「ひぐらしのなく頃に解(TVアニメ動画)」

総合得点
89.4
感想・評価
2921
棚に入れた
13691
ランキング
82
★★★★☆ 4.0 (2921)
物語
4.3
作画
3.7
声優
4.0
音楽
4.0
キャラ
4.1

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ネタバレ

ひろたん さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

羽入が1000年の時を経て雛見沢に再臨するための物語

前作は、最後に古手梨花の衝撃的なセリフで幕を閉じました。

「いいわ、遊んであげる。永遠に終わらないこの6月を好きなだけね。」

この物語において、梨花が真の主人公であることを明かして終わったのです。

この物語の世界は、同じ時を繰り返していました。
正確に言えば、梨花が繰り返していた世界です。
梨花は、何回も同じ昭和58年6月を繰り返し生きてきました。
梨花は、この無限ループを「袋小路」と呼んでいます。
そして、そこから抜け出せないことを「運命」と呼び、抗おうとします。
一方、梨花以外の人物は、繰り返してはいません。
つまり、この物語では、軸となっている梨花以外は主人公になりえないのです。


それでは、この物語の目的とは、梨花が「袋小路」から抜け出すことでしょうか?
実は、それは表面的なことにすぎず、それ以上のことが裏には隠されていました。
それは、羽入が1000年の時を経て雛見沢に再臨することだったのです。


※ごめんなさい、ここから長いです・・・。
 お時間がございましたら、お付き合いいただければ幸いです。


■『サイカイ』(全1話)
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いつものメンバーの中でレナだけが生き残った世界のその後が舞台です。
レナの回想の中で梨花が言い残したセリフが印象的です。

「この雛見沢に興味はない、次の雛見沢を探しに行くことにするわ。」

このエピソードでは、梨花がキーを握っていることが明示されます。
そして、梨花以外の人物は、繰り返していないことも分かります。
これにより、梨花だけが繰り返していると言うことを強く印象付けました。
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■『厄醒し編』(全4話)
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このエピソードでは、あることが分かってきます。
それは、どのエピソードでも結末は必ず梨花の死と雛見沢大災害に帰着することです。
また、梨花が殺されることがきっかけで繰り返すことも分かりました。
クライマックスに向けてフォーカスすべきポイントを強く印象付けました。
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■『皆殺し編』(全8話)
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ついに真実が明かされます。

(1)梨花の決意と羽入
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この物語の面白いところは、同じ時を繰り返す理由が分からないことでした。
前編では、直接的な原因は、梨花が殺されることだと分かりました。
しかし、梨花は、死ぬ直前の記憶を持ち越せません。
すると、誰に何のために殺されるのか、梨花自身は分からないのです。
それが分からなければ、手の打ちようがありません。

梨花は、死に戻るたびに毎回いろいろ試しますが必ず死んでしまいます。
そして、これはもう「運命」なのだと諦め弱音を吐くこともありました。

そんな中、梨花が死んで再び戻ってきたときにあることに気づくのです。
それは、殺される日までの日数が短くなっていることです。
つまり、何か手を打つにしろ余裕がないのです。
梨花は、これがラストチャンスかもしれないと悟ります。
大事な仲間を守り、昭和58年6月より先の世界を見てみたい。
その想いから、梨花は、再び諦めず運命に立ち向かうことを決意するのです。

そして、その横に寄り添っていたのが「羽入」と言う存在でした。
羽入は、オヤシロさま、つまり、「神」です。
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(2)黒幕
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ついに、鷹野三四が黒幕だと分かります。
鷹野は、雛見沢症候群の存在を立証したい、その強い想いだけでここまできました。

鷹野がまず行ったことは、雛見沢連続怪死事件にみせかけた巧妙な計画殺人でした。
オヤシロさまの祟りと銘打って、毎年2人ずつ殺し、実験の材料としていきます。
しかし、ある事情で研究の継続が難しくなったことから、ついに最終手段にでます。

