pister さんの感想・評価
2.4
物語 : 2.0
作画 : 3.0
声優 : 2.0
音楽 : 3.0
キャラ : 2.0
状態:観終わった
灼眼のシャナ履修者向け
原作未読。
アニメを見た限りでは“灼眼のシャナ”の影響を強く受けてる印象。
まぁそれ自体は構わない、基本は似てても「ここら辺がシャナとは違うんだ」という独自性や拘り、ブラッシュアップ部分を見出せればそれでいい──
と、思ってたのだけど…結論から言うと見つけられませんでした。
こっちは1クールしか無いというせいもあるんだろうけど、まずもって主役のメリーの性格が魅力的でない。
実年齢は見た目以上にあるっぽいがその積み重ねが感じられない、最初から「少女」してて精神年齢とのギャップが無い。
アラストールが居ない分非常に物分りが良くて…良すぎて、逆に個性が無い。
夢路にしても、シャナの印象から「実はとっくに器になってて零時迷子的なサムシングで力を無限供給できるんじゃねーの?」とついつい思ってしまって盛り上がりに欠ける。
それとは違うカラクリを用意してくれてることを期待したが、別のタネを明かすどころか謎のまんまアニメは終了。
ストーリーもなんていうか…強引というかご都合主義というか。
チェイサー(猫仮面)は特殊例で参考にならないにしろ、3話の公園の少女の一件で夢路とメリーは「これでいける」と手応えを感じたんだよね?
夢魔を送り返せると認識したんだよね?
その勢いで4話で部長を見初めた夢魔を撃退して、5話以降で実はそいつは…という事実を知って愕然とする、と。
ん?
私としては、人間が「器として目を付けられてる」のと「器にされた」とでは別モノ──シャナで言うところのフレイムヘイズに存在の力を食われる前か、食われてトーチになったかの違い──だと解釈したのだが、5話以降、キャラ達(それを動かすスタッフ)はあたかも同じものという扱いで話を進める。
な~んか視聴者置いてけぼり。
夢魔殺しでショックを受けたり夢が人質にされてどうしようとか…いやいや、だったら誤認の発端となった3話の公園の少女に会って来いよと、友達になったんじゃないのかよと。
3話って視聴者に作品世界の設定を理解させる上でもとても重要だと思うのだが、キャラ達はそう思ってくれないせいでこっちの気持ちがついていけない。
そもそも3話、公園の少女が夢魔に目を付けられて「私以外友達は要らないよね?」と洗脳されかけたところにメリー達がやって来て「そんなの友達じゃない」「他に友達を作る」と心変わりするって話なんだけど…どうにも心変わりの経緯が軽い、浅い。
原作では行間・コマ間を読ませるような見せ方だったのかも知れないが、アニメではササっと上っ面をなぞっただけ。
ってかわざわざ洗脳までしなければ器として使えない・器を得るには手間がかかるというのを示してしまったせいで、その後の展開がどうにも頭に入り難い。
で、全話視聴後軽く調べてみたら、アニメは後半オリジナル展開になってるんだそうな。
ひょっとして…3話は原作通りに作ったけど、それ以降のアニオリが解釈間違ってたりして??
せめて3話の最後で公園の少女が死んだ目をして終わってたのならまだしも、そうじゃないので話が繋がってない。
そもそもメリーは元の世界に戻ることが目的なのなら、撃退しないで捕まえろって、尋問しなって。
帰るための手がかりを探すことと夢魔を撃退することはイコールではないと思うのだが、いつの間にか同じになってて(目的が摩り替わってて)やっぱり気持ちがついていけない。
部長も放りっ放しで回想することも無い。
本気で帰る手がかりを探してるならやって然るべきことをしないで別のことに必死になってるせいで、「こいつら何やってんだ?」と他人事にしか映らなかった。
そんな感じで後半、「公園の少女に会えよ」「部長を訪ねろよ」「ザコ夢魔を捕獲・尋問しろよ」という考えが頭を占めてて作品に没入できずに居たら、そこへ更に銃=ハッピートリガーみたいのが出てきて、しかもその使い手レオンの声がサブラクで、つい笑いそうになったけど…違うだろ!
シャナのパクりとは考えない様にしようと努めてたのに、こんなとこでパロディをやられてもこっちが反応に困る。
ということで総評としては、原作は知らんがアニメはシャナのパロディー作品。
あくまでパロ、二次創作とか縮小再生産の部類なので頑張って見る必要は無いと私は判断したが、ひょっとしたら見落としがある…のかなぁ?
平行して見ればまた面白い発見があるのかも。