オオヨシキリらとの分布が重なりにくくなってきているのと、カッコウの卵を見分ける能力を持つようになり、孵化する前に巣から落とすようになってきているからです。
生物進化というのは、自然環境下での徹底した生き残り戦略です。
なので、常に知恵を働かせないと、絶滅の憂き目を見ます。
まさに、托卵の現場は、やったらやり返すぐらいの気合で、情の一片もなく、自己変革に邁進するアグレッシブな姿があるのですね。
と言えども、カッコウは「ずる賢い」などの評価は不名誉なことです。
人間だって、保育施設はもちろん、ベビーシッター、里子里親制度、児童養護施設などの仕組みや制度を作り出しています。
ましてや、体外受精、人工授精、代理出産など、技術の進化、倫理の深化によって、得難い幸せを手にする人もいらっしゃいます。
こうしてみると、どんなふうに仕組みを作り、どのように運営して、子孫を未来に繋げていくのかは生物共通の戦略です。
広義の生命進化の観点では、自然界の営みのなかの社会的な形態の一つ、人間の智慧だと言えるだろうと思います。
~ ~ ~
そうは言ってもです。
許嫁は、家父長制度や親の都合による作為的、人為的なもの。
それを頭から否定はしませんが、きわめて古びた人間観に基づくものだと感じますし、何より子どもの人権を軽んじた傲慢な考えだと思います。
とりわけ、天野家の父の思惑というか計算というか、そのあたりのキナ臭さが鼻について仕方ありません。
まずもって取り違え子は、産院内のミス・・・と評価されるでしょう。
あってはならない事故案件なわけで、本当なら両方の親は「被害者側の人」になり、胸を穿つような葛藤が深く生じて当たり前のはずです。
反面、許嫁は、親から子どもへの恋愛条件の縛りに外ならず、言うならば「加害者側の人」。
自由に恋愛を楽しみたい子どもの側には、強いストレスがかかり、彼ら彼女らの葛藤もまた、いかばかりのものかと感じます。
そう思うと、取り違えも、許嫁も、人間社会の構造性に潜む、大人側の意図・思わくによって、作られたものとも言えなくもなく。
私がどうしても気になって目が向いてしまうのは、こんなシナリオ、誰にとって一番オイシイのか?という事です。
実の子の凪くんを迎えいれ、意のままに育てたエリカちゃん(あるいは幸ちゃん?もしかしたらひろちゃん??)を伴侶にする・・・。
そんな選択肢や展開を、一番都合がいいと思っている大人は誰なのかってことですね。
最初の雛鳥はいなくなっても、次の雛鳥を。
その雛鳥には、また次の、また別の雛鳥を宛(あて)がえばいい・・。
万一そんな発想が物語に通底しているなら、カッコウも顔負けのおぞましさと言ったところでしょうか。はぁ。
~ ~ ~
私の身近にはいっさいいなかった4人の身の上は、きっと一筋縄ではいかない、一刀両断しえない難しさを抱えているのでしょう。
本作がダラダラ・ズルズルに見えるのは、実のところ、視聴する側のバイアスです。
ラブコメ作品という決めつけが、かえって本作の解釈や理解を余計にややこしくしています。
でも、本当のところは、ラブコメ枠を超えた、もっと深く感受しなければいけないタイプの作品じゃないかなって考えています。
そんなバックボーンを、覗き見て、垣間見ることで、わかることもあろうかと思います。
子どもの過去と未来とが、自然界のカッコウの托卵と、社会的な取り違えと許嫁というオトナの百科事典に紐づけられている作品だってこと。
そして、保護者の思いにがんじがらめに縛り付けられて、主体性を創りにくい人生に置かれている彼らの今だってことにです。
「カッコウ"の"許嫁」は、親の責任や言動を、自然界の動かしがたい営みの流れのなかに落とし込むようなフレーズに聞こえます。
もっと言えば、作者がそんな世間の不作為に迎合しているかのようにも。
あるいは、子どもの自由意思よりも、親の立場性が優先され、許されていいかのようにも。
このあたりが、本作がラブコメとして、なかなか『映えてこない理由』なのかもしれないし、私が感じたモヤモヤの原因のひとつになっているのかもしれません。
カッコウの生存戦略が変わっていくように、許嫁という古い価値観やお作法も変えていく時期に来ているのではないか。
そう結語して、もしも、次のクールが放送されるのであれば、楽しみに待ちたいと思います。
{/netabare}