雛見沢症候群は、梨花が死ぬことにより村全体で集団発症すると考えられました。
そこで鷹野は、梨花を殺すことにより雛見沢症候群の存在を立証しようとしたのです。
また、発症が村の外に広がるのを防ぐために村人全員の抹殺も同時に行いました。
しかも、それは、防疫と言う大義名分で政府の了承を得てのことだったのです。
大量虐殺なのに、一般報道では、「雛見沢大災害」となっていた理由です。

このエピソードの最終話のサブタイトルは「終末」。
「ひぐらし」の中でもこれ以上ないくらいの終わり方をします。
梨花がラストチャンスだと思った今回の繰り返しが今まで以上の惨劇で幕を閉じます。
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■『祭囃し編』(全11話)
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ミステリーでは、黒幕が分かったら、次は、その動機です。
この物語でも、そこは抜かりなくちゃんと鷹野の動機を説明してくれました。
かなり同情できる内容でした。

このエピソードでは、羽入がこの世に実体として姿をあらわします。
そして、梨花とその仲間たちと一緒に鷹野の計画を阻止しようとします。
それにより、鷹野は、作戦に失敗し、組織からも切られ敗北します。

鷹野は最後に、人の世の「罪」はトランプのババ抜きと同じだと言いました。
だれもが1枚のババを互いに押し付けあう。
それは勝ちを求めるゲームではなく、ひとりの敗者と言う生贄を求めるゲームだと。
鷹野は、そのババ(罪)を引いたのだと言います。
そして、その腹いせに魅音を拳銃で撃とうとします。

そこに、羽入が割って入ってきます。
人の世のババ抜きは、必ずだれかに押し付けられなければならないものなら、
それを引き受けるのが私の役目だと言って身代わりになろうとするのです。
実は、この言葉の内容こそが羽入が1000年前に「神」になった理由なのです。
これについては、後でもう一度触れたいと思います。

鷹野は、結果的には、組織に消されることなく助かります。
それは、黒幕の鷹野であっても"救い"が必要だったからです。
なぜなら鷹野がババを引いて終わりでは、この物語が成立しないからです。
その理由は、梨花言ったセリフから分かります。

「この世界に敗者はいらない」

これは、この物語の主旨であり、梨花が1000年の時を経て出した結論だからです。
それが、黒幕の鷹野であっても例外ではありませんでした。
この物語では、鷹野の動機にも触れることにより単純な悪者にしなかったのです。

こうして、梨花は、袋小路を抜け出すことができました。
それは、惨劇も大災害も起こらない理想的な形でした。
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■羽入について
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羽入は、オヤシロさま、つまり、「神」です。
とても可愛くて好きなキャラです。
しかし、物語としての存在意義については、いろいろ悩んでしまいました。
私は、最初、羽入の存在を否定的に捉えました。
不要とすら思いました。
しかし、いろいろ考えてみた結果、その存在に納得できました。
その経緯について書いてみたいと思います。

(1)羽入の存在は必要か?
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オヤシロさまとは、歴史であり、信仰であり、祟りであり、疫病であり・・・。
それは、雛見沢症候群のことを知らなかった村人の懐疑心が生んだ架空のものです。

一方、雛見沢症候群のことを知っている鷹野は、裏では、そのことを利用しました。
つまり、オヤシロさまの祟りを借りた連続殺人です。
もちろん、裏で行っていることなので、村人はそれを知る由もありません。

すると、この2つのギャップから得体の知れないモノへの恐怖心が生まれます。
そこに妙なリアリティがあったのでミステリーホラーとして面白かったのです。
つまり、目の前で起きているのは、実は「祟り」なんかではない。
それには、ちゃんとトリックがあり、黒幕がいて、そこを追求していく面白さです。

