waon.n さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 3.0
音楽 : 5.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
浮き彫りにしたのは受け取った側の人達
【まえがき】
これと攻殻機動隊2045を観るためにNETFLIXに再入会したのだけれど、攻殻はまだ先のようだったので、しょんぼりしつつ、バブルを観ました。
WITstudioさんは背景を動かしたりするのが上手くてカメラワークがとても楽しい。実写では再現不可能ではないかと思われる技術力ですね。もっとも、実写の世界で3D背景を基にした2.5次元的な使用方法であれば再現できるかもしれないのですが…。
【あらすじ】
昔、爆発があった
この宇宙は爆発で生まれた
昔、爆発があった
この星は爆発で生まれた
昔、爆発があった
この生命は爆発で生まれた
そしてまた爆発が起こる
これが我々の目撃する最後の爆発になる
【ゲーム:DEATH STRANDINGより引用】
東京に泡が降った、それは爆発の兆候で、爆発は東京タワーの近くつまり東京のど真ん中で起こった。
しばらくして、世界は元に戻ろうとしているが、この周辺だけ泡が降り止まずその範囲は封鎖されることになった。その中は特殊な環境で重力が少なくなっているようだった。
そして、数年が経ちそこは居場所を失くした少年少女の住処となっていた。
その中で貴重な物資を掛けてパルクールでバトルをするバトルクールが生活の一部となっており、一喜一憂する毎日だった。
そんなある日、ヒビキは爆心地となった東京タワーを目指してパルクールをするも、失敗に終わり、落下してしまう。
ヒビキを助けたのがウタという謎の少女彼女の出現により、世界は彼に違う一面を見せ始めるのだった。
【レビュー】
◆モチーフ
公式のHPで読める虚淵さんのコメントに人魚姫をモチーフにして、人魚が泡になるを泡が人魚になるっていう着想を得てそこからスタートした物語だそうです。
人魚姫=人魚→泡
バブル=泡→人魚→泡
ただのモチーフにとどまらず、テーマ性を組み合わせて、一歩すすんだ形で物語を形成させることに成功している。(テーマ性については後述してあります)これにより、作品の中で何度も繰り返し表現されていた、輪廻という世界の仕組みに触れることになる。( {netabare} 気付けない人の為の優しさと思っておく {/netabare})
この輪廻を世界という広い視野から見ると、デスストランディングのオープニングでも語られるように、まずは爆発があったから始まる。爆発により世界(宇宙)は生まれ、星が生まれ、ブラックホール(渦)が生まれる。
泡は液体であり、個体でもありえる。また、気体が無いと存在できない。これは人間も同じように思われる。ウタが現れる時に泡がヒビキから出たあわと混ざり合い、細胞分裂し始めるのは面白い表現でした。
◆隠喩としての渦≒災禍
テーマ性を語る前にここをおさえておくと良いかもしれません。
物語のなかでも爆発の後に残ったものが泡より沈んだ東京のど真ん中に発生している渦です。
そして、東京タワー。爆発の中心となった地点にあるブラックホールのような渦です。
これが何を示すのか…がテーマ性に直結します。ここには風化させている人を浮き彫りにする刃が隠されていて、そこに私は傷付き、感動してしまった。自戒を込めて。
◆テーマ性
最初に断っておくと勝手な私の受け取り方なので、異論は認めます。
現代の日本において一番影響を与えた爆発は、まず第二次世界大戦における広島、長崎の原子爆弾。
これにより、広島、長崎はおろか日本という国の魂のようなものが、爆散してしまいました。
(このあたりを描いた作品としては、『この世界のさらにいくつもの片隅に』がベスト映画です)
しかし、日本はそこから復興し世界の1位2位を争う経済大国にまでなりました。
次にバブル景気。爆発的な好景気に見舞われ、膨れ上がり爆発し崩壊した。
これはここに至りデフレ日常化したことにより、夢幻泡影のごとく無かったものとして今を過ごしている。現状復興できていないと言えますね。
次に福島原発事故ではないでしょうか。
