なばてあ さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
作画のエーテルと絶対座標
名作『SSSS.GRIDMAN』の後継作として正しすぎるくらい正しい。よくぞここまで正しくあれたものだと感心する。立派だ。基本的に、評価も『SSSS.GRIDMAN』のそれに準じる。あれとおなじくらいおもしろいし、あれとおなじくらいカッコいい。ただし後継作なので、あれよりもさらに瀟洒感は増している。あれとこれを比べてこれの評価を下げるヒトと、わたしはきっと話が合わない。端的に言って、これはオトナなアニメだと思う。
さて、これ以上、語るべきことはほとんど残ってない。あとは蛇足。
{netabare}第10回「思い残した記憶って、なに?」についてだけ、すこし。これは前作の第9回「夢・想」と対をなす話数。本作と前作はかなり濃密な対照関係を築いていて、話数ごとのそれは一目瞭然。そして前作第9回と本作第10回の共通点は、ずばぬけた「神回」だといういことである。言い方をかえると、アニメータ・五十嵐海氏の才気がほとばしりまくった表現が見られるということ。
「神回」を作るのは、じつはそうむずかしいことではなくて、他の回のクオリティをガタッと下げれば、いっちょ上がりだと言われる。すべての回をすばらしくしてしまうと、どれだけひとつひとつの話数に注力しても「神回」は生まれない。有り体に言うとそういうことである。・・・・・・さて、だからこそ、前作と本作の「神回」は奇跡にちがいない。なぜなら、すべての回のクオリティが高いにもかかわらず、なお、それぞれの五十嵐回がずば抜けているというのはどういうことなのか。
制作側はこれを意図的にやっているのはまちがいない。それぞれの話数がそれぞれの作品におけるストーリィ上の転換点にあたり、ここからそれぞれのクライマックスへとギアをチェンジすることになる。そこでしっかりアクセントをつけるために、超絶技巧の画作りを意図的にあてこんだにちがいない。とりわけ本作特有の引き気味の定点カットに、五十嵐氏のデフォルメされた小気味よい日常シーンの作画が合わさり、アニメの醍醐味が極限まで練り上げられる。{/netabare}
トリガーはほんとうにすごい会社だと思う。この画作りの方向性は、アメリカのカートゥーンの伝統に連なっているようにも思う。みんな、もっと語るべきだ。『SSSS.GRIDMAN』と『SSSS.DYNAZENON』を。まだまだ批評が少なすぎる。わたしももっとのめりこむべきなのだろう。まずは、原作の『電光超人グリッドマン』を再履修するつもり。・・・・・・ああ、忘れていた。唯一の瑕疵について。これも前作とおなじなのだけれど、やっぱり残念なので言っておきたい。
{netabare}それはエンディングテーマ。どうして彼女に歌わせたのか。もったいない。{/netabare}
衝撃:★★★★
独創:★★★★☆
洗練:★★★★★
機微:★★★★★
余韻:★★★★☆