しかし、実際に「神」が出てきてしまいました・・・。

すると、この時点で今までミステリーホラーとして考えてきた要素が吹っ飛ぶのです。
鷹野がでっち上げた「祟り」の謎を解明していくというミステリー的要素が、
神の存在を肯定したことにより、薄まってしまった気がしたのです。
つまり、「祟り」の裏にある「オヤシロさま」と言う得体の知れないものへの恐怖心、
それが消えてしまったと感じたのです。

梨花は、タイムリープしてきて、何度も運命を変えようと奔走します。
そして、何度も失敗し挫折を味わいながらも、仲間と運命を切り開こうとします。
しかし、そんな梨花がいつも相談していた相手が実は神だった・・・。
これにより、正直、物語が軽くなってしまったと感じたのです。

私としては、オヤシロさまは、架空のものにしておくべきだったと思いました。
触れてはいけないもの、実体は見ることはできないが、いると信じられているもの。
つまり、人の持つ恐怖心の集合から生まれる「鬼」のようなものです。
それこそが、この物語の肝になっている「疑心暗"鬼"」なのですから。
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(2)羽入は、観測者的役割にしておくべきだったのか?
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確かに何度もタイムリープし、記憶が一部欠落するする梨花にとって、
なんらかの指針となる存在は必要なのだろうと思います。
そもそも、梨花がそのような力をもった理由も必要です。
その裏付けとして、羽入と言う人ならざる者の存在は必要なのだろうと思います。

でも、それなら観測者でとどめておくべきだったのではと思ってしまいました。
ハッキリ言えば、この世へ出てきてはダメだろうと思ったのです。
一歩譲って、梨花だけが見ることができる存在ならまだ許せたのです。
なぜなら、梨花は、オヤシロさまの生まれ変わりと称される特別な存在だからです。

しかし、そんな神が、実体化して、しかも、学校へ転校してきたのです。
正直、えっと思ってしまいました。
神が途端に手に届く距離の存在になってしまったからです。
この物語は、得体の知れないものに対する恐怖心が引っ張ってきたはずです。
なのに、それがなくなってしまったと感じたからです。

それでも、実体として現れたのなら、何かすごい展開があるのかなと期待もしました。
しかし、物語の最後に鷹野と対峙したときのことです。
鷹野が撃った拳銃の弾丸を逸らしただけでした。
「神」と言う存在に期待したレベルの内容では到底ありませんでした。
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(3)羽入の現出は、実は、本来の「祟り」の意味通りかも!?
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「祟り」とは、神霊,死霊,精霊,動物霊などが一種の病原体として,
人間や社会に危害を加え自然界に災禍をもたらすとする信仰現象のことだそうです。

しかし、もともとは、「神」が何らかの形でこの世に現れることを意味したそうです。

そうなると、実は、羽入の現出は「祟り」の本来の意味通りなのかもしれません。
そう考えると、羽入の存在については、もっと深い意味がありそうなのです。
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(4)「オヤシロさま」信仰が作り上げた偽りの理想郷
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ここからは、OVA「礼」の「賽殺し編」の内容も踏まえます。

羽入は、1000年前に神になりました。
神になった理由は、人は罪を押し付けあい、醜く生きていたことに絶望したからです。
そして、人の世の罪のすべてを引き受け自分を討たせることでその罪を祓ったのです。

そして、羽入を討ったのが、羽入の娘でした。
娘は、それでも母親に戻ってきてほしいと願いました。
羽入は、この世界が良くなったら必ず舞い戻ると言いました。
それは、「人々が力を合わせ協力し合い、互助の精神で助け合う」世界です。

娘は、それを信じ母親が夢見る理想郷を作り上げようとしました。
そのために「オヤシロさま」信仰をつくり、村を統治したのです。
そのおかげで、村は平和を取り戻しました。

