栞織 さんの感想・評価
3.8
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
姫の犯した罪と罰とは「不倫」
映画館で見ましたが、見た当時は「金返せ」状態でした。しかし今はそうでもありません。まあまあの映画だったんじゃないかと思います。巨匠に対して失礼な言い方ですが。
宣伝コピーの「姫の犯した罪と罰」の意味がよくわからない、あれはもともとはかぐや姫が転生前は宇宙の星にいて、そこで罪を犯した・・・という制作裏話が存在するようですが、ぶっちゃけ私はそれは話の中で出てくるかぐや姫の「不倫」だと思います。それで、監督さんもはっきりと宣伝時に言わなかったのだと思います。つまりこれは従来のジブリ枠からかなり離れた作品で、普通の邦画のような作品です。ジブリでもついに不倫を扱うようになったかと思いました。しかもそれがあの日本の古典の「竹取物語」でです。だからこの映画はかなりの冒険だったと思います。だから子供たちへの配慮があってか、監督さんも死ぬまで「それは不倫のことからです」と話すことはなかったのでしょう。いつかその子供もわかる日が来ると、放置したのだと思います。
なぜ「竹取物語」に不倫要素を加えたか。これは同時代の古典文学の「源氏物語」に影響されてだと思います。それで、途中で出てくるギャグ要素の「アゴ帝」が、光源氏のカリカチュアみたいなキャラにされているのです。これは今までギャグに注目してあまり指摘されていなかったと思いますが、私はあれはそうだと思います。かぐや姫にバックから抱き着いてあのようなセリフを言わせるのは、子供にはわからないと思いますが、かなりアレな描写でしたね。しかしそれも色事師の側面から光源氏を思い出してほしい、という監督からのメッセージだったのです。それはラストに出てくる「かぐや姫の罰」にあたる天上界への昇天、あれが何を意味しているかというと、実は「源氏物語」の不倫の末の「出家」に当たるのです。だから最後にかぐや姫を迎えるのが天上界の「御仏」たちなのです。
おそらく監督はもともと童話で平板な「竹取物語」を、ひとりの女性の内面史として描くために、不倫要素を加えて、幼い頃に一緒に遊んだおさななじみの男性との恋の再燃という物語にしたのだと思います。そういう要素がないと、いかにも気位が高くて冷たい女性の物語になってしまいます。それで監督は、最後に出てくる昇天を「出家」ととらえて物語を再構築したのだと思います。しかしそれを公的にしゃべると、不倫ものと言われて、子供はこの映画を見に来なくなってしまいます。従って監督は何も言わず、「ふつうに生きていてもそういう事もあるよ」と、幼い観客たちにこの映画を手渡したかったのではないでしょうか。意に染まない相手との結婚や、幼馴染との再燃、非常によくある話です。そう考えると、従来のジブリキャラの絵柄ではなく、毛筆で描いたようなこの映画の大人っぽいタッチも、大人になったいつの日かそれを気づいてほしいという意図に沿って作られたデザインと、思うことができるのではないでしょうか。
ただ最初に見た時「金返せ」と思ったと書いた理由は、今言った「アゴ帝」が「竹取物語」の原文とはまったく違っているからで、昔高校の頃、この「帝」が最後、かぐや姫からもらった「不死の妙薬」を、もうかぐや姫に会えないのに不死になっても仕方がないと、富士山の頂上で焼いたから「不死山」から「富士山」と呼ぶようになったという話を原文で読まされて知っていたので、それではなかったこの映画の顛末には、思わず憤ったという感じですね。
あと当時あった事を思い出すと、この映画の公開前に「かぐや姫の物語」と題した、謎の短編アニメ動画がYoutube上にありました。それは現代を舞台にした若い女性の生態が描かれたもので、澁谷のようなところを女性が歩いているといったものでした。当時はどうしてこれが「かぐや姫の物語」なのか意味不明に思ったのですが、それも前述のごくふつうに生きている現代の若い女性の内面史のように描きたかったらしいこの映画の演出方法から考えて、映画の試作品だったのか知りませんが、そういう意味で作っていると関係者側から流出したものと思われます。私などは短絡的に、この映画の成立にはあの作家の瀬戸内寂聴さんもかかわっていたのではないかと、考えたりもします。