薄雪草 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
胸の痛むお話でした。
今回は、二組の兄妹のしがらみと、世界の有りようの物語です。
世界の有りようとは、宇髄天元の "名のまま" です。
兄と妹と世界の有りよう。
生育の違い、境遇の差が、彼らの背景に如実に描かれていました。
見え隠れしているのは、やはり "鬼の姿" です。
~ ~ ~
炭治郎と禰󠄀豆子。
人里離れた山の中で、炭焼きを生業としてきた竈門家の働き頭です。
清貧を温めながら、信頼をともに支え合ってきた二人です。
ですが、突然に母と弟妹を、鬼に惨殺されました。
妓夫太郎と堕姫。
賑わう遊郭の片端で、死線を彷徨い人間不信に喘いできた不憫さです。
名前さえ授けられず、僅かな金で暮らしを整えてきました。
そして、理不尽に妹を焼かれ、人を惨殺してきました。
同じ人間で、同じ年代なのに。
もしも違いがあるとしたら・・・門地や境遇でしょうか。
そうであれば、今回の鬼は、社会の構造から生み出されたもの。
さらには、社会そのものが鬼であったとも言えそうです。
なぜでしょう?
どうしてこうなるのでしょう?
兄妹が背負わされた業とは何でしょう。
昏い輪廻をどうしたら断ち切れるのでしょう。
"鬼滅の刃" とは、何を指し、どんな働きを意味しているのでしょうか。
~ ~ ~
宇髄天元は、抜け忍です。
きっと簡単なことではなかったでしょう。
鉄血の掟に反旗を翻したのは、くノ一の扱われ方への已むに已まれぬ実力行使だったのでしょうか。
宇髄家の墓前に手を合わせたのは、もしかしたら兄の責めを負わされたのかもしれません。
そうした想像力を働かせてみると、ここにも社会構造の水面下で、連綿と息を殺して生きている人の姿が垣間見えそうなものです。
~ ~ ~
宇髄の刃ヌンチャク、妓夫太郎の二本鎌には、沖縄古武道のエッセンスを感じました。
堕姫の衣帯使いも、衣(ころも)取りや分銅の武術に通底する流れを感じます。
日常使いする道具を武具と用いるのは、琉球が独立を損ねたのちに発達してきた独自の文化です。
その意味で、本作の "遊郭編" というテーマを、こう考えました。
抑圧されてきた人の歴史と、その未来を掴みとろうとする懸命な人間の姿を、"鬼" として表現していた。
同時に、沖縄の人たちの苦難の道のりと明るい未来の嘱望にも、思いを巡らせました。
ウチナーンチュが、ヤマトンチュを "ヤマトンチュー" と呼ぶことがないように、宇随天元の細やかな気遣いに倣わねばなりません、ね。
~ ~ ~
妓夫太郎と堕姫が、肉体の消滅の間際まで罵り合う姿には、胸を深く痛めました。
ですが、兄妹の絆が、自らの罪を贖おうと業火に歩んでいく姿にも涙が流れました。
二人は兄と妹に立ち戻り、うめとなった堕姫も、兄の背中で安息を得たように感じました。
妓夫太郎が望んだのは、己の情の篤さと、妹を背負いきる覚悟だったのかもしれません。
炭治郎がかけた言葉が、その道すじを付けたのかもしれません。