ひろたん さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
忍野扇が醸し出す正体不明の不気味さがストーリーを引っ張ていく
忍野扇(おうぎ)が醸し出す正体不明の不気味さと謎。
この物語は、それに尽きると言っても過言ではありません。
■「おうぎフォーミュラ」
{netabare}
1時間枠の1話完結の物語です。
阿良々木が、忍野メメの姪と自称する転校生の少女「忍野扇」に初めて会います。
今回の物語は、今までのように生き物に関する怪異ではありません。
阿良々木と忍野扇が学校のとある教室に閉じ込められてしまいます。
それは、阿良々木の過去のトラウマが生み出した怪異現象だったのです。
この物語は、そのトラウマの原因を探っていくミステリーでした。
なんと言っても特徴的なのが、すべてを見透かしたような忍野扇のその不気味さです。
しかし、本人は、阿良々木に向かって言います。
「わたしは何も知りませんよ。あなたが知っているんです。」よと。
阿良々木は、はたして何を知っているのでしょうか?
そして、忍野扇は、なぜそのことを知っているのでしょうか?
とても意味深ですよね。
{/netabare}
■「そだちリドル」
{netabare}
老倉育(そだち)の物語です。
老倉は、阿良々木の同級生ですが、今まで不登校だったため接点がありませんでした。
そのため、番外編のような印象を受ける物語です。
今まであまり受験勉強をしていなさそうな阿良々木。
このままだと戦場ヶ原と同じ大学に行けるのかと心配になってきます。
しかし、実は勉強ができると言うことがこの物語を通じて裏付けされます。
ある意味そのために必要な物語だったのではと思います。
この物語は、怪異譚ではなく、阿良々木と老倉の過去に関するものでした。
阿良々木が忘れていた過去に老倉と何があったのか?
それを追求していくミステリーでした。
忍野扇がまたしてもすべてを見透かしたように阿良々木を誘導し推理していきます。
終わってみると、老倉の件は謎が解けて、すっきりします。
でも、なぜか、すっきりとしないものが残るのです。
それは、阿良々木が忘れていた過去を、なぜ忍野扇は知っていたのかに尽きます。
そこに不気味さと意味深な理由があることを印象付ける物語だったと思います。
{/netabare}
■「そだちロスト」
{netabare}
「ロスト」って、いろいろな意味がある言葉ですよね。
その意味をこれでもかって幾重にもかけ合わせたのがこの物語です。
老倉育が、
学校に来なくなる(「いなくなる」)のも、
母親との記憶を「無くして」いたのも、
母親との関係に「戸惑い途方に暮れて」いたのも、
その結果、「心身がぼろぼろ」になったのも、
実は、その母親は既に「亡くなっていた」のも、
そして、最後は、転校して「いなくなる」のも、
ぜーんぶ「ロスト」です。
このシリーズは、1つの言葉が持つ幾通りもの意味を物語の中にプロットしてきます。
なかなかなものですよね。
ところで、おっぱいの大きさに負けて、羽川に阿良々木を横取りされた忍野扇。
それをすごい根に持って、羽川に絡むところはなかなか面白かったですね。
最後には、忍野扇から売られた喧嘩を買った羽川と阿良々木が事件を解決しました。
それにより、忍野扇がめずらしく「今回は、私の負けです。」と白旗を上げました。
そう言えば、「ロスト」には、「負け」の意味もありましたよね。
この物語は、最後まで隙がないですね・・・。
{/netabare}
■「しのぶメイル」
{netabare}
忍野扇が阿良々木から過去の出来事を聞き出すところから始まります。
しかし、阿良々木は忍野扇の様子からある疑問を覚えます。
それは、今から語る出来事をすでに知り尽くしているのではないかと言うことです。
しかし、忍野扇は言います。
「わたしは何も知りませんよ。あなたが知っているんです。」よと。
この物語は、忍野忍(キスショット)がこの町にやってきた理由を説明してくれます。
また、この町でこんなにも怪異現象が発生する理由も同時に明かしてくれます。
この後に控えている『傷物語』のための足場固めと言った感じの物語でした。
また、忍野忍と忍野扇、この大きな2つの謎がすれ違った瞬間でもありました。
{/netabare}
■斧乃木余接のセリフがイイ感じ
{netabare}
斧乃木余接のセリフには、毎回、はっとさせられます。
2つほどピックアップしてみます。
(1)阿良々木が余接の生足で踏まれながら言われるセリフです。
『後戻りができるとか、思ってんじゃねーぞ。
覚悟が足りない。
ねぇ、あなた、
いつだって人生をやりなおせるとか、思っちゃってるんじゃない?
何をはじめるにも遅いなんてことはないって、思っちゃってるんじゃない?
失敗しても、うっかりしても取り返しがつくって、思っちゃってるんじゃない?
人生は最後にはプラスマイナスゼロになるだって?
・・・そりゃ、死んだらゼロになるなんてあたりまえだっつーの。』
人生は、失敗してもやり直しができる。
いつかは、プラスマイナスゼロにできる、チャラにできる。
そんなの甘い考えでしかないですよね。
確かに誰でも最後はゼロになります。
でも、それは、つまり、死ぬと言うことです。
でも、死んでからでは遅いですし、意味がありませんよね。
それに気づいて、甘い考えは捨てるべきと、余接は言いたいのでしょう。
(2)エピローグで阿良々木との会話の中で余接が言ったセリフです。
『不幸や不遇に甘んじていることを、頑張っていると思っちゃっているんじゃないの?
そう言うのを世間では、何もしていないと言うんだよ。
不幸なくらいで許されると思うな。
ハッピーエンドを目指すべきだ。
不幸で居続けることは怠慢だし、幸せになろうとしないことは卑怯だよ。』
自分が今、何かに我慢していて、それを不幸だと思っている。
しかし、一方では、そんな自分をどこかで偉いと褒めて、それでよしとしている。
大きな不幸ではなくても、みんな大なり小なりあてはまるのではないのでしょうか?
この2つのことから、余接にこう言われたような気がしました。
「甘い考えを捨て、覚悟を決めて、行動を起こせ!」と。
{/netabare}
■まとめ
忍野扇の謎が解決するどころか、より深まった作品でした。
次は、『暦物語』です。