エイ8 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
純愛とは一体
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』(DARLING in the FRANXX) は、TRIGGER・A-1 Pictures共同制作による日本のテレビアニメ作品。公式略称は『ダリフラ』。2018年1月から7月にかけてTOKYO MXほかにて放送された(wikipedia)
全体的な流れは超展開も含めて割と好きな方だった。当時は細かい粗とか色々見つけてた気もするけど完全に忘れてるのでその辺は割愛。「Code:002」はあからさまに「おに(鬼)」なんだろうけど、ゼロツーという通称はあまりに無機的なのでもうちょっと良い候補はなかったんだろうかと思った。「レニ(02)」とか「リャン(2の意味)」とかじゃダメだったんだろうか。
それともひょっとしたら大昔ロボットアニメに出てたプルツー辺りをオマージュしたのかも。鬼+ダーリンでラ〇ちゃんの方ばかり意識してたけど案外ありそう?
ついでにイクノ「Code:196」に関してのwikipediaの記載から引用する形になるけど
--「Code番号の関係で「イクロー」という男性的な名前がつけられそうな流れだったが、イチゴが"6"を時計回りに90度傾けると"の"と読めることを指摘し、"イクノ"という名前になったことが明かされている。」--
だったらミツル「Code:326」は何なん?とか思ったものです。ミツローではダメやったん?とか。「6」を「る」と読み替えた天才は誰?とか。「る」がいけるなら「よ」もいけそうとか。まあ細かい話ではありますが。
さて本作品は、主人公ヒロとゼロツーは実は幼い頃から面識があり、その時からゼロツーは記憶を失いながらも彼の事を想い続けていたという純愛系ストーリーを根幹に据えて進んでいく。
(予定に反して長くなったので長い部分をネタバレ扱いで省略します)
{netabare}そして記憶を失いながらも再開したふたりがまた記憶を取り戻し……という過程を踏むのだが、その間にゼロツーはヒロを利用しようとした。当初彼女にとって「過去の少年」と「現在のヒロ」は別人であり、優先すべきは「過去の少年」だったからだ。結果として「過去の少年」と「現在のヒロ」が同一人物であることが明らかになったためとりあえずめでたしめでたしとなったわけだが、果たしてこれを本当に純愛と言って良いのだろうか?実際のところ、もし記憶が戻らなければそのまま悲劇となるところだったのだ。(なんかそんな古典ありそうだよな~)
女性ならばこういった経験はないだろうか?それまでは大して興味をそそられなかった人が実は昔から憧れてた某有名学校出身だとか超大手企業に勤めてると知った途端ステキに見え始めるような。男性でも、相手が同郷や同窓生だとわかった途端急に親近感が湧き出る現象。これって実際のところは相手の属性が(実際は嘘かもしれないが)一つ明らかになっただけに過ぎないのにも関わらず見え方が全く変わるわけだが、今回のヒロとゼロツーの関係も広くはその範疇にあるものと考えた。
もっとも二人は作中で一種超常的な経験のもと二人の過去を確信したわけだから前述した例と全く一緒とは言えないが、ゼロツーが本当の意味でヒロを好きになったのは記憶を取り戻したからに過ぎず、逆に言うと今のヒロに関しては然して気持ちを動かされていなかったわけだ。今のヒロを好きになったのはあくまで彼が過去の少年だったからに過ぎず、ゼロツーが見ているのは常に過去の少年の延長でしかない。
例えるなら一発屋のアーティストなんかがその後も色々苦心して作品を生み出しているにもかかわらず、やってくるファンは「昔好きでした~」みたいなのしかいない現象。その人は今の頑張ってる自分を見てくれてるわけではないというやつ。実際のところヒロの扱いもこんなとこ。今まで散々彼女のために尽くしてきたことそれ自体ではなく、過去に助けてくれた人と同じだったという事実が彼女の心を動かした。
