薄雪草 さんの感想・評価
3.7
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
ビター系マジカルファンタジー
本作にはウラシマトンネルという時空の軛(くびき)が大道具として登場します。
となれば浦島太郎伝説を下地にしながら、現代風にアップデートしてみましたという趣旨であるような印象です。
個人的には、竹取物語、浦島太郎の二作は、世界に冠する日本版ファンタジーの金字塔だと思っていますので、むしろ本作のアイディアが二番煎じにならないかと杞憂する想いで鑑賞しました。
主人公は塔野カオルと花城あんず。
いくらか心に翳りをほのめかす二人ですので、ウラシマトンネルがどのようなエモーショナルを引き出すのかが本作評価のポイントのように感じました。
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ちょっと寄り道・・・。
{netabare}
ところで"浦島太郎"とは、"基本、良い人なんだけど、少々世間離れしてて、多少世間とズレがあっても厭わない人"とも読み取れそうで、私はそれを"世俗に漂ううぶごころ"と捉えています。
亀の甘言に乗っかるのは歓楽街に誘われるタクシー客の懇ろでしょうか。
飲めや歌えの享楽は、コロナに苦しむ時代にはむしろ羨ましく妬ましささえ感じます。
宴席の終わりに手渡された玉手箱はクーポン券などではなく、長く怠惰放蕩に耽ったことへのカウンター拳なのでは?
恩返しという甘言を鵜呑みにし、ともすれば当然の見返りとして享受を求める人間の浅はかさ、傲慢さへの注意喚起とも言えそうです。
とは言え、乙姫じきじきに開封を禁忌・諫言されれば、なおのこと開けたくなるのも人の情け。
その結果、浦島太郎の肉体はたちまち現実へと引き戻され、あらぬ姿へと変貌します。
ここで留意すべきなのは、自らの判断で現世へと還った太郎が、世間の様相とのズレと、自らの肉体と精神とのズレを、いったいどのように順応させたのかということです。
昔話・浦島太郎では、その先までは物語られてはいません。
上から目線の教訓はあっても、下から支える支援は何一つ語られません。
言わば「そりゃあ自己責任だから仕方ないでしょ?」ということなのでしょうか。
案外、昭和時代の共同体なら拾う神ありで許されそうです。
でも、平成・令和の時勢では捨てる神のほうが悪目立ちなので、そういうわけにはいかないことのように思います。
太郎の自己選択は、たしかに遊惰に溺れ、人格の錬磨も社会への貢献も放棄してしまっています。
けれども人懐かしさに駆られ、ようやく帰還を果たした結果、世相の変化への"おいてけぼり感(外的な疎外感)"はもちろん、一足飛びに老化した"おいてけぼり感(内面の疎外感)"を自らの境遇とした太郎なのです。
それはウラシマ効果ならぬ、ウラシマ後悔とも言えそうな救いようのなさになってはいないでしょうか。
彼が背負った償いは、残りの人生にどのような顛末をもたらすのでしょうか。
なにより、いったい太郎は、時間のあわいとの等価交換を、どのような想いで埋め合わせ、置き替えたのでしょう。
それは個人的レベルで推察するしかないのでしょうし、その重苦しさはこの先も表立ってはこないのかもしれません。
ですが、それを社会通念として刷り込んでいる私たち自身も、時のあわいの埋め合わせを「個の内面性」の問題として目を逸らしてはいないでしょうか。
時間操作(とその結果としての無常感)をファンタジーやSFに落とし込むのは容易いことです。
でも、現実の身近な街なかで生み出されている事象が、どれだけ恐ろしい未来を招くのか、もうそろそろ無視できるような時代ではないように感じます。{/netabare}
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終幕、二人の感情が爆発し、絆を縒り戻そうとする一つのアクションが演出されます。
ストーリーラインでは、{netabare} かたや数時間、かたや○○年のズレと {/netabare}を、一瞬にして結合されるエポックシーンでもあるので、「うん、当然そうなるよね。」と納得できる私です。
その瞬間、ほのかにビター系の味わいを感じたのは、もしかしたら女性特有の目線が働いたのかもしれません。
ならば、男性視点なら視聴後の印象もまた違ったものになるのだろうかと思いを巡らせています。
留意するのであれば、ジェンダー的にもジェレネーション的にも、視点も目線も違っていて当たり前な二人なわけです。
17歳の過去情報を共有しあっていても、そのバイアスや体験に自縛され過ぎてもいけないのでしょう。
まとめると、歳の差という現実におじけず、コミュニケーションをよく図ることで、生きる実相を作りあい、その意味を見出す共同作業が肝要なのかもしれないと感じました。
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原作は読んでいませんのでシナリオ的な考察はそんなに深められませんが、全体的には少し薄口だったかなあという印象でした。
キャラクターとしてのカオルはやや茫洋的。あんずがツンデレ風なのは、その背景がきちんと描かれてあるのですんなり頭に入ります。
ただ、ややパターン化された人物像なので、いくらかありきたりに感じられたのは否めませんでした。
(先をつい読みそうになるのをぐっとこらえました。)
もう少し双方の感情への強めのアプローチとか、共感を持ちあうシンパシーとか、そんな意外性のあるエピソードが描かれてあっても良かったかなって感じました。
(いくつかのシーンでいい表情が描かれてはいます。)
元祖・浦島太郎の物語世界との比較は、ちょっと酷だったかも・・・期待をかけ過ぎたかも・・・と反省しています。
でも、時間の相差をアイディアとする作品が、このように循環するのは素晴らしいチャレンジだと思います。
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思春期の夏への冒険はセピア色に染めるにはまだ早く、だからこそ独りよがりな暴走も時には大切な宝物にもなりえます。
17歳の若さは生身の人間としての欲望や可能性を欲しがります。
でも、そのぶん過ちも多いもの。
カオルとあんずの共同戦線が、お互いの寛容を育み、バランスの取れたサポートを見出せそうな雰囲気で幕を閉じたのは良かったと思います。
ドライ → セピア → ビター → スウィート。
さよならの出口があれば、こんにちはの入り口が人生にはあります。
時間のあわいに翻弄されず、足を地につけることに喜べる毎日(系)があれば、それが本当のウラシマ効果の実り。
そんなことが言えそうな作品でした。