これにより、避難指示区域の人々は土地を離れるしかなくなってしまった。これは『バブル』で起きた爆発により東京が立ち入り禁止になってしまった世界と私には重なって見えました。
物語では“そこに住み着いた人々”=“世界が非日常になり、社会からはみ出してしまった人々”=世界のゴミ=星の原料となる窒素や水素などのガス=原子や分子→新星爆発→星の誕生→生命の誕生…と輪廻する。
このような関係性を見る事ができるように思われます。
さらに深層へいくと、生命はDNAという螺旋(ここでも渦が)からGEMEでつながりが現わされる。
物語の後半では、再度爆発の予兆がみられる。
人にとってはもう二度と繰り返したくはない爆発を目の前にしてもなお、救いたい人がいる主人公達はこれを止める為爆発の中心へ。
ヒロインを救い出すことはできたが…モチーフの人魚姫同様に泡となり、爆発は形を変え、結果を変えた。風の精霊となった人魚姫のように。
爆発は再生と表裏一体である。崩壊は再生と表裏一体である。
ラスト主人公たちは、復興しつつある東京でも同じようにパルクールを楽しむ。これは、彼らが社会に復帰したことの示唆でもあるように思えます。
そして、東京タワーは被災のシンボルとして再建中になっているカットで幕を引く。
このラストは未来へ向けた希望だと感じ、感動させてくれました。
◆重層的な隠喩から読み解くメッセージ。
この映画のテーマ性が見せる隠喩は、幾重からなる日本という国の再生の物語です。
爆発と再生、崩壊と復興。
上記で示したような出来事を見事に思い起こさせる隠喩の数々、実は重たいテーマを扱っているのに、この清々しさはなんだろうか。
彼らは別に世界を救おうとか思っていない。ただ純粋に、ウタを救いたいという願いからなんだ。それを利用するしかなかった大人を描くことは、実はこの国はもう大人の出番は終わりで、若者が自分達のやりたい事をしっかり見つけ、成長しすることが再興への道なんだと示してくれていて、そんなメッセージが伝わってくるようではありませんか。。。もうおじさんだけれども。
◆マクガフィン
・パルクール
なぜにこの競技を彼らがしているのか。
1.理由
唯一残された社会との接合は飲食などの物資でそれを争う方法が必要だった。特に必要な道具もなく、一番シンプルで正当な競争だったためだろうと思います。殴り合いや殺し合いで解決しないのは、彼らがまだ社会性を残している証拠であり、ある種同じ穴の狢という仲間意識もあると考えると割と自然に納得できる競技だと思います。
2.意味
無理矢理にでも、意味を付けるのであれば、パルクールは簡単に言うと障害物競走である。様々な障害を乗り越え、ゴールにたどり着く。
『高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな』的なノリなのかもしれません。
また、躍動感は生命力の表現として機能し、テーマへの絡みも少し見える。
とはいえ、舞台装置としての競技なので、代替は効くものだろうから、あまりなぜこれなの? ってしまうことで、思考がストップし、意味が理解できない=物語が理解できないは、逆にその考え方が私には理解できないのです。
・歌
主人公の名前がヒビキで、ヒロインの名前がウタである。
歌にはシニフィアンとしての歌詞とシニフィエとしてのメロディーとして考えると、この物語内では歌詞のある歌は聞こえてきません。つまりイメージの共有をウタにのせヒビキを聞き取る。歌は彼の三半規管(渦)にしか届かない。『あなたの脳内に直接語りかけています』のようなテレパシー的な能力を説明的にするため、また、主人公を特別な存在としての説得力を持たせるための道具としてモチーフに絡めて上手く利用しているように思えます。
このマクガフィンもつまるところ代替可能のなので、シナリオ(脚本)次第では別のものになりえる。上手いことテーマに結び付けたり、モチーフを強化したり観客に分かりやすくしたりすることが目的としてあるんじゃないかなと思っております。
個人的にですが、今回の脚本は虚淵さんが携わっているので、整合性とかとるのやっぱり上手いなって思いました。他にも脚本として参加された方もいますので、彼一人というわけではないのでしょうが、私の知識不足のため安易にそこに結び付けるしかないのは悪しからず。
EDにて歌詞が付いたことで、ウタが我々の世界へ召喚されたのは記号とイメージの世界(社会)が融合したことによってなのかもしれませんね。