ということを考えたりしてたので当時は周囲の意見に反して「こんなの全然純愛じゃないやん」と思っていた。純愛を謳うんなら(そもそも謳ってたかどうかは置いといて)彼女の中で過去の少年と今のヒロへの想いの狭間で葛藤する描写でもあればなーとか思ってた。なので今回この話をレビューに代えて終わろうと思ってたんだけど、改めてちょっと考え直してみるとそう単純な話でもないなと気づいたので大変申し訳ありませんがもう少しお付き合いください。(結果予定に反しすごく長くなった……)
というのもこの作品ではオチ的に言って「魂」のようなものが実在し「今日は(死に)別れた恋人たちも生まれ変わってめぐりあうby中島み〇き」なことになるわけだから、そう言う視点に立てば意識や記憶を超越した魂レベルの縁と言えなくもないのかなあと思ったりしたわけです。
来世で再会を果たせるぐらいなのだからそもそも二人が惹き付けられたのは過去からの因縁があったからだという可能性があって、意識レベルではともかくそういう「縁」から見たらやっぱり純愛系なのかなあ、と。
それで「ええ話や」で終わりたいのは山々だけど、それほど魂の結びつきが強いとなるとその人生で培った記憶や歴史、人間関係を全て吹っ飛ばしてしまうわけでもあり、運命の相手的なのも考え物かもとちょっと思ってしまったり。過去に別れた恋人に来世わざわざ会いたい?(人による)
魂レベルで繋がってはいるものの意識レベルではそうでもない人から一万年と二千年前から愛してるとか言われたり、一億と二千年あとも愛してるみたいなアク〇リオン的なこと言われても困らない?(人による)
意識的にはそれほど想ってない相手と魂レベルで強く縁がある人と、魂レベルではどうということもないけれどその人生で互いの縁を培ってきた相手、果たしてどっちがいい?ダリフラはある意味そういう問題提起をはらんだ作品と言えるのではないかなと思った。もっとも現実世界に輪廻転生を繰り返す「魂(≒実体≒アートマン)」のようなものがあるかどうかは何とも言えないわけだけど。
そういえば一昔前までの作品では基本的にいわゆる「幼馴染」的ポジションのキャラが正ヒロインでそのキャラと結ばれる結果になることが多かったけど、昨今ではそう言ったキャラはむしろ「かませ」扱いされることが増えているように感じる。ダリフラでも実質そういう作品だと思う(例・イチゴ)。
何故そういうことが増えたのか?単に奇をてらってるだけの可能性もあるけど、そういう運命感を増やしたいという意味もあるのかな、とちょっと思ってみたり。いやいや幼馴染でも充分運命の相手でしょ?と言われるかもしれないが、後に現れた人物と結ばれる方がそれまでの主人公の物語を塗り替えてしまうから「運命の相手」感が強くなると思うんですよ。
一方でダリフラでもそうだけど、そういう相手は結構な確率で幼少期に運命的な邂逅を果たしていたりするわけで、これがある意味前世の代用シーンみたいなもんかなあと思ったり思わなかったり。ちょっと卑俗な話になるけどN〇Rものが流行るのはその逆説みたいなものに見えて「上書き」ものとして見たら一緒なのかなあ、と。いや、正しく例えるなら「塗り替え」や「上書き」じゃなくて「浮かび上がり」かな。本質≒魂の露呈と言いますか。
{/netabare}
話が脱線してたので強引に戻して……もう一つこの作品で覚えているのは最終的にイチゴの相方はイクノにしてやれよと思ったことかな。彼女あんまりにも救われなさすぎでしょ。テーマから言っても生産性にこだわったんだとは思うが……
コクピットであからさまにバ〇クきめてるかのような設定なども含めてこの頃(2018年)はまだポリ〇レ的な流れがあんまり来てない時代だったんだろうな~。
え?それを見てエロく感じる奴がエロいだけって?し、しし失敬な!そんな目でなんて欠片も見てませんよ!ええ本当ですとも!
あ、ちなみにタイトルの「純愛とは一体」は問いかけの意味と一つになることの意味のダブルミーニングだったりしますよ(^^)