芝生まじりの丘 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
政治哲学の実践
ハーモニーもそうだが、この作品もフーコーとかアガンベンとかそのあたりの政治哲学をラディカルな形で実際に具体化して作品を作っている。
(あんまりその類の知識を持ち合わせておらず、孫引き的な表面的な知識で語っているため、注意)
アガンベンは著書で「ホモサケル」という存在について言及している。「ホモサケル(聖なる人)」は古代ローマの法律で規定されていて、特定の罪状のために、「その人物を殺しても罰せられない」「その身体を宗教儀式の供物に用いることができない」という2つの戒めを受けた人々のことを指す。要するにホモサケルは共同体に内在しながら法律のもとの権利からも義務からも無視された秩序の外の例外的存在である。
ホモサケルは「剥き出しの生」と呼ばれることもある。というのも、権利や配慮による防御が全くなく、丸裸の存在だから。
アガンベンはこのような共同体に内在しながら秩序の例外である存在が西洋社会には常に存在していたと言う。例えば、中世にはある種の無法者は法律で守られておらず、人間扱いされず、殺されても構わないとする考えは根強く存在していた。
政府組織は国家の配慮すべき対象に対しては権利を守るが、配慮の外、秩序の外の存在と一度認定したものに対しては明確に残虐的行為を行使することがある。例えばテロリストの疑いがあるものへの強権的な措置やナチスのユダヤ人虐殺、収容所における囚人の過酷な環境などがある。
政府の管理から逃れて、非人権的にと虐殺される「計数されざる者」はホモサケルを具体化した存在である。そして、紛争地帯で主人公らが無感情に虐殺する現地の兵士、少年兵たちもまたホモサケル的なものの例示である。
アガンベンは政治は例外状態の締め出しによって内部の秩序を保つことで行われると言う。別の言い方をするなら、政治とは線を引いて秩序を作り、秩序の内側のセキュリティを保ち、秩序の外側を冷酷に排除することだということだ。
これはそのまま、ジョンポールの夢想する自国の平和のための遠方国への虐殺の締め出しと対応し、また秩序のため、現地人を罪悪感なしに無心で虐殺する主人公らの行動に対応する。
「人間は虐殺器官を備えている」という意味はこのように人間社会は秩序の外の存在への排他を伴って成り立っていて、状況により、本当に冷酷な方法でその排他を遂行しうるということなのだと思う。(今日のキャンセルカルチャーの隆盛やミルグラム実験などについて、考えてみてほしい)
背景にあるテロリズムに対抗する安全保障のための監視社会という情勢設定自体もアガンベンの研究テーマだった例外状態の政治哲学の具体化である。
そんな感じで現代の政治哲学研究を色々近未来SFの形で具体的に取り出してみたよ、というのが本作なんじゃないかと門外漢ながら思う。
結構ボリューミーな内容を詰め込んでいる感じがあり、ジョンポールの意思などについてなどは消化不足な気もするし、最終局面での主人公の振る舞いについても投げっぱなしの感がある。原作を読めばもう少ししっかりしたものなのかもしれない。
やや若書きでチープな部分もあるけど物語としてもセンスが結構ある良い仕上がりだと思う。