エイ8 さんの感想・評価
3.8
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
デジタル「リア充」育成論
『弱キャラ友崎くん』(じゃくキャラともざきくん) は、屋久ユウキによる日本のライトノベル。イラストはフライが担当している。ガガガ文庫(小学館)より2016年5月から刊行されている。
2021年1月からはテレビアニメが放送された。(wikipedia)
人生をゲーム感覚で攻略していき「リア充」になることを目的としたお話、なんだけど作品のテーマとしては多分別なんだろうなとは思う。主人公の友崎よりも明らかにヒロイン役の日南の方に伏線が仕込まれまくっており、最終的かどうかは別にしてこの日南攻略が作品の主軸となっているのだろう。
この作品を見て当然思うであろうことは「そんなもんでリア充になれたら苦労しねーよ」だろうけど、まあそれはその通り。レビュータイトルに書いた「デジタル」とは一種の確率をあげていく作業のことであって例えば「デジタル麻雀」などのような場合に使われる。基本的に長丁場になればなるほど成果の出る方法論ではあるけれど、実際の人生では多分そんな簡単にはいかない。
身だしなみとか立ち振る舞いとか、完璧にしてても無理な時は無理だし場合によっては完璧にすること自体が難しいこともある。体重は何とかなるかもしれないけど、身長は難しい。肌のトラブルがある場合もある。あと何らかの理由で鼻づまりがあればどうしても口呼吸になるし、歯並びが悪いと口元を整えたところで限度がある。人によれば視力が悪くてもコンタクトがつけられない場合があるなどそう簡単にいかないのが現実です。日南も友崎も、健全な健康と最低限のデフォルト容姿を持っていたから可能な物語……何ていったら身も蓋もないか。(最近の高校生基準がどうかはわからんけど、さすが外科手術や整形前提で初めてスタートラインとかだったら嫌だなあ……でも昔に比べたら遥かにハードルが高くなってるだろうなという感じはします。今の若い子大変。昔はそんなにルッキズムありきではなかったという記憶が。というか、今と比べてお洒落による底上げがあんまりなかったというべきか。)
そしてそれら身体的ハードルをクリアできたとしても、取り繕えるのはあくまで「見た目」の話でしかない。その見た目によって対外的に上手くいくことになったとしても、それで精神的にも充実するとは限らない。それがわかってても尚突き進まなければならないのが人生の厳しいところ。ここから降りると楽にはなるが劣等感に苛まれ、劣等感を克服するためにリア充街道に乗ると精神的ストレスがハンパない。どっちを選ぶかはあなた次第。というかまあ、これが秤にかけられる時点でリア充に向いてないことは確かかも。
そういう意味で友崎くんなんて本来全然向いてないんだけど、そこはラノベ。全ては日南なんていう最強参謀のお陰なのです。彼女が取り持ってくれなきゃなんっにも前に進まない。そういう意味でどっちかっていうと内実は日南が弱キャラである友崎くんを育成するハードモードシミュレーションゲームだったりする。『弱キャラ友崎くん』というのは友崎自身の自認であると同時に日南視点からのプレイキャラなわけでダブルミーニングなのです。
原作は未読なのでどういう流れになっているかはわからないが、少なくとも一度は日南が育成した友崎と日南自身が様々な対立や葛藤するという流れになりそう。日南こと「NO NAME」が友崎こと「nanashi」を尊敬したこと自体は別に普通に見えるが、わざわざ会おうとした辺り自分では越えられない何らかの壁を打破する方法を模索していたと推測。その後も尚友崎にこだわったのはそう言う面もあったんじゃないかと。
そういえばわざわざ同じ意味の名前を設定してるあたり何かありそう。日南の「NO NAME」はおそらく「自分は何者でもない」という意味を込めていそうで、友崎の「nanashi」も多分似たような意味だろうけど、サブヒロイン(とおもったらwikipediaにはメインヒロインの一人と書かれてる)の一人にわざわざ七海(nanami)を入れてる辺り、何か関連付けようとしている気配は見受けられるので、もう一波乱なんかあるのかもしれない。
そういえばいつの間にか「リア充/非リア」という二項対立は鳴りを潜め、現在は「陽キャ/陰キャ」のくくりになっている。ようするに昔は異性の友達や恋人と海に行ったりイブの夜を一緒に暮らすなどといった「イベント」ごとさえクリアしていればリア充として認定されたが、最近ではそれに加え陽気でなきゃならないようだ。大変ですね。
実際この作品内における日南は「リア充」というよりは対外的に「陽キャ」に近いんじゃないか。むしろクラスの中心人物たる中村の方が多分今なら「陰キャ」に分類されそうな気さえする。
何が言いたいのかと言うと、時代の流れと共に要求されるものも変わってくるという事です。中村みたいなキャラは(ゲーム好きなのはともかく)一昔前なら自分に正直ということでかなり好意的に捉えられるタイプだと思うけど、コミュ力の有無は別にして、積極的に明るく振舞わないあたりがマイナス要素になりそう。従来通りの表現で言うなら「スカしてる」。もっとも表向きにそれを批判するようなことはご法度で、むしろそういう姿を称賛する感じになろうだろうけど、少なくとも建前としては。
そうやって見てみると、友崎のなろうとしているものはちょっと前で言うところの「キョ〇充」というやつで、むしろ蔑視の対象ですらあったのだが、そういえば「キョ〇充」って言われるようなやつって軒並み明るいよな、ということで実は意外と一番「陽キャ」の素質があるといえるのかもしれない。そうなのです、所変われば品変わり、移れば変わる世の習いというやつなのです。そもそも昭和はヤンキー文化でしたし。
そういうわけで原作第一巻刊行が2016年5月の本作は、今現在進行形で「リア充」になりたい人にはあんまり参考にならない内容だとも言えそう。いやそもそもそう言う目で見てる人自体あんまりいないか。