しかし、羽入は、この世界には戻りませんでした。
なぜなら、その統治した方法、つまり「オヤシロさま」信仰に問題があったからです。
その信仰とは、まずは、互いが信じあう、助け合うためのルールで縛ります。
そして、不和の心があれば「祟り」があると恐れさせることでした。
つまり、羽入が夢見た理想郷とは程遠い、偽りの平和な世界だったのです。
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(5)羽入は、「神」と言う名の罰により閉じ込められていた
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羽入にとって、神になると言うことは人の世の罪を引き受けた罰のようなものでした。
しかし、奇跡が起こると再びこの世との接点を持つことができることも分かりました。
その奇跡とは、古手家に8代続けて第一子が女子だった場合です。
そして、それが梨花だったと言うわけです。

この背景があったからこそ物語の中で羽入と言う存在が現れたことに納得できました。
羽入は、「神」と言いつつ、実際は、罰で閉じ込められていたという存在だったからです。

また、「祟り」とは、神が何らかの形でこの世に現れることを意味します。
今回の「祟り」騒動の中で羽入が現れたことと上手く関連付けていると思いました。
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(6)「オヤシロさま」信仰の消滅と羽入の再臨
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羽入が最後に鷹野と対峙した時に言いました。
「自分が罪を引き受け、そなたを許す」と。
なぜこのようなことを羽入が言ったのでしょうか?
それは、もともと羽入が神になった理由そのものだったからです。

そして、また、最後に羽入がこの世の中に留まった理由も分かります。
それは、村に罪の擦り付け合いがなくなったら再臨すると言っていたからです。

この「ひぐらし」は、村人同士の妬みや罪の擦り付け合いが象徴的な物語でした。
ダム戦争による分裂、北条家への恨み等々です。

この物語では、沙都子の叔父の虐待と児童相談所の件にそれなりの時間が割かれます。
正直言うと、あまり面白いエピソードとは言えませんが、これがとても大切なのです。
なぜなら、これにより村が一致団結するからです。
そして、ダム戦争のわだかまりや、北条家への罪の押し付けもなくなるからです。

なぜ、これほどまでに、この児童相談所のエピソードを引っ張ったのか?
それは、この雛見沢と言う村から醜い罪の擦り付け合いの解消を描きたかったのです。
醜いものが渦巻き淀んでいた雛見沢に新しい風が吹き込む必要があったからです。

これこそが、羽入がこの村に再臨するための必要な条件だったからなのです。

「人々が力を合わせ協力し合い、互助の精神で助け合う」と言う理想郷。
それが本当の意味で実現した世界だったのです。
それは同時に諸悪の根源となっていた「オヤシロさま」信仰の消滅も意味しました。

こうして、羽入が1000年の時を経て、やっと雛見沢に再臨できたのです。

また、このことを象徴する鷹野との対決後の梨花のセリフが印象的でした。

「この世界に敗者はいらない。
 それが、古手梨花が奇跡を求めた1000年の旅の最後にたどり着いた答えよ。」

このセリフは、直接的には、鷹野も含めだれも死なないことを言ったのでしょう。
しかし、このセリフの裏には、やはり、羽入のことがあります。
なぜなら、羽入は、自らの死と引き換えに罪を引き受けました。
そして、1000年もの間、罰を受け続けてきた「敗者」だったからです。

最後に羽入が再臨したことにより、その死も取り消されたことになります。
これで、羽入も「敗者」ではなくなりました。

本当によく練られた物語だったと思います。
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■まとめ

キャラデザ、作画、微妙なギャグ、最初はいろいろ不満がありました。
でも、物語にどんどん引き込まれていくうちに問題にならなくなりました。

最初はパラレルワールドと見せかけておいて実はループだったと言う設定。
そして、何度もループするが、その理由が分からないと言うミステリーさ。
その分からない理由を「運命」ととらえ抗おうとするところ。
そして、諦めかけていたところに、想いの強さから「奇跡」を信じるところ。
そして、最後は、ループの原因と黒幕が分かり、大団円で終わる。

この物語は、仲間と運命に抗う物語でもあり黒幕を追求していくミステリーでもある。
他のタイムリープものにはない面白さがあった作品だったと思いました。

投稿 : 2022/05/19
閲覧 : 255
サンキュー:

20

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