ウェスタンガール さんの感想・評価
4.2
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
“記憶”を“記録する”ということ
別に“とあるスピンオフされた会社”のCMではない。
戦争の記憶を映像化(記録)する難しさである。
すずさんの記憶は曖昧だ。
そして何より、彼女が思い描く風景が上書きする現実は、実に楽し気なものに見える。
苦痛や不条理といった現実と、彼女の実感の狭間には、人間の特権である妄想というオブラートが挟まれ、その境目は曖昧なものとなる。
曖昧こそが前を向く推進剤となり、それこそが、人の心のリアルな姿なのであろう。
連続し、揺らぎ続ける世界。
“すずさん”の実感に嘘はないと思う。
幼馴染みと描いた海を跳ねる兎波に重なるのは、時が過ぎ、爆撃を受ける呉の軍港である。
高射砲の榴弾が炸裂し、絵筆で散らしたように空を染めるさまを美しいと感じるのである。
しかし現実は、彼女の心である“この世界の片隅”から、“鬼の遠眼鏡”を通して観察し続けることを許してくれない。
それは着実に彼女の心を侵食してゆくのである。
その過程がとてもリアルだ。
山向こうから湧き上がる“かなとこ雲”。
防空壕での一瞬の暗闇。
目隠しされた軍港脇の一本道の閉塞感。
収束焼夷弾が降り注ぎ、
そして、山向こうに再び…。
ひたすら一人称視点で語られる世界が見事であった。
ただ一つの違和感を除けば、である。
あの日、八月十五日を境にして、“すずさん”の目線は消えてしまうのだ。
そして、観察者を観測する記録者(制作者)の目線が取って代わることになる。
本来は勤めて寡黙であるべき存在のはずのそれが、唐突に、“すずさん”の口を借りて語り始めるのである。
それは、観るものそれぞれが感じ取るべきものが声高に叫ばれる危うさであり、必然的に作為が、もっと言うなら嘘が生まれ、ただのプロパガンダに成り果ててしまうかもしれない際どさである。
戦争を“真正面から”扱う難しさを感じるのである。