◆映像
映像と副題にしたのは、つまり作画だけではなく、背景、3D、撮影、音楽を総合しての話だなーと思ったからです。
とはいえ、映像に関してはよくわかりません。作画は普通に動画で崩れることはなかったです。
特にスゴイのはカメラワークに合わせた作画ですね。
角度が変われば、見え方も変わるつまり、描かなければならないわけで、アニメでは横や上にPANするは割と当たり前に使うし、TU(トラックアップ)TB(トラックバック)も当たり前に使われます。
しかし、ティルト、サークルショットのようにパースが変化すると絵の全てを書かなければならないため労力は数倍になります。
これを多用しているのがスゴイよねって話です。
カメラワークがあるって事はその分背景の仕事が増えるその分撮影が恐ろしく複雑な仕事をしなければならない。って事ですね。
また、撮影に関しては昨今どんどん進化しておりますね。
『ViVi』において気持ち悪かった(技術ではなく演出的に)ハーモニー処理。
本来は美術の領分だったのが、おそらく撮影でやってるんじゃないかなって思います。“それらしく”が“それ”になったという点とハーモニー処理で動く…だと? という点が新技術。特殊効果の類になるんだろうとは思いますが、一枚一枚に処理入れてるって考えるとスゴイ労力だなって思います。
実際にどうやったのかは推測の域でもしかしたら全部背景の仕事かもしれませんが…。
また、バブルの光の反射の処理とかもそうなんじゃないなかなって思って軽く鳥肌立ちました。
本当に光の処理が上手いですね。最近では『明日ちゃんのセーラー服』で特殊効果とか光の処理とか上手いなぁ~やるなクローバーワークスって思っておりましたが、今イケイケなスタジオ(ufotableとか)はどこも撮影が強いんですね。
【あとがき】
大抵私がレビューを書くときは作品に興奮した時や他のサイトでのレビューが酷くて理解されていないと感じた時などなのですが、今回は両方ですね。
タイトルにあるように、このテーマ(合ってた場合)を感じとった上で、意味が分からないなどのレビューをしているのであれば、もはや風化してしまったのだと悲しくなる。また、規定された社会(法)の中では正しく、非日常となった日常に気づく事もなく過ごしている人がここに該当するんじゃないだろうかって思ってしまいます。
そういった人たちが多くいるという感覚を与えてくれた意味をおいても、この映画の社会に与える影響はプラスにもマイナスにも働いていて、考えさせられました。
(すとーりーで感じたもの)
などと、偉そうに書きましたが、一番胸を抉られたのは、科学者のマコトさんが泣いたところでした。どういう事が起こっているのか一番わかっている立場でありながら、彼らに真実を告げることをせずただ見送らせ。その結果に罪悪感を覚え涙する。見ていることしかできなかった、いや見ている事を選択した。そうするしかないと分かっているから。。。
ここまで絶賛しているように読めるかもしれませんが、実はストーリーとしては面白くないです。
人魚姫モチーフでヒビキとウタのボーイミーツガールを主軸にしてるので、そこだけをトリミングすると、大きな変化ってヒビキくらいしかなくなんか物足りなさを感じるかもしれないなと。
しかし、じゃあどうすればよかったのだろうかと考えても、うーん…?
ウタが犠牲にならなければならない事へのアプローチを厚くできればという感じですかね? ヒビキは助けたいという願いがありつつでもウタを犠牲にしないとまた爆発が起こってしまう、みたいな葛藤が彼にはないですし、周りも特にないので、何となく危険を冒してでも仲間を助けるんだ! っていう尊い精神性でしか感動を呼べない仕組みになってしまっていますよね。
ただ、先述しているようにヒビキは純粋じゃなきゃいけないわけで、葛藤より考えが行動に勝手に出てしまうプロセスが大事だったりするかなって思うんですよね。うーん、難しい。
なので、やっぱりテーマを見せて、メッセージを発信できているので、この映画はもうそこで成功だと言えるんじゃないでしょうか(放り投げ)
なのでラストカットでの笑顔は私に希望を見せるが、それも深く傷つけられる。お前忘れてたんじゃないか? 再生させるのはお前達なんじゃないのか? と問われているようで、痛い。
2022.05.15 